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境界迷宮と異界の魔術師 作者:小野崎えいじ
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418 夢魔の宴

「……こ、これ、は……?」
「母様! どうなさったのです!?」
「い、いえ。眠気が……これは……一体……」

 夫人やクラークが頭を押さえてぐらつく。強い眠気が襲っているようだ。俺や公爵、オスカー、ヴァネッサの胸元で、破邪の首飾りが強い光を放っていた。

「首飾りを!」

 俺が言うとオスカーとヴァネッサが自分の身に着けていた首飾りの紐を持って夫人とクラークに翳す。それで2人の眠気は和らいだらしい。かぶりを振りながらも自分の足で立ち上がる。
 周囲に妙な魔力が満ちていた。恐らくは、グラズヘイムが現れた影響と見るべきか。

「私が表層に顕現した時点で、この屋敷の敷地内は既に結界の中だ。夢は現に、現は夢に。君達は現実で起こったことを夢として忘却し、私の見せる夢こそが君達にとっての真実となる。ククク――」

 グラズヘイムの含み笑いと共に、張り付いている天井付近から――壁が、床が。有機的な、肉のような質感を持つ何かに侵食されていく。悪夢が現実を飲み込んでいくかのような光景だ。
 結界と言ったな。自分の支配する限定的な空間に、悪夢を顕在化させる能力といったところか?

 現実を夢としてしまうなどと言うのなら……奴の今までの言動や行動等から察するに、結界の内側で眠りに落ちれば、グラズヘイムにとって都合の悪い記憶を夢として消し去り、奴にとって都合の良い夢を現実の記憶として残すぐらいのことはやってのけるだろう。
 実行犯達を刺客に仕立て上げたのも奴の能力かも知れない。
 だから、彼らが捕まったとしても記録や関係を追っていったとしても、奴にとって都合の良い情報しか残されていないというわけだ。

 ここからでも状況をひっくり返せると豪語した理由もそれだ。仮に公爵家がレスリーを残して全滅したとしても、使用人達がこぞってレスリーの無実を魔法審問でも何でも証言してくれるという寸法。
 だが、破邪の首飾りで防ぐことができる。ならばクラウディアの祝福でも同様だ。既に俺の推論と情報は、カドケウスがみんなに通信機で連絡を回している。

「妙な首飾りで凌いでいるようだが――何時まで持つかな?」

 侵食が部屋全体に及び、椅子や机までが脈打つ肉の塊になって――家具が文字通りに牙を剥いた。
 四足の獣のように床を右に左に蹴って、先程まで椅子であった肉の塊が躍動して飛び掛かってくる。シールドで受け止め掌底で吹き飛ばせば、壁に激突して飛び散った。

「ほう?」

 あちこちから飛び掛かってくる椅子達を岩の塊で吹き飛ばし、拳で打ち払って迎撃。

「お屋敷を――かなり破壊することになってしまうかも知れませんが」
「構わないさ。別邸だからな。失って困るものは家族と、家臣、使用人達の命だけだ。そのために必要なら、全て壊して構わない」

 と、公爵が即答してくれる。

「どうか、頼みます」

 そう言って、頭を下げた。……ならば、公爵達の防御はカドケウスとバロール、そして駆けつけてきてくれるだろうみんなに任せて、俺はこいつを叩き潰すことに専念させてもらおう。そのためには、もう少しばかりここで粘る必要があるが。
 公爵達の周りにディフェンスフィールドを展開。左手を厨房側に続く扉に向け、ウロボロスを呼ぶ。

「来い――」

 隣の部屋からキマイラコートを被せられたウロボロスが俺の手の中に飛来する。飛び掛かってきたダイニングテーブルを蹴り返しながらコートを纏い、ウロボロスを構える。その頃にはマルレーンの祈りによってクラウディアの祝福が俺の全身を包んでいた。

