81 伯爵家の夫妻
「いったい、どういうつもりなのです?」
応接室でテーブルを挟み、父さんとキャスリンは相対する。
俺は――必要であるならばカドケウスで介入するし、俺自身も立ち入るつもりだが……不在のままで済むのなら、それでいい。
キャスリンは、表情を歪ませて言った。
「どういうつもり、とは?」
「分かっていらっしゃるのでしょう? 何故、バイロンの継承権を剥奪などと?」
「他家の貴族の住居に押し掛け、無礼な振る舞いと言動をしたとなればそうもなる。先方に穏便に済ませてもらえたのは幸運だが、それだけに私が甘い処分を下す事はできん」
「――わたくしが話をつけてきます。何と言う家の方です?」
この反応……キャスリンはバイロンの行動を知らない、という事か。
「そういう段階の話ではない。……お前はバイロンの行動を与り知らぬ、と?」
「当たり前です! わたくしは侯爵家に挨拶に行くと申し上げた通り! 帰ってみればバイロンは部屋に閉じ込められている! 使用人共は分を弁えず、わたくしには何も伝えようとしない! 何を知れと仰るのですか!」
キャスリンは捲し立てた後、頭痛を堪えるように額に手をやり、目を見開いて口角を吊り上げた。
「そう――そういう事? あなたは隠れてテオドールに会いに行ったのではないですか?」
キャスリン自身の同行した理由として心当たりがある、という事だろう。
バイロンの行動原理としてそんな暴挙に出るとしたら相手は俺しかいないと。キャスリンは言い当ててきた。
「……相手が誰であるかは問題ではない。バイロンは相手がテオドールであるなら、庶子であるからとその家の中に勝手に踏み込んだ」
「それの、何が問題だと?」
冷たく――目を細めて言い放つキャスリンに、父さんは眉根を寄せる。
「お前も……相手が平民であればその程度は問題が無いというのか?」
「嫡男を廃嫡するほどの事かと言っています」
「するほどの事だ。領主としての適性の問題でもあるし、テオドールは平民どころか、今や国王陛下の直臣だぞ」
言われたキャスリンは、一瞬固まって目を見開く。
キャスリンも俺の身分については知らなかった、か。使用人が入れ替わったから、入ってくる情報も制限されていたようだ。
椅子から立ち上がり、嫌悪の表情を浮かべると、右に左に忙しなく歩き回る。
「それは――知らなかったからでしょう。あなたが言い含んで聞かせれば、テオドールにバイロンを許させるぐらいの事、できるでしょうに」
「馬鹿を言うな。テオドールは道理を弁えているよ。あの場で私が身内だからと甘えようとしたら、拒絶して他人として行動しただろう。第一、他にも貴族の方々が居合わせたのだ。テオドールだけの問題ではない」
「情で駄目なら利を与えれば良いのです。足りるだけ積めばいい。それが下級貴族であるなら伯爵家と――わたくしの実家の名を出してもいいでしょう」
「お前は――」
肉親の情に訴えても駄目なら、金や利益で釣れ。納得しなければ金を積めばいい。目下なら伯爵家や侯爵家の名で膝を突かせろと。キャスリンの言っている事はそういう事だ。
確かに、実利や権力をちらつかせれば言う事を聞く者もいるのだろうが、2人だけの会話とは言え、臆面もなく言い放つキャスリンに父は言葉を失っているようだった。
「わたくしはただ――あなたのお考えになるやり方以外の方法もある、と申し上げているだけの事。ここさえ乗り切れば、バイロンはまだやり直せる。そうでしょう?」
などと、バイロンの生き残りの道を模索しているから仕方なく、みたいな言い方をしているが。
言わせてもらえるならこれがいつも俺の見ていたキャスリンでしかない。父さんの前では見せなかった顔だが、どうせ責任を問われるのは免れえないと、開き直っているわけだ。
キャスリンとバイロンはまあ……今後伯爵領から外に出られる事はないだろう。悪ければ病死、事故死となるだろうが、そういう手を父さんが好むとも思えない。
できる事ならそれを回避したいという、父さんの寛容さを分かったうえで言っているのだから性質が悪い。キャスリンの甘言に負ければ、共犯になるという事だ。
