83 ブロデリック侯爵家
「酒が足りんぞ! もっと持って参れ!」
と、カドケウスの視界の向こう側で酒杯を重ねている髭の男が、ブロデリック侯爵である。
盗賊ギルドの情報網から錬金術師や薬剤師を調査してもらう傍ら、カドケウスを張り付けさせて尻尾を出さないか調査してみたが。
舞踏会に晩餐会。食事会だ、サロンだとしょっちゅう催しを開いているのがブロデリック侯爵という男であった。何もない日でも酒色に耽溺しているようだ。
道楽が過ぎるというのはどうも本当の事らしい。催し物の頻度と規模を見ているだけで大丈夫なのかと心配になる。家が傾くわけだ。
侯爵家を監視するにあたり、色々情報収集もした。
ブロデリックは元々領地に鉄鉱山を所有していたそうだが、タームウィルズ周辺の坑道が迷宮化した事で様々な卑金属、貴金属、宝石が産出されるようになり、輸送コストの問題もあって重要性が低くなってしまったらしい。
それでも侯爵は羽振りの良い頃と変わらない暮らしを維持したそうだ。当然、財政は悪化。そこで目を付けたのが近くにある伯爵家、という事だった。
ガートナー伯爵家領、及びシルン男爵家領は穀倉地帯だ。迷宮では穀物を産出しないという事もあり……供給の安定はともかく恒常的な需要は見込める。タームウィルズとの間に向かう最短ルートの開拓が終われば状況が安定する事は分かっていた。
否が応でも人の行き来ができるのだから、そこに便乗出来ればブロデリックも輸送コストを大幅に削減、迷宮化した旧坑道に張り合う事ができるようになる。
ただ、最短ルートは魔物の多い難所にぶつかる、と言う事で開拓民に敬遠されていたらしい。開拓がなかなか進まない理由はこの辺にあった。
そこでブロデリック侯爵は先代ガートナー伯爵に提案した。仕事にあぶれた鉱夫を開拓民や冒険者として流入させ、魔物対策に鉄の武器を格安で流し、また侯爵自身も中央に開拓費用を捻出する事を強く働き掛ける事でルート開拓を大幅に推し進めるよう、と。
まあ、この時点ではお互いにとって得になる話だったのだろう。
侯爵と先代伯爵は互いをパートナーとして認識。侯爵の娘を伯爵家の嫡男に嫁がせる事で繋がりをより強固なものにしようとしたわけだ。
「旦那様。お身体に障ります」
家令が侯爵に進言するが、侯爵は笑い飛ばした。
「この程度、酔った内に入らぬわ」
と、杯を一息に飲み干し大きく息を吐く。
少し間を置いて、家令が切り出しにくそうに言った。
「――誠に申し訳ありません。恐れながら旦那様にご報告があります」
「……申せ」
家令の声色に良くない響きを感じ取ったのだろう。侯爵は真顔になって眉を顰めた。
「キャスリンお嬢様付きの、古参の使用人達が解雇された、と」
「――それは、真か」
「はい」
カドケウスを張りつけさせておいたが、ようやく聞きたい話が聞けた。益体無い話ばかりで割とうんざりしてたのだが。
侯爵は眉根を寄せて唇を噛む。
「これは……伯爵家から手を引かねばなるまいな」
娘の心配をしている、というような感じは受けないな。というか、情報が古い。父さんはもう、侯爵家に対して次の手を打っている。
「そう見るべきかと」
「全く忌々しい。ままならん事だ」
といって、また運ばれてきた酒を呷る。
いやはや。やっぱりキャスリンを通じて伯爵家に干渉しようとしていたらしいな。そこまでは確定と見ていい。
父さんは多分、使用人解雇の情報も漏洩が遅くなるように情報操作していたんだろう。侯爵家はそろそろ逃げる算段と、見込んでいた父さんに比べてこれだ。侯爵家は後手後手に回ってる感じがあるな。
侯爵家の鉱山は近年産出量が落ちているそうだ。ルート開拓が終わっても肝心の品物が枯渇してしまってはジリ貧だ。伯爵家への影響を大きくできれば……侯爵家への優遇政策を取らせる事で更なる輸送コストの削減を見込めるだろうし、将来的に安心感があるというのは分かる。
それにしても。今更ここに来てキャスリンの使用人の話、か……。こんな話をしているという事は――。
「報告」
と、その時、盗賊ギルドの情報屋の話を聞いてきたシーラがやってきた。
一旦向こうとのリンクを切ってシーラに向き直る。
「侯爵家と繋がりの深い錬金術師は、いないそう。出入りしている薬師もいる事はいるけど、年に数えるくらい。侯爵はあまり身体には気を使っていないみたい」
「……みたいだね」
これだけ不摂生をしているのだから。医者を軽んじているというかなんというかは散々見せてもらえた。