「ふん……。なるほどな。竜の杖に月女神の祝福……。噂に聞く異界大使か。聞いていた容姿と違うのは……そうか。変装の指輪を使っているらしいな」

 グラズヘイムはゆっくりと天井から降りてくると、その手の中に、どこからか肉で作られたようなハルバードを伸ばした。
 次の瞬間、背中に翼を生やしながら踏み込んでくる。こちらも真っ向から突っ込んでいった。激突。大上段から振り下ろされる槍斧の一撃をウロボロスで受け止める。ぎろりと、斧の腹部分に目玉が開いてこちらを睨みつけたと思った瞬間、真っ赤な閃光が至近から放たれていた。

 魔力の集中は片眼鏡で見えている。首を傾げるように熱線を回避して、身体ごと回転してウロボロスで胴薙ぎの一撃を見舞った。
 上に飛んだグラズヘイムが転身、天井を足場に直上から槍の穂先で刺突を繰り出してくる。ウロボロスで打ち払い、牙を生やして噛み付こうと迫ってくる本の群れをシールドで止めてネメアの爪で薙ぎ払う。

 家具達は――グラズヘイムに直接制御を受けているわけでないのなら、結界の内側で起きている人間を眠らせるのを目的として動いているようだ。或いは、公爵達家人の抹殺を最優先にしている……のかも知れない。

 ディフェンスフィールドの中で眠っている使用人には目も向けず、公爵達に向かって羽の生えたフォークやナイフだの、牙の生えた本や唇のついた花瓶やらの奇怪な家具達が殺到していく。
 バロールがシールドを展開して群れを押し止めたところを、カドケウスが足元から串刺しにしていく。
 本体同士で切り結びながら別動隊の制御。俺も奴もやっていることは似たようなものだ。

「やるな!」

 楽しそうに笑うグラズヘイムがハルバードを打ち下ろしてくる。ウロボロスでは受けずに皮一枚ぎりぎりを避けて、杖の逆端で横薙ぎの一撃を見舞うと、向こうも風車のように身体ごと回転させて石突き側での打撃を見舞ってきた。
 ウロボロスの軌道を変えて、ハルバードと叩き付け合う。そのまま踏み込み、身体ごとぶつけるようにシールドを前面に展開して突っ込んでいく。

 グラズヘイムを押し出すように、奴の背中で窓ガラスをぶち破って中庭に飛び出す。同時に追い掛けるようにあちこちから窓をぶち破って化物に変貌した公爵家の家具達が飛び出してくる。

 庭の中も奴の支配力が及んだ空間は既に変わり果てた光景になっていた。目を輝かせる化物庭木が根っこで闊歩する異常な空間。だが、家の中に比べればまだ敵も少ないだろう。

 そこで――グレイス達が音を聞きつけたのか、真っ直ぐこちらに向かって突っ込んでくるのが見えた。首元に破邪の首飾りの輝き。全身を包む祝福の煌めき。

「邪魔です」

 先頭を行くグレイスの斧が闇夜に幾重にも残光を描いて、異形の化物と化した庭木達を微塵に蹴散らして、文字通りに道を切り開く。

「こっち」

 祝福の輝きが四方に散る。それはシーラ、デュラハンとイグニスの姿だ。
 前衛の面々が別方向へと薙ぎ払うように突き進み、敵群の注意を分散させて引き付ける。
 シーラの持った両手の真珠剣が闘気を纏って外に飛び出してきた手足の生えた洋服箪笥の化物を両断する。

 それでも多勢に無勢。グレイスを先頭に屋敷に向かって突っ込んでいく一団に、後ろから回り込むように家具と庭木達が迫るが――。

「グレイス様はそのままで!」

 アシュレイ達の放った氷の弾幕が化物達を撃ち抜く。氷弾が通り過ぎた後に氷の壁が伸びていき、迂回しようとした空を泳ぐ本の群れをイルムヒルトの弓矢とマルレーンのソーサー、セラフィナの音弾が打ち砕く。
 額縁に足の生えた絵画の化物が魔力糸に引っかかって真っ二つになった。