それにしたって、この余裕さ。――キャスリンは諦めていないな。これは状況そのものは把握している時の余裕さだ。本当に思い通りにならないなら、キャスリンは癇癪を起す。まだ何か考えがある、と見るべきだろう。
「私は――どうやら間違っていたようだ」
「何をです?」
「今までお前達が私に隠れてしてきた事は、相手がリサの子供だから――テオドールだったからだと思っていた。私の自業自得が、巡り巡ってテオドールに当たったのだと、皆に申し訳なく思っていた。だが――お前にとって貴族でなければ、等しく路傍の石ころのようなものなのだろう? バイロンもそうだったが……それでは後を継がせられん」
そう、だな。キャスリンの考えは――貴族に非ざれば人に非ず、という奴だろう。
言われたキャスリンは既に開き直っているらしく、小さく笑う。
「ふ、ふふ。貴族の負うべき責務――ですか? 黴が生えたような理想論でしょう。あれね。実は大嫌いなんですよ。もっと上手くやっている者もいるのに、どうしてわたくしが、とね」
責務。キャスリンがどんな責務を負って、誰と自分を比べての話だというのか。
例えば――伯爵家に嫁いできた事か。侯爵家の散財の後始末を引き受けた事が不満だった、と。
侯爵家の他の兄弟姉妹がどうしているかは知らないが、きっとキャスリンに言わせれば「上手くやった連中」なのだろう。
キャスリンは序列や身分に、とても拘っていた所がある。それも、そういう所への不満の裏返しだったのだろうし。伯爵家の格式が下で、自分の出自が侯爵家である事を笠に着た発言は、俺にはとても多かった。
父さんは口を開きかけて、出かかった言葉を呑み込む。何を言おうとしたのかは分からない。気を取り直すようにかぶりを振ると、静かに口を開く。
「今更……お互いの親への恨み言を口にしても仕方がない。だがこの際だ。1つ聞かせてもらえるかな。お前が使用人の人事を好き勝手にしたのは、お前の専横のためか? それともブロデリック侯爵の意向か?」
「さあ? 気になるのでしたら、どうぞ、魔法審問にでもおかけになったらいかがでしょうか」
キャスリンは、薄く笑う。できないと分かっていて言っている節がある。
魔法審問に用いられる魔法は秘匿されている。
それを使える人材はかなり限られているし、国も所在を把握している。それを呼ぶなどとなれば。
貴族家の表沙汰にできない部分を、余人に晒すような行為に他ならない。今日のバイロンの醜態も伏せなければならない以上は難しい話だ。
人事を弄った理由。それはかなり大きな意味を持っている。キャスリンが家の中の事をほしいままにするためにやった事なら……問題はあるが、そこまでのものでもない。
だがブロデリック侯爵の意向であったとなると――侯爵家が伯爵家の内部に強固な影響力を及ぼすためだと受け取れる。要するに伯爵家の乗っ取りと言ってもいい。
最初からそのつもりで父さんとキャスリンとの縁談を進めたのか、それとも可能な環境があるからそうしたのかという違いぐらいはあるか。
いずれにしてもキャスリンからブロデリック侯爵が白なのか黒なのかを聞き出すのは難しいように思えた。
「バイロンに、会わせてはくれませんか?」
「……奥の部屋にいるよ。鍵は、私が持っている」
そう言って父さんがゆっくりと立ち上がって、キャスリンから視線を外したその時だ。
冷笑を浮かべていたキャスリンから、すっと表情が消える。懐に手を突っ込み、取り出したのは薬包だった。
これがキャスリンの切り札。
眠り薬か毒薬か。それとも何か――別の薬か。この場は父さんを大人しくさせて、何かしらの手を打つわけだ。例えば侯爵家を頼るだとか。或いは父に隷属魔法をかけてしまい、ゆっくりと事態の収拾を図るなんて手もあるだろう。或いは、この薬1つだけで問題を解決できてしまう類のものか。
だが甘い。そのために俺は父さんにカドケウスを付けたのだから。
カップが絨毯に落ちる音で父さんが振り返り、両者が固まる。
「な――」
――つまり、何もないテーブルの上に粉薬をぶちまけ、スプーンを手に呆然としているキャスリンの姿がそこにあった。
