29 使い魔カドケウス
「どうでしょうか?」
今日の朝食は白パン、魚貝のスープ、自家製ベーコンの入ったサラダである。
スープの味付け担当はアシュレイのようだ。スプーンを口に運ぶのを、不安げな表情で固唾を飲んで見守っているような状況である。
「ん。美味しいよ」
やや酸味の利いた、あっさり目の味付けだ。
「アシュレイ様は上達が早いですね」
アシュレイへの家事全般の指導はグレイスである。
男爵家の当主が家事というのもどうかと思うのだが……アシュレイに言わせると書斎の本で読んだように――夫に手料理を振舞うだとか、そういう生活に憧れが有ったそうだ。循環錬気も日課になっているのでアシュレイの体調はすこぶる良く、身体を動かせる事が嬉しいらしい。
というわけで家の中の事は3人で持ち回り、である。
朝食が終わると居間に移動しお茶を飲んだり雑談したり。一休みしてから各々の予定に合わせて動く、という感じになるのだが――。
「失礼します」
居間の長椅子に座っているとグレイスが隣に寄り添い、軽く体を預けてきた。アシュレイはアシュレイで、やや遠慮がちにおずおずと俺の手を取る。
体温を感じるぐらいの距離で挟まれ、思わず居住まいを正してしまうが……ええっと。
グレイスにとって吸血衝動の反動解消は必要な事なので、そうなると必然的に俺に触れたり抱きしめたりという時間を作る事になる。餓えと同じで耐えている事はストレスになるようだし。
だから今まで通りの生活を維持する……というところまではいいのだが。それをアシュレイがただ見ているだけというのもという事で、こういう時間を作ろうと2人から提案された。
色々拙いんじゃなかろうかと伝えてみたが、彼女達の知識が乏しい事もあってあまりピンと来ないようだ。日本の教育とか情報化社会って偉大だなと思う今日この頃である。
グレイスが世間の常識からやや乖離しているのは解っている。アシュレイはどうなのかと少し探りを入れてみたのだが……彼女が受けた教育は貴族としての心構え的なものだけなようで。具体的に貴族が婚姻してどうするのが義務、みたいなものはあまりよく知らないようだ。
俺が不甲斐ないなら見限って構わないと2人には伝えたんだが――あの後で、他の方の所に行く気は全く有りませんからと、はっきり言われてしまったしな。うーん。
年齢と知識。現状の立場、将来的な事などを勘案するに……やっぱり手順はきっちり踏まないといけないわけで。そこも前と何も変わりはない。
つまりこれはあれだ。俺の理性耐久試験だな。
朝食後にしよう、というのは俺の提案である。その後の予定があればそこまで耐久すればいいわけだから。
「はぁ。やっぱり落ち着きます」
「お父様とお母様は……丁度お二人みたいな感じで過ごしている事が多かった気がします」
グレイスとアシュレイは顔を見合わせて微笑み合う。
……2人が嬉しそうで何より、という事にしておこう。
「あ。カドケウスが帰ってきました」
閉まっている窓枠から黒い液体のようなものが侵入してくる。
床に黒い水たまりが出来上がったかと思うと、中央から盛り上がって……やがて大きな体躯の黒猫の姿を取った。普通の猫の……5割増しぐらいの巨体である。目の部分は構造色による、金属的な光沢を放っている。
魔法生物にして使い魔の影水銀である。カドケウスと名付けた。
見た通り本来は液状の身体で不定形だが、硬質化などの芸を持つ。
今現在は夜間、家の周囲の警戒をしてもらっている。具体的には網の目状に広がってもらって、家の周囲全体の監視役を受け持ってもらっているというわけだ。
影水銀は身体全体が目であり脳であり、触覚も有してるようなものなので、広がった範囲内の出来事を手に取るように感知できる。元々黒色なので夜間警備にはうってつけだろう。
「報告を」
テーブルの上に座ったカドケウスに尋ねると、黒猫の姿が崩れた。家の周囲の地形をそのまま縮小させた形を取る。
昨晩から今朝に至るまでの人の往来を、ミニチュアの上に早回しで再現してもらう。