「全く……悪魔連中はどうしてこう趣味が悪いのかしら」

 と、ローズマリーが不愉快げにぼやく。
 グレイスに対して回り込むように左右から迫ってきた異形の一団は、片方を氷の塊に押しつぶされ。もう片方は土壁と硬質の砂嵐で蹴散らされた。動きが止まったところを飛竜と光の狼が薙ぎ払う。

 ……更なる援軍か。ま、ホームグラウンドだしな。
 エリオットも駆けつけてくれたらしい。もう片方の一団の動きを止めたのはコルリスと、その頭に乗ったラムリヤ。仕留めたのはリンドブルムとアルファだ。

 共々祝福の輝きを纏った面々であるが……。ステファニア姫達も援軍に来てくれたというわけだ。グレイス達と一緒に来たということは、宿で合流したのかな?
 そのままグレイス達は一瞬たりとも立ち止まらず、庭を突っ切って館へ向かう。
 敵の襲撃の間隙をついて、光弾となったバロールが壁を突き破り、旋回して再び公爵達のところへ戻っていく。

 一瞬、グレイス達と視線が交差する。

「バロールの飛び出してきたところだ! 公爵達と使用人を頼む!」
「はいっ!」

 刹那遅れて、俺のいた空間に槍の穂先が突き込まれていた。すんでのところを避けるが、手首を返して斧部分で引っ掛けるように後頭部目掛けて攻撃が戻ってくる。流れに逆らわず、間合いの内側に踏み込む。掌底を見舞おうとしたが、寸前で下方から飛来した何かを回避するための転身を余儀なくされていた。

 グラズヘイムの援軍は庭木の化物どもだ。庭木に次々と翼が生えて、空に舞い上がってくる。枝や根を槍のように放ってきた。ネメアの爪で切り裂き、カペラの後足で空中を飛び回りながらそのままグラズヘイムと切り結ぶ。

 夢魔の操る悪夢だけあって、支配力の及んでしまった物に対しては何でもありのようだ。見える物全てが敵になると思っておいて間違いない。今も屋敷や庭の変質はどんどん進んでいる。
 ならば――時を置かずして屋敷全体が敵に回る。

 公爵達を守る場所は庭に移す必要がある。グレイス達が公爵の防御についたところで、カドケウスとバロールが館のあちこちで眠りに落ちた者達の回収に動き出す。バロールにライフディテクションを用いさせ、眠っている場所を把握。館の床や壁をぶち抜いて最短距離を移動。グレイス達の元へと避難させていく。

「何これ! 変なの!」

 嘶きを上げるバスタブを真っ二つに切り裂いて、マルセスカが笑う。

「シグリッタは、獣達の操作に集中してくれればいいよ」

 シグリッタに噛み付こうとしていた長靴をシオンの斬撃が撃墜する。
 中庭に倒れる警備兵達も――シグリッタのインクの獣達が回収しているようだ。制御に集中するシグリッタ。それに近付く家具や庭木達をシオンとマルセスカが叩き落としている。数には数で対抗。正しい手立てだな。
 だが、援軍が到着してもグラズヘイムは笑う。

「ククッ! 無駄だ! 外から敷地に入ることはできても、内側から逃げることはできんぞ! 家具を潰せば駒が尽きるなどと思っているのでは無いだろうな!」

 侵食はますます進んでいるが、外からは屋敷の様子は普通だと、グレイス達は突入する前にカドケウスの通信機に返してきている。現に屋敷の中は蜂の巣を突いたような騒ぎなのに、屋敷の周りはいつも通りの静かな夜、と言うように見える。
 半分夢で、半分現実。奴の結界の中はどちらともつかずのままでせめぎ合っているが、通信機で知らせなければ屋敷内の異常を察することもできないし、対策無しに踏み込めば眠りに落とされる。そして奴の増援は口振りからすると無尽蔵なのだろう。2つに切り裂かれた家具など、そのまま上下に分かれて2匹の化物になったりしている。つまり悪夢の元など無限に等しいということだ。だが――。

