325 伯爵領へ向かって
「これがその、ハーベスタですか……うん。裏の畑でも見せてもらったけれど、やっぱり大人しいのね」
ミシェルは机の上に置かれたハーベスタをまじまじと眺めると、やがて恐る恐るといった様子で掌を差し伸べるように伸ばした。ハーベスタはゆっくりと首を巡らせるが噛み付こうとはしない。互いに攻撃の意志がないことを確認するかのような距離感ではあるかな。
ミシェルはそっとハーベスタの頭を撫でてから、猫の喉を撫でるように首というか茎の部分を人差し指でくすぐる。
少し下を向いていたハーベスタだが、喉元を晒すように上を向く。ミシェルは嬉しそうな表情だ。ふむ。ノーブルリーフ達とも上手くやってくれそうな人物であるな。
「失礼します」
そこで使用人がお化けカボチャの料理を運んできた。パンプキンスープだ。
「ハーベスタと一緒に植えて育てた巨大カボチャの料理です。まずは実際に味わってみてください」
そう説明するとミシェルは目を丸くし、続いて笑顔になった。
「それでは、頂きます」
家での試食会や昨日の宴会では好評だったが……ミシェルの観点ではどうだろうか。スプーンで掬って口に運ぶ。一口、二口とじっくり味わっていたが、次第にミシェルの表情が明るくなっていく。
「美味しいです。裏の畑で育っている作物も見せてもらいましたが、これは……すごいですね」
「大きく育って味も良くなるというのは実証されたところがあります。イビルウィードではそぐわないのではないかと仰る方もいて、ノーブルリーフに改名するという話にもなっています」
「いい名前ですね」
「ありがとうございます。しかしまだ幾つか実験をしなければならない項目が残っていまして」
「土の力が失われてしまわないか……ということでしょうか?」
さすが。魔法を農業に活かそうと研究しているだけのことはある。
土魔法や木魔法を安易に使って短期的に収穫を増やすのは簡単だが、それは土壌内の栄養素を一気に消費させているだけであり、あまり適当なことをやると後々の収穫が先細りになってしまうのだ。だから専門にしている魔術師は魔法で弊害が出ないようにと色々と研究していると聞く。
だから、それと同じことをノーブルリーフが起こさないかどうかについて観察を続けていく必要があるわけだ。
「そうなります。カボチャだけでなく、本命である小麦と一緒に植えた場合にどうなるかも観察したいのです。そのうえで影響を見て、問題が無さそうなら農法として広めてもいきたいと考えています」
「ですから、シルン男爵領で実験と観察ができればと、テオドール様と話をしていたのです」
農民達に理解を得てもらうためには実際に農法を行っているところを見てもらうのが一番だろうからな。穀倉地帯であるシルン男爵領なら打ってつけというわけだ。
「なるほど……。そういうことでしたか」
「差し支えなければ、ミシェルさんの得意としている魔法をお聞きしたいのですが」
「水と土の魔法を多少使えます。職業柄と言いますか……。ゴーレムを作って農作業を手伝わせたりぐらいはできます」
アシュレイと顔を見合わせて、頷き合う。これ以上は望めないぐらいの人材だろう。
「もしよければ、是非ミシェルさんに実験の協力をお願いしたいのですが」
「本当ですか!?」
ミシェルは表情を明るくして腰を浮かせる。うん。ミシェルのモチベーションも高そうだ。
「ええ。よろしくお願いします」
俺とアシュレイと、それぞれに握手を交わす。ミシェルに頼むというのが決まったところで……実験に付き合ってもらうに当たっての雇用条件だとか、イビルウィードからノーブルリーフへの性質の変え方など、具体的な部分も話をしていこう。
「種の状態から水魔法で鉢植えで育成……益虫と害虫の取捨選択……。畑に植えておいたものを鉢植えにして、暖かい場所に戻したことで種を託された……うん。なるほど……」
ミシェルは手帳らしき紙束にメモを書きつけている。備忘録といったところか。
「ハーベスタの、次の世代以降のことも研究したいところですね。魔物は幼少期に置かれた環境の魔力で性質が固定されます。凶暴化したり、大人しくなったりといった具合ですね」
「それは……セイレーンやラミアのような?」
「そうです。元々攻撃的な種族というのもいますがノーブルリーフは違うようですね。人間との共生関係を築こうと考えられる程度には頭が良いようですので……そうなると学習だけで変化が出る可能性もあります」
イビルウィード改めノーブルリーフは、先天的に凶暴な種族というわけではない。