カドケウスの記憶を立体的に再生しているわけだ。監視カメラの映像を見ているようなものだが……往来している人間は服装やら何やら、細部の再現が微妙な部分がある。これはカドケウスの認識能力の死角になっている部分だろう。
影水銀のスペックは材料として使った血液や主の能力などにも依存するのだが、俺とグレイスの血液を材料として提供したカドケウスは、作製を依頼した錬金術師ベアトリスが想定していた以上のハイスペックになった。これで1500キリグ。いや、安い買い物である。
何故こんな事をさせているのかと言えば、防犯上というかモーリス伯爵対策というか。まあ、そんな感じだ。
「この人――さっきから動きませんね」
グレイスが指し示したのは、我が家の裏手の塀の角に佇む一人の人物だ。フードを被っており顔の形はうかがい知れないが……せわしなく視線を巡らせ、周囲を窺っている様子が見て取れた。
はっきり言って、これ以上ないほど不審な動きである。
「カーディフ伯爵家ゆかりの方でしょうか?」
「それにしちゃ動きが変だ」
我が家を監視しているというよりは、周囲の往来を警戒している感じ。俺の家に近付く者を物陰から監視しているように見える、というのが一番正確か。
しばらくそいつに注目して見ていると、やがてフードに手をかけ顔を露わにする。それから頭と――特徴的な獣の耳を軽くぶるぶると振るい、再びフードを被ると立ち去っていった。
「獣人族……ですね」
ミニチュアの上、黒1色でも解る耳の形。
俺の家の周りを警戒する獣人族、ねえ。ちょっと心当たりがないんだが。
伯爵家の手の者とも、王子の手の者とも思えないというか。
「カドケウス。こいつの背格好と顔は記憶してるか?」
ミニチュアセットが形を変え、縮小した獣人の姿を取る。服装は判別可能だが……肝心の顔がカドケウスの死角だったようでよく解らない。
「……この獣人と似た背格好の人物を街中で見かける事があったら知らせてくれ」
カドケウスは獣人の姿で、そのまま頷いた。
目的が解らないだけにできる事なら話を聞いてみたいところではあるが、話しかけたらいきなり攻撃を仕掛けてくるという事も考えられる。判断が難しいところだな。
「まあ、こいつの事は保留として。――アシュレイの今日の予定は?」
アシュレイとは婚約者になったという事で。彼女に話しかける時の口調もあまり他人行儀なものにならないようにした。普段通りの俺を見せるようにしたというのが正しいが。
「今日はロゼッタ先生の講義があります。今日は防御魔法と強化魔法の講義と言っていましたよ」
……ロゼッタの教える講義が治癒魔法から外れてきているな。
俺の婚約者という事になったからか、治癒魔法に限らずアシュレイに習得可能そうな手札は遠慮なく教えていくつもりらしい。
ロゼッタが言うには。治癒魔法が使える領主となると、領地内で魔物の異常発生や襲撃などがあった時に出番があるから多少実戦経験を積んでおくべき、との事だ。
要するに、もう少し魔法の腕が上がったら多少迷宮に潜れ、という意味だろう。
BFOでも迷宮内で魔物を倒すと経験値が割増だったからな……。それは現実である今でもあるようで、迷宮内で魔物を倒し続ける事で筋力やら体力、魔力の増大などが見られるそうだ。
実戦経験だけに留まる話ではなく、アシュレイほどでないにしろ母さんも体調を崩しがちな体質ではあった。若い頃、ロゼッタと少しずつ迷宮に潜って身体を鍛えるという方法を取って……それで多少の改善が見られたそうだ。
言わば迷宮レベリング健康法、という感じだが。アシュレイを連れていくのは、もう少し彼女の魔法が実戦レベルになってからだな。
多分、頃合いを見てロゼッタの方から打診してくるだろう。比較的安全な階層でサポートしながら様子見という形になるだろうか。その前に赤転界石も手に入れておこう。
「俺はロゼッタが来たらちょっとカドケウスと一緒に出かけてくるよ。グレイスも解放状態にしておくから留守番していてくれ」
「どうなさるおつもりですか?」
「買物ついでに1人で歩いてみる」
いい加減、まともな杖とローブを手に入れたいというのもあるが――要するに単独行動で敵を釣るつもりでいるのだ。




