8 友誼
「爺や!」
ケンネルと話していると、アシュレイとベリーネが連れ立ってギルドから出てきた。
「アシュレイ様……! そのように走ったりなされては……!」
こちらに小走りに駆けてくるアシュレイに、ケンネルは思わず腰を浮かせて手で制止させるような仕草を見せる。隣にいるベリーネは目に入っていないようだ。
大体こんな感じで二人は今までやってきたのだろう。これが日常ならば確かにやや過保護だな。
「ううん爺や。今、とても身体の調子がいいの。実はテオドール様が――」
と、アシュレイが俺が行った循環錬気の事をケンネルに伝える。
「何と……それは本当ですかな?」
「ええ、まあ。でも一時的なものですよ?」
「それでも、ですな。普段これほど調子が良さそうなアシュレイ様を見る事はできんのです。お礼を申し上げますぞ」
あれは自分が満足するためであって、恐らく善意じゃない。なので曖昧な返事をするに留めておいた。
「あ、テオ君」
ルシアンも戻ってきた。……何だか人が集まってきたな。
フォレストバードは人当たりが良いからケンネルの前に来ても冒険者の印象を損ねるという事はないだろうが。
「そろそろ出発?」
「いえ、済みません、実はですねぇ。武器防具の整備がみんな終わらなくて」
「キラーアントのせいかな」
「そうです。なんだか留め金もガタガタだし、刃も砥がないとダメらしくてー。ちょっと……明日にならないと仕上がってこないかも知れません」
……蟻との戦いでかなり武器を酷使したからな。外皮が堅いので相手をすると割と武器が傷むのだ。蟻酸ってどうなんだっけな。上位種じゃないなら問題にしなくて良かった気がするけど。
ともかく、命を預けるものである以上、手に馴染んだものでなければいけない。ただ買い替えれば良いというものではないのだろう。
「じゃあ、宿を取らなきゃいけないかな」
「そういう事でしたら、私の家に泊まっていかれては?」
と、アシュレイが尋ねてきたが。
何とも答えようがない。
「ダメですか?」
「……そうしていただく理由が無いというか」
「理由?」
アシュレイは不思議そうに小首を傾げた。これがベリーネなら貸し借りとか、俺がそういうのを重視しているのを解ってくれるのだろうが。アシュレイの場合その手の駆け引きがないので逆にやりにくい。
いや……。そうじゃないな。いい加減に認めるべきだろう。
俺はアシュレイの境遇に色んな物を重ねているんだ。五年前に父母が亡くなっているというのなら、その理由も母さんと同じじゃないかと。
だから損得勘定だとか貸し借りだとか、そういう物をある程度抜きにするぐらいには、彼女に肩入れしてあげたくはある。
それだけに。あれもこれもと深入りしたくなりそうなんだ。どうせなら五年前に今の力があればと、そんな無い物ねだりしてしまう程度には母さんの事では後悔ばかりだし。
その代償として、アシュレイにだけ特別に親切にする? ……不毛だ。
母さんのように誰彼構わず助けて回るような生き方をする優しさは俺にはないし、それではきりがない。だから何をするにも納得できる動機を確保したうえで動きたいと思うようになったのだし。
大体アシュレイの方は……そこまで俺に感情移入する理由がないはずだ。彼女の体調を戻した事で妙に信頼されてしまっているように思えるが、それを勘定にいれても、宿泊を持ちかけてきたのは単なる親切心によるものだろう。
「儂からもお頼みしても良いですかな?」
「……一応言っておきますが、僕は、明日早く発ちますよ?」
「……それは解っておりますがの」
ケンネルは残念そうではあるものの頷いた。
「テオドール様」
アシュレイに名を呼ばれ、彼女に向き直る。アシュレイは少し気恥ずかしそうにしながら、こう言った。
「ただ私は……その。テオドール様とお友達になりたくて」
「え?」
言われて、少々停止した。
友達だって?