ならばハーベスタの次世代は周囲を見て学習することで、水魔法で育てなくても人間との共生関係を得だと学んで、攻撃を控える……という可能性も考えられるわけだ。
そのあたりは、観察を続けていかないとまだ何とも言えないところがある。性質変化に関しては一代一代のものなので、とりあえず水魔法を使えば大人しくなるというのは分かっているが。
そういった考えを伝えてみると、ミシェルは感心したように頷いた。
「確かに……。少しずつ条件を変えて比較していくというのは重要ですね」
「実験中に野生種が混ざってくる可能性も考えられますから、何か目印をつけてあげるのがいいのではないでしょうか?」
と、アシュレイ。確かに。紛れて分からなくなってしまうとこまるな。
「では、水魔法で育てた個体には、目印の飾りをつけてあげるというのはどうでしょうか?」
「それは良いかも知れませんね」
アシュレイとミシェルは和気藹々と会話を進めている。
んー。野生種と見分けるためにリボンを装着させる、というような感じだろうか? まあ……似合わないわけではあるまい。
「しかし、これから冬では実験が止まってしまいますね」
「それでしたら、温室を作りましょうか。小麦には向きませんが」
次に石碑を使ってシルン男爵領に来る時のことを考えて、資材などの準備を進めておくとしよう。
秋から冬にかけては良いが、夏場の温室作業は大変だ。弱い冷気を纏える魔道具なども用意しておこうか。これについては後でアルフレッドに相談してみよう。
ミシェルのところには後日タームウィルズからノーブルリーフとその種を持っていくということで話が付いた。
その後はシルン男爵家で昼食をとり、ゆっくりと食後の茶を飲んでから出発することになった。父さんとマルコム達もシリウス号に乗っていくのでシリウス号に荷物を積み込んでいく。みんなレビテーションの魔道具を装備しているので積み込みは簡単に終わったが。
セラフィナも魔力は高いので自分の身体より大きな荷物をレビテーションの魔道具で浮かせて、飛行船に積み込み、一仕事終えたというような顔をしている。
「パトリシアの家と、墓所か」
「湖畔の、綺麗なところですよ」
ジークムント老の漏らした言葉に、グレイスが嬉しそうな表情で答える。
「それは楽しみね」
「パトリシア様のお屋敷……気になります」
ジークムント老とヴァレンティナが頷く。先代封印の巫女の家ということでシャルロッテは真剣な面持ちだ。
「僕も楽しみだな。テオ君の話を聞いていると、何というか……物語か何かに出てきそうな家のようだし」
「どんな家なのかしら?」
アルフレッドが言うと、ステファニア姫が反応した。
「木魔法で作った巨木をくりぬいた家。木の匂いが好き」
「お風呂場がまた素敵なのよね。景色が一望できて」
……という感想はシーラとイルムヒルトのものだ。マルレーンもこくこくと頷いている。
「あれだけの巨木を木魔法で作るというのは相当なものね」
「しかもあの木は生きているでしょう。葉も生い茂っているし」
「秋口だと果実も採れるよ」
クラウディアとローズマリーの言葉に補足説明を入れる。
「それは楽しみね。やっぱりテオドールと一緒だと退屈しないわ」
ステファニア姫が楽しそうな表情を浮かべ、アドリアーナ姫も腕組みしながら目を閉じて頷いている。
盛り上がる面々を見てアシュレイも穏やかに微笑みを浮かべると、エリオットやカミラに向き直り言葉をかわす。
「それではエリオット兄様、カミラ義姉様、帰り道に迎えに上がります」
「ああ。何かあったら通信機で連絡を取るよ」
エリオットは穏やかに笑みを浮かべる。うん。2人には夫婦水入らずということで、シルン男爵領でのんびりしてもらえたらと思う。
「ではアシュレイ様。お気をつけて」
「ええ、爺や。行ってきます」
シルン男爵家の皆と言葉を交わし、シリウス号に乗り込む。操船席に座り、水晶に手を翳して浮上させる。
水晶板に映し出されるのは寄り添うエリオットとカミラ、そしてケンネルとドナート達。彼らはシリウス号が小さくなって見えなくなるまで、ずっと見送りに立っていてくれたようだった。
町の様子は……まだ昨晩のお祝いムードが続いているようだ。
着飾った人々と花で飾られた窓。こちらに向かって大きく手を振る領民と冒険者達。アシュレイとステファニア姫、アドリアーナ姫が男爵領の人々に向けて甲板から手を振っているのが見える。
さて、それでは――ガートナー伯爵家へ向かうとしよう。