「夢は夢だ。お前を倒せば全部消えるんだろ?」
「やれるものならな!」

 奴に向かって嘲りを込めた笑みを向けると、奴も哄笑を上げて突っ込んできた。レスリーの姿と言うべきかグラズヘイムの姿と言うべきかは分からないが、その姿は既に悪魔のものに変貌しきっている。

 額の間に第三の目を持つ、山羊の頭蓋骨。それが奴の顔だ。仮面か兜のようにも見えなくもない。ウロボロスとハルバードをぶつけ合って至近で睨み合う。
 第三の目に魔力が集中。放射状に淡い光の波が放たれる。見た目からして催眠効果のありそうな、如何にもといった魔力波だ。
 攻撃が来るのは事前に察知できていたので、放射された時にはカペラの足で大きく後ろに飛んで回避している。飛びながら空中で一回転。マジックサークルを展開。

 土魔法、ソリッドハンマーを上から回転の勢いを付けて叩き付ける。グラズヘイムは真っ向からハルバードで岩を両断して突っ込んできた。精神防御の魔法を用いながら迎撃。鈍重そうな武器でありながら猛烈な勢いで振り切られるそれを、シールドを使って斜めに逸らす。身体が流れたが、グラズヘイムには攻撃を打ち込めなかった。衣服の陰から鮫が飛び出してきたからだ。

 こちらも負けじとネメアとカペラが飛び出してその鮫を押さえる。その隙を縫うようにグラズヘイムの身体が空中で回って、あらぬ方向からハルバードの斬撃が見舞われていた。
 寸前で止まって僅かに引いて、槍の穂先での刺突に変化する。シールドで止めると同時に魔力衝撃波で大きく弾き飛ばし、踏み込んでグラズヘイム目掛けて掌底を叩き込んだ。

 それを何か――虚ろな目をした人形の顔のような物で受け止めている。それでも衝撃は突き抜けてグラズヘイムに届いていた。

「やるなっ!」

 グラズヘイムは笑いながら後ろに飛ぶ。但し、銀色に輝く無数のナイフをばら撒きながらだ。
 ウロボロスを風車のように回転させてナイフを弾き散らしながら追う。悪夢を操るというだけあって何が飛び出してくるか分からない。

 追い縋りながらハルバードとウロボロスを打ち合わせ、飛び出してくる悪夢の影をネメアとカペラで撃墜していく。
 犬、鋸、蜂、槍。一切合財を砕き散らして大上段に振り被ってウロボロスを叩きつけるように打ち下ろす。しかしグラズヘイムは空いた手を自分の顔に掛けると、めりめりと引き剥がし、その下にあるものを俺に見せてきた。

「ククッ!」

 一瞬のこちらの逡巡を衝くように。背中側から旋回してきた――公爵の姿をした何かが俺の脇腹に手刀を叩き込んでくる。
 シールドが一瞬遅れて、魔力を集中させた肘で受け止める結果になった。衝撃が身体を突き抜けるが支障はない。逆側から挟み込むようにハルバードが迫ってくるが大きく後ろに飛んで距離を置く。

「甘いなぁ。私を倒したければレスリーを殺すつもりで来なければ」

 山羊の頭蓋の下にあったものは、眠るように目を閉じるレスリーの顔だった。それを俺の攻撃に対して盾に使ったというわけだ。こちらの攻撃にも公爵の偽者を使う徹底ぶりである。

「……なるほど」

 悪魔らしいと言えば悪魔らしい。レスリーを死なせないように魔力衝撃波で削って封印術を叩き込んで分離させるつもりだったが……。積極的に盾に使ってくるとなれば若干面倒ではあるかも知れない。