考えてみれば……こっちに今までそう呼べる関係の相手はいなかったっけな。
伯爵領ではそれどころじゃなかった。バイロンやダリルが睨みを利かせていれば、近付いてくる者なんていなかったし。
グレイスの事は信頼しているけれど、友達と言うよりは姉みたいな存在と言った方が近い。普段は使用人としての立場を堅持しているし。
アシュレイは俺の返答を待っている。俺は大きく息を吸ってから答えた。
「……解りましたアシュレイ様。友達になりましょう」
だから……まあ、いいか。他の人とは少しぐらい対応の違う相手がいたって。なんていうか……ぼっちとかなんだし。
「良かったです……」
「僕はタームウィルズに行きますけど。お手紙とか書きますので」
「はい。私も書きます」
「一晩友達の家に厄介になるぐらい普通ですね」
「ええ」
えーっと。初級回復魔法の詠唱を教えるぐらいも……友達なら別に普通だよな? アシュレイには才能があるのが解ってるし。とりあえず出発までに全部教えられるとも思えないので、入門的な魔力操作のコツと詠唱をメモ書きに残しておこう。
こちらの話が纏まったその横で、ケンネルとベリーネが話をしている。
「ケンネル様。実はですね。私にいい考えがありまして」
ベリーネがにこやかな営業スマイルでケンネルに話しかけた。ケンネルは心底嫌そうに溜息を吐く。
「何じゃい女狐?」
そう呼ばれてもベリーネはどこ吹く風だ。
「今回、ケンネル様の監視の目がオスロに届かなかったのは、アシュレイ様の看病、教育。そして家令としての仕事に加えて、領地の経営や実務などを一手に取り仕切っておられたからでしょう?」
「む……」
「そこで、私から提案があります。――少々お耳を拝借」
「ふむ……」
と、何事かをケンネルの耳に囁くが、ベリーネの言葉を聞いた瞬間、その顔が怒りで赤くなっていく。
「いえいえ。お話は最後までお聞きいただきたく――」
だがベリーネには全く慌てた様子もなく更に何事かを呟いた。それでケンネルの顔色がすぐに収まっていった。
……うーん。どんな殺し文句を言ったのやら。その間のベリーネは終始笑顔である。解っていた事だが……彼女は色々と黒いな。
「どうでしょうか? 信頼できる医師も紹介できます。それにですね。現状で手が回り切っていない事はケンネル様が一番ご存じのはず。貴族として重要な物は人の繋がり。このままの現状より、そちらの方がアシュレイ様の将来にとっても有益になると存じますが。それからですね――」
立て板に水を流すが如き畳みかけを、ケンネルは手で遮った。
「解った! 解ったわ! アシュレイ様には儂から、後で話をお伺いするわい! それで良いか!? 儂とて、先々の事ぐらい考えておるよ!」
「勿論です。私も助っ人としてここに来ている以上、非才ながら全力で協力致しますよ?」
ベリーネのその笑みは、勝利を確信しているかのようだった。
「全くどいつもこいつも」
「それじゃあ、私達は宿を探してきますね」
「いや、お主らも来い。女狐。お前もじゃ」
立ち去ろうとしたルシアンを引き留めて、ケンネルは言った。
ベリーネに目を向けると彼女は肩を竦めてみせる。
「冒険者を目で見てお二方に判断してもらった方がいいかと判断致しまして。その旨もケンネル様に進言しておきました。その点フォレストバードの皆さんは信用がおけるし人当たりが良いですから」
……フォレストバードはサンプルとして適切かと言われると、そうじゃないけどな。冒険者ギルドの看板に泥を塗る奴も、実際はそんなに多くはないからケンネルの中で相殺するだけかもしれないけれど。
「ところで、ケンネルさんに何を言ったんです?」
「うーん。黙っていた方が面白そうなので。テオドールさんなら、いずれ解りますよ」
「なんです、それ?」
「別に悪い事は企んでませんよ? 私は策は巡らせますが悪事はしない、が信条なので」
……何なんだろうな、いったい。
ベリーネの真意はともかく。そんなこんなで、俺にこっちの世界で初めての「友達」ができた。