364 南方の情勢は
「遠路はるばるようこそいらっしゃいました。私はフィリップ=バルトウィッスルと申します」
「フィリップの妻のエレノアと申します」
食堂に向かうと、デボニス大公の長男夫婦から挨拶を受けた。フィリップはつまり大公家の後嗣で、次期大公だな。
長男と言っても父さんよりも年上だろう。ジョサイア王子やステファニア姫の叔父にあたる人物ということになる。
「初めまして、フィリップ卿、エレノア様」
「はい。お初にお目にかかります。父上から話は聞いておりますぞ」
と、相好を崩して握手を求めてくる。応じると、手の平がごつごつとしていた。
剣ダコがあるな。身のこなしもそうだが、しっかりとした武術を身に着けている人物のようだ。身分からすると大公領の騎士団を率いているのかも知れない。
「ご無沙汰しております、フィリップ叔父様」
「ああ。ステフも久しぶりだね」
ステファニア姫の挨拶を皮切りに、皆が挨拶をする。
「これはまた、大変な賓客揃いですな。さ、お席へ案内しましょう」
広い食堂の席へと1人1人通される。鼻孔をくすぐる料理の香りと、楽士達の奏でる楽しげな音楽。そこにデボニス大公もやってきて、宴が始まった。
楽士の奏でるダルシマーの音色が広い城の食堂に響き渡る。
ダルシマーは台形をした共鳴板の上に沢山の弦を張って、スプーンのような形状のバチで弦を打つことで音を奏でる、という楽器である。
素朴な曲から幻想的な曲、楽しげな曲など色々奏でてくれる、中々レパートリーの多い楽士であった。
かと思えばヴァイオリンに似たヴィオールという弦楽器が幽玄な音を奏で、燭台の明かりで揺れる食卓の雰囲気を何とも落ち着いたものにしてくれる。
それらの楽器に合わせて歌う歌姫など、色々楽士達が趣向を凝らして盛り上げてくれた。デボニス大公が呼ぶだけあって腕前も確かなものだ。
「あの楽器、面白かった」
「そうね。良い音色だったわ」
いつもは楽士側になるシーラとイルムヒルトが楽士達の演奏について楽しそうにそんな話をしている。
ダルシマーのことだろうか。タームウィルズに戻ったら色々楽器を調達してみるのも良いかも知れない。みんなのレパートリーや選択肢も増えるのではないだろうか。
「お楽しみいただけておりますかな」
魚料理を味わいながら楽士達の演奏を楽しんでいると、デボニス大公から声を掛けられた。
「はい。この白身魚の酒蒸しは美味しいですね。楽士の方々の演奏も楽しませてもらっています」
そう答えると、デボニス大公は満足げに頷いた。マルレーンも笑みを返したので大公は目を細めて穏やかな表情を浮かべている。
「準備した甲斐があるというものです。長期に渡ってご逗留願うというのも叶わない様子ですからな。せめても、落ち着いて休んでいただけるようにと考えた次第です」
「ありがとうございます」
全体的に落ち着いた曲調であったのは俺達がゆっくり休めるようにということなのだろうが、デボニス大公の嗜好も反映されたものだろう。もてなし方1つとってもそれぞれの当主の趣向が見えるような気がして中々面白いものだ。
「……しかし、南ですか。バハルザード王国は教団の残党を掃討しているようで、多少ごたついているようですな」
と、フィリップが言った。
「やはり、バハルザード王国には警戒が必要でしょうか」
南はヴェルドガルに比べると混乱が続いているせいで治安が悪いと聞く。デュオベリス教団が広まる契機となったのも、そもそも国が圧政を敷いたからと聞くが……まあ歴史的経緯というか、それも昔の話ではあるか。
一応、南に魔人に対する調査の名目で調査団を送る、とメルヴィン王が親書を送っている。バハルザード王からの了承したとの返答もあったそうだ。だからと言って、よく知りもしないのに警戒しなくていいとはならないだろう。
「どうでしょうな。バハルザードは王位継承がなされ、先王の時より国政にも落ち着きを見せております。私の見解ではこの時期に我が国との約束を反故にするようなことはしないのではないかと」
デボニス大公が少し思案するような様子を見せて言った。
「となれば……寧ろ野盗などに対する警戒のほうが必要でしょうね」
「かも知れませんな。政変が起これば失脚した側が盗賊に身を窶すというのは考えられることです」
「彼の国はデュオベリス教団とは犬猿の仲です。詳細は伝わっていないまでも、教団とも戦ったヴェルドガルに対して悪い印象を抱いているとは思えませんな。元々交易も行われていますし、国内が安定もしていないのにヴェルドガルと諍いを起こすのは避けたいのではないかと思われますぞ」