 1つ分からないのは。これだけの能力を持ちながら、追い詰められるぎりぎりまで能力を行使しなかったことだ。最初からお家騒動などとまどろっこしいことをせずに、能力を存分に使ってしまえば良かっただろうに。
 復讐だからとか興が醒めるとか言っていたが――それだけが理由だろうか?
 じわじわと公爵家を苦しめる。それは奴の性格からして分からなくもないが……こいつの能力を使えばいくらでも苦しめられるだろう。それができない理由がまた別にあった、とか? ならばここに来て何が変わったというのか。

 ――同調。同調した故に表に顕現した。夢と現を入れ替える能力。つまりこれは誰かの悪夢が表出したものだ。なら、その悪夢は誰のものだ?

 決まっている。レスリー=ドリスコル。彼以外にありえない。犯人として追い詰められたことで現実を受け入れられなくなって、現実を悪夢と見做して夢に逃げ込んだ。だからこそ、奴の下でレスリーは今も眠り続けている。

 突っ込んでくるグラズヘイム――いや、レスリーに向かって言った。

「レスリー=ドリスコル! これは夢なんかじゃない! こんな奴に好きにさせて良いのか!?」

 名を呼ぶと、一瞬ハルバードの太刀筋が揺らいだ。やはり。シールドを二度三度蹴って回避しながら軌道を変えて、すれ違いざまに加減してウロボロスを脇腹に叩き込む。

「貴様っ!」

 大きく身体を逸らしてハルバードの刃をやり過ごす。その場を退かず、斬り合い、打ち合いに応じながら俺は笑う。

「色々手口には疑問があったが……お前はレスリーが心の奥で望んでいること、胸の奥に秘めていることを夢を見せていると錯覚させて行動したんじゃないのか? わざと証拠を残すような手口も。余裕を見せてるんじゃない。レスリーの良心と、夢魔の綱引きの結果だったんだろう?」
「黙れっ!」

 余裕を見せて笑っていた先程とは明らかに違う。激高したグラズヘイムがハルバードを振るう。薙ぎ払われる斧槍を竜杖で受け止め――奴の頭蓋にこちらの額を叩きつけて、至近距離で牙を剥いて笑う。

「レスリーに知られたら困るか? レスリーが望んだことじゃなくて、お前が誘導したことだからな!」
「ぐうううっ!」

 俺の頭突きなど大した威力でもないだろうに。弾けるように後ろに飛んで、顔を押さえる。山羊の頭蓋に亀裂が走っていた。だがまだ足りない。亀裂が端から修復されようとしていた、その時だ。

「レスリー!」

 名を、呼ぶ者があった。俺ではない。俺の背後。レスリー=ドリスコルの遥か眼下。そこにはグレイス達より前に出て中庭に立つ、公爵の姿があった。

「私は――私は、思えば駄目な兄だったと思う。こうやって大使殿に聞かされ、お前のその姿を見るまで、お前の心に秘めていた悩みに、気付いてやれなかった」
「な、にを――!」

 グラズヘイムは苦しげに身を捩る。手で押さえる頭蓋の亀裂が広がっていく。

「私が不真面目だったが故に、真面目なお前にはそれが我慢がならなかったのか? お前を、怒らせてしまっていたのか? だとしたら、だとしたら済まなかった」

 そう言って公爵が深々と頭を下げる。
 そう。公爵が指紋の検出に積極的に協力してくれたのは、レスリーが犯人でないならその潔白を証明できるからだ。黒幕かも知れないと聞いてなお、公爵はレスリーを案じてもいたのだ。

「や、めろ……!」

 それはグラズヘイムの声か、それともレスリーの声か。

「お、叔父上!」

 オスカーが声を張り上げる。

「僕は、叔父上の旅の話が好きだったんだ! いつも静かで、知的だったから……僕はそんなふうになりたいって、憧れてた! 帰ってきて下さい!」
「ち、違う。私は……! お、あ、あああ!」