カドケウスに、テーブルの脇からカップを引っ張り落とさせた、その結果だ。キャスリンには訳が分からなかったに違いない。
何をしようとしていたかは、一目瞭然。傍目には緊張から手が滑ってカップを落とした、というようにしか見えない。
「お前は――そこまで」
「わ、わたくしは――」
今度こそ。キャスリンの顔から笑みが消えた。
「こっ! これは、違うのです! わたくしは、こんな!」
違いはしない。成功の見込みが無かっただけだ。
「……もう良い。今日の一件でのお前とバイロンの関わりを問い質そうと人払いをしたが……それをこんな形で裏切るとは」
静かな口調で淡々と言う父さんに、キャスリンは呆然とした面持ちになったが、次の瞬間には何か妙案を思いついたとばかりに、勝ち誇ったような顔で胸に手を当てて叫んだ。
「わ、わたくしに――手を出せばお父様が何と仰るか!」
何を言うのかと思えば。無理だ。それは。父さんも分かっているのか、目を細めた後、首を横に振った。
「――何も、言ってこないだろう」
「え――」
「お前の引き連れてきた古参の使用人は既に解雇しているのだ。使用人の人事にブロデリック侯爵の意向が関わっていたのであれば、察知されたと見て逃げ出す算段を練っている場面だ」
逆に――意向が無かった場合はどうなのかと言えば、それも結果は同じで。
「そうでなかったとしても。何か言ってきた場合、使用人達の背任の証拠を突きつければそれで終わる。庇えば関与を疑われるからな。それでもというのなら、受けて立つまでだ」
キャスリンの連れてきた使用人達は実際に背任行為をやらかしていたわけだし。それら証拠と共に突き付けられれば、キャスリンを庇う事はできずに口を噤むしかなくなる、というわけだ。
キャスリンは実家が全く当てにできないという事実を突き付けられて血の気が引いて青褪める。だが。
「い、田舎伯爵如きが侯爵家に向かって何を無礼な! わたくしを! わたくしを誰だと思っているのです!」
と、案の定癇癪を起こした。手詰まりになった、という事だろう。
もう後は、何を言っているのか分からない。キャスリンは何事か喚くが、騒ぎを聞きつけて部屋の中に駆け込んできた使用人や武官達に取り押さえられていた。
「少々混乱しているようだ。部屋に連れていき、決して外には出さぬように」
――もう、いいか。後はカドケウスだけに任せておいても大丈夫だろう。
念のため、キャスリンが盛ろうとしていた薬を少量回収させておこう。ここから何か分かるかも知れないしな。
「――来ていたのか」
それからしばらくして。父さんが俺の待機している部屋に来た。応接室の騒動なんて、何も無かったとでもいうように。
「ええ。これを届けに」
と、忘れ物を差し出すと、父さんは受け取って静かに笑う。
「そうか。わざわざ済まないな。少々立て込んでいてな。待たせてしまったようだ」
「いえ。近くまで来る用事があったので。そのついでですから」
「用事は終わったのか?」
「ええ。済ませてあります」
「そう、か」
父さんは静かに笑っているけれど。それが――あまりにもいつも通りに見えて。きっと今までも、こんな風な事があったんじゃないかとか思えてしまう。
さっきまでの父さんとキャスリンとの会話を思い出して、知らずとこんな言葉が口を衝いていた。
「母さんと……グレイスと。3人で暮らしていたあの頃は、俺にとって幸せなものだったって胸を張って言えるんです」
母さんを屋敷に呼べなかった事に父さんに後悔があったとしても、あの日々は俺にとっては宝物のようなもので。
それに対して誰が何を思い、どう言おうと。俺からしてみれば決して揺らぐことのないものだ。
「そう、か……」
「だから――俺に申し訳ないとか、そういうのはいりませんから」
「覚えておこう」
父さんが頷いたので、俺も頷く。
「ま、今日は帰ります。さっきあんな話をしたばかりですからね。僕と話をしたければ、また家に来てくださいという事で」
そんな風に冗談めかして言うと、父さんは少しだけ楽しそうに笑った。