暴飲暴食……胸焼けしそうな光景を思い出してしまい、グレイスの淹れてくれたハーブティーで浄化する事にした。イルムヒルトの奏でるリュートの音色と併せて、癒されるというか思考が落ち着いてくる。
あー……何と言うか。キャスリンを利用したところまでは良いとして。
秘薬に関しては、侯爵が描いた絵なんだろうかという気がしてならない。
そんなものを用意できるなら、落ちぶれたりしないだろ、普通。
「キャスリンの当日の足取りは?」
「侯爵家を訪れていたのは間違いない。馬車が目撃されてる」
「当日の、侯爵家の様子は」
「舞踏会。出席者についてはこれ。記帳の写しを手に入れた」
と、リストを渡してくる。
「えーっと。どうやって?」
「私は具体的には知らない。ただ、使用人に話を持ちかけると、小遣い稼ぎに売ったりする事があると聞いた。社交界に繋がりを作りたい若手はこういう名簿を欲しがるし」
「うーん」
さすがは盗賊ギルドと言うべきなのか、侯爵家の使用人の質が悪いと見るべきなのか。もしかしたら侯爵の金払いが悪いのかも知れない。世知辛い話だ。
リストに目を通して見る限りでは――侯爵家は人の出入りが激しいようだ。そこでキャスリンが、誰かに会ったと見るべきなんだろう。
そんな利害を抱えている奴……特に秘薬を用意できるような奴が、いるんだろうか?
この際、俺やバイロンに対して干渉したがっていそうな奴でもいいんだが。
キャスリンが薬を使ったのは、バイロンの事件を受けて父さんから責任を追及されてという所が大きい。
使用人の事を把握していなかったりと、侯爵家が秘薬を用意したとは考えにくい以上、そもそもの目的が違った可能性がある。
「アシュレイは……何か見て分かる?」
「ええと。この方は学舎に名前を連ねている方の家の長男だと思います」
お互いよく分からない所をアシュレイやシーラ、イルムヒルトと話をしながら穴埋めしていく。
羽根ペンでリストに補足を加えていくと、段々全体像が見えてくる。騎士に準男爵。下級貴族や商家の子弟。……あんまり大物がいない。
侯爵家は落ち目だと見られているという事か。居並ぶ面々も小粒に思える。すっかり若手の社交場、出会いの場所と化している印象があるな。
だがその中に1人、異質な肩書きの者がいる。
「占い師、か」
アナスタジア=アルメンダリス。
「それはちょっと有名な占い師。裕福な家の出で、占いが当たるから宮廷貴族に気に入られているとか。社交界にもちょくちょく顔を出しているそう」
シーラが補足してくれた。
キャスリンは領地に陣取る父さんに構わず、バイロン達のコネを作るためにタームウィルズに来ていた年もあったはずだ。社交界に顔を出しているというのなら、そこで面識を持っていても不思議ではないな。
「……一度、会いに行ってみるか。占い師だっていうなら拒まないだろうし、当日の話が聞けるかも知れない」
「実行犯だったら危なくありませんか?」
脇で話を聞いていたグレイスが首を傾げる。
実行犯、か。まあ、確かにな。宮廷貴族と繋がりがあるとか、裕福だとか、可能不可能で言うなら可能だろうし、動機も持っているのかも知れない。
問題はそんな薬を渡されて、効能をキャスリンが信じるかどうかだが――どうせ証拠は残らないのだ。使用人相手に薬を盛って、実演してみせれば信じるも信じないもない、か。
「飲食物に気を付ければ大丈夫だけど……まあ、対抗策もあるから」
魔法薬という種が割れてる以上、対策だって立てられる。
……破邪の首飾り。デバフやバッドステータスを無効化する効果があるネックレスだ。
強力な装備品ではあるのだが、バフや有用な魔法薬の効果も等しく無効化してしまうだとか、一定確率で壊れてしまうというデメリットがある。だがこの特性は魔法薬という括りの、アルラウネの口付けにも同様に働くはずだ。
首飾りの作り方としては、魔石に通常の術式を刻む代わりに女神シュアスの巫女や神官の祈りを込めてもらう必要があるのだが……俺の場合、とても良い所に伝手がいるわけで。
というか俺より王族や貴族連中にこそ首飾りが必要なのではないだろうか。
アルラウネの口付けの存在を把握されていたら対策が取られない訳がない。それをしていないという事は――薬の存在そのものが知られていないという事なんだろう。
現状、存在と対策の両方を知られていないから危険度が高いわけで。そこの所の均衡を、崩してやればいいのだ。