 ……そうか。オスカーは穏やかな感じだものな。それがオスカーの知っている、普段のレスリーの姿なのだろう。かぶりを振るグラズヘイムの頭蓋の罅が広がり、骨の欠片が零れ落ちていく。

「叔父様!」

 ヴァネッサが叫んだ。

「ずっと……ずっと不思議だったんです。あの時の叔父様の顔と、普段の叔父様がどうしても重ならなくて。でもやっと分かりました! 私の知っている叔父様に偽りなんてなかった! 誰だって、時には暗い感情だって持つけれど、そんなこと、そんなこと人間なら当たり前じゃないですか!」

 オスカーだって叔父を慕っていたし、ヴァネッサとて叔父を信じたいと思っていた。叔父のことを話すのを後ろめたいとさえ思っていたのだから。
 ヴァネッサの心に不安があったのはグラズヘイムの一瞬の表出を見てしまったが故。それはそうだ。レスリーの中にいる、他人を垣間見てしまったのだから。タネが分かれば疑う余地など、ない。
 いや、後ろ暗い感情があってもそれは誰しも同じで。だけれど信じると、ヴァネッサはそう言っているのだ。

「ちが、違う、私は違うんだ。違……や、めろ、やめろやめろやめろやめろおおおおおッ!」

 絶叫。それはレスリーとグラズヘイムの入り混じった声。
 振り上げたグラズヘイムの右腕が肥大化する。軋むような音を立てて、真っ黒な巨木が生まれた。破城鎚を打ち込むように、グレイス達の前に出ている公爵一家に向かって叩き込もうとする。

「させると思うのか?」

 それより早く攻撃の軌道上に身を置いて、眼前に巨大な多重シールドを展開して真っ向から受け止めていた。
 全身に突き抜ける衝撃。牙を剥き出しにしてウロボロスを全身で支え、押し戻すように力を込めていく。

「レスリー! 帰って来てくれ!」
「叔父上!」
「叔父様!」

 3人の叫び。夫人もクラークも、レスリーの名を呼ぶ。
 頭蓋の亀裂が致命的な広がりを見せる。グラズヘイムの魔力も乱れていた。レスリーの胸のあたりから全身に鎖のように巻き付いているが、その鎖に綻びが見られる。
 そう、あのあたりに何か――。首から、何かぶら下げている? それは首飾りのような――。

 公爵一家の呼びかけに揺らぐように、巨木の圧力が緩む。
 ならば、ここからだ。この距離から撃ち抜く。全身の動きと魔力を連動。高めていた魔力を掌のただ一点に集めて、黒い巨木に撃ち込むと同時に解き放つ――!

「穿て!」

 螺旋衝撃波。叩き込まれた魔力が黒い巨木を貫き、針のような一撃となって、レスリーの首から提げている首飾りに吸い込まれ、その一点で衝撃波を炸裂させた。
 呆気なく。何か小さな物が砕けるような音がして、首飾りが四散した。同時に山羊の頭蓋も黒い巨木も砕け散り、レスリーが落ちてくる。

「――目障りだ。何時までしがみ付いてる」

 その肉体には今、レスリーの意識もグラズヘイムの意識も表出していない。マジックサークルを展開し、目線の高さまで落ちてきたレスリーの身体に向かって封印術の楔を叩き込む。
 レスリーとグラズヘイムを繋ぐ魔法の契約。魔力的な絆に楔が穿たれる。元より完全でないそれは、意識の空白を縫って呆気なく分断された。

 レスリーの背中から、紫色の煙のような物が噴き出していく。噴き出して、離れたところで山羊の形に固まって実体化した。落ちていくレスリーをカドケウスが受け取める。

 そして空に残るのは三つ目の山羊と俺のみ。紫の山羊。悪魔グラズヘイム。悪魔の本体であり精神生命体。

「き、さま……!」

 くぐもった声で俺を憎々しげに見やる。依代にしていた物品に螺旋衝撃波を食らったからか、かなりダメージが受けているようだが……。

「まだ――まだ私の結界の内にいるということを、忘れるな!」
「来い――!」

 ウロボロスを構える。激高したグラズヘイムは気付いていない。奴が分離した時点で、俺とグラズヘイムだけを囲うように展開した結界に分断されている。クラウディアを頂点に、アシュレイ、マルレーン、ローズマリー、フォルセトからなるピラミッド型の結界。頂点に立つクラウディアが静かに見下ろしていた。
 逃がしもしないし、逃げもしない。徹底的に叩き潰す――!