と、フィリップ。んー。ロイが南に対して戦を仕掛けたいと思っていたことからも分かるが、国力としてもヴェルドガルのほうが上のようだしな。
向こうとしてはヴェルドガル側は刺激したくもないし、交流も持っておきたいというわけだ。それに魔人絡みのことで邪魔をしたともなれば他の国々からの印象だって悪くなってしまう。
「なるほど。こちらが無理を言わなければあちらも積極的には敵対や妨害はしないと」
「でしょうな」
ふむ。デボニス大公やフィリップは南方の情報を色々持っているようだな。食事が終わったらもう少し事情を聞いてみたいところだ。
「僕達が調査に向かう先は――地図上ではこのあたりになります。何かご存じのことがあればお話を伺いたく存じます」
机の上に地図を広げ、場所を指し示す。
晩餐が終わってからみんなで執務室へ移動し、2人から話を聞くことになった。南についての話を聞かせてもらえないかと言ってみたところ、デボニス大公とフィリップはお役に立てればと二つ返事で引き受けてくれた。
問題の場所はバハルザード王国の南西部に位置する。国境からは結構あるな。
「このあたりは30年ほど前に小国がありましたが、高位魔人の襲撃により滅んだと聞きます。しばらく混乱があったようですが、その後バハルザードに編入されたようですな」
「例の……無明の王による襲撃事件のことですね」
「うん。今はバハルザードの領土か……まあ、地理的にもそうなるかな」
グレイスの言葉に頷く。
「教団の活動範囲については?」
「バハルザードの北部から中東部を中心に活動していたようですな。正直申しますと、この近辺ではあまり活動していたという話を聞きません」
「それもそのはずで、教祖直々にその近辺に近付かないようにという通達を出していたそうでしてな」
「弟の捕えた教団員からの情報で、教団にとって聖地なる場所があるとの情報を得たわけです」
フィリップの弟。つまり国境の鎮護に当たっている人物からの情報だな。ローズマリーが眉根を寄せて言った。
「教祖こそが魔人で、信徒を利用していたと考えると……。その土地で活動してほしくなかったからとテオドールは見ているわ」
「なるほど……」
ローズマリーの言葉にフィリップが感心したように唸る。
そう。教団にとって……いや、魔人であるガルディニスにとって、その土地こそ隠したいものだったのだろう。信徒がその場所で活動することで、藪蛇になってしまうことを恐れたと考えれば色々と腑に落ちる。
聖地などと呼ぶのなら巡礼したりするのが自然だろうし、近付くなというのは教団にとっての利益というより、魔人にとっての利益だからだ。
「教祖を失った教団の残党が聖地に望みをかけて集まる、ということはありませんか?」
アシュレイがそんなふうに尋ねた。残党……もしくは、教団の協力者達が聖地に興味を抱くというケースも考えられる。協力者というのは、つまり吸血鬼達だ。
「捕えた幹部は、実際そのように考えていたようですな。しかし教祖を失ってからの教団は随分と力を失っているようで、各地で分断され、バハルザードの兵に捕えられたりしているようです。状況から見ると、結集を呼び掛けられる者が残っているかさえ怪しいように思います」
「半魔人の秘術もそうだけど、ガルディニスがいなくなれば、個人が抜けただけでは済まない全体的な戦力の低下が起こるわ。教団にとっては大きな痛手よね」
そうだな。クラウディアの見解には俺も賛成だ。ガルディニスが抜けた穴を埋めるのは難しい。戦力として見ても組織として見てもガルディニスさえいれば無茶な作戦でも通せるし、窮地になっても無理矢理抜け出せる。それを前提としていたのに突然できなくなったとなれば、後は撃破されるしかない。
だが吸血鬼達はどうかとなると少し事情が違う。連中は元々別の組織で、ガルディニスとはまた違う者を首魁と仰いでいたからだ。だからこそ、ガルディニスがいなくなった後でも纏まることができる。
俺が聖地で連中とぶつかるかも知れない、と警戒しているのはこのためである。
まあ……デュオベリス教団とバハルザード王国の現状について大まかなところは分かった。後は実際に行ってみてだな。今のところ警戒すべき相手に挙がった連中というのは、俺も気兼ねなく暴れられる相手ばかりのようだし。