 紫色に輝く山羊がこちらに突っ込んでくる。さっきよりも遥かに早い。紫色の流星のような速度で駆けるグラズヘイムに対して、最高速度で飛び回りながらすれ違いざまにウロボロスを叩き付ける。
 その度に火花が散る。青と紫の輝きを虚空に描きながら幾度も幾度も交差する。もっともっとだ。魔力を高めて練り上げろ――。

「人間ッ、風情がぁッ!」

 山羊の第三の目から魔力の光が四方に走り、周囲の景色が一変した。
 幻覚。それは雪景色。
 本体となったことで使える別の能力――? しかしこれは――。

 瘴気を浴びて落ちていく。それは母さんの姿だ。あの時の、俺の記憶――。

「テオッ!」

 グレイスの声。横から突っ込んでくる山羊。

「もらった――ッ!」

 横から突っ込んでくる山羊の角を、俺は手の平で受け止めていた。シールドを展開してそのまま固定。破邪の首飾りは砕け散ったが――元より、祝福やみんなの編んでくれたベストで守られている俺に、どう足掻こうとも憑依は不可能だ。
 だから反発する。本来実体のないこいつにも触れられている。それにしても……こいつ。こいつをどうしてくれようか。

「な……!」

 驚愕の声をあげる山羊。痛みにいっそ目が醒める。それで幻覚の景色が消えていく。よくもまあ、やって――くれた。
 あの時味わった無力感までそのまま味わわせてくれるとは。全て全てくっきりと思い出させてくれたよ。

「ひっ!?」

 角を掴んだままで多重にマジックサークルを展開。一つ目のマジックサークルで構築された術式に従い、夜空を焼き焦がすような雷撃が山羊の身体を焼く。

「ぎあああああああっ!?」

 絶叫。放り投げると山羊は悲鳴を上げ、空に向かって逃げ出そうとする。
 悪魔。精神生命体。肉の器がなければ現世に長く留まれない連中。ウロボロスが獰猛な唸りを上げて、増幅した魔力を術式へと練り込んでいく。
 第9階級光魔法――スターライトノヴァ。光の輝きがウロボロスの角の先端に集まっていく。

「消えろッ!」

 幾千もの浄化の輝きを束ね、巨大な1つの光弾に変えて撃ち放つというもの。ガルディニスの用いた闇魔法スターレスバスターの、対となるような魔法だ。呪詛か浄化かの違いはあるが、結果も概ね変わらない。つまり、当たれば何も残らない。

 奴がピラミッドの壁面に激突する寸前に、俺の術式が完成した。結界の壁面にぶつかり、山羊が振り返ったその時に見たものは、圧倒的光量を放つ真っ白な世界。

「あ――」

 悲鳴も上げられずに光に飲み込まれ、夜空に向かって極光が奔っていく。タームウィルズの街を、王城セオレムを。光の柱が白々と照らす。
 光の柱の中に片眼鏡で捉えている。端から粉々に消し飛んでいく、先程までは山羊の形をしていた魔力の塊。やがてそれは欠片も残さずに光の奔流の中に散った。

 ありったけの魔力を注ぎ込み、長々と輝き続けた光の柱が収まれば――そこには何もない。いつも通りの夜空が広がっているばかりだ。
 公爵家の別邸も、あちこち破壊の跡が残っているが、先程までの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
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