234 王太子の武官
早朝――。王城関係者とジルボルト侯爵家の面々は王城で合流する予定だ。
荷物を積み込んだ竜籠は王城に預けてあるので、後はこのままみんなで馬車に乗り込み、王城へと向かうだけである。
セシリアとミハエラ。それから迷宮村の住人達が玄関ホールに集まり、見送りに来てくれた。
「行ってきます、セシリア様、ミハエラ様」
「はい。お気をつけて、グレイス様」
「グレイス様は一生懸命な分、時々無理をなさることもあります。十分気を付けて」
「はい。ミハエラ様」
グレイスが2人の言葉に笑みを浮かべて頷く。あちこちで見送りの言葉がかわされる。
「無茶をして怪我をしないようにな」
「イルム、気をつけてね」
「うん。行ってくるね、お父さん、お母さん」
イルムヒルトは両親と抱擁を交わす。
「では姫様。お気をつけて」
「ええ。留守の間、みんなのことをお願いね」
フォルトックや迷宮村の住人達もクラウディアの手を取ったりしている。
十分な時間を取ってから、頃合いを見計らって口を開く。
「それじゃあ――行ってくる」
「はい、旦那様、いってらっしゃいませ」
「御武運を」
「お留守の間のことはお任せください。皆様も、お怪我をなさいませんよう」
そう言って深々と頭を下げて見送ってくれるセシリアとミハエラ。
馬車に乗って、みんなに笑みを向けて手を振ると、向こうも振り返してくれた。
「おはようございます」
「うん、おはようビオラ」
途中で大きな荷物を抱えたビオラを馬車で拾って、そのまま王城へと向かう。
王城に着いてみれば、迎賓館前の広場には既に竜籠が準備されていた。2つの竜籠。エルマー達も竜籠で同行するため、割と大規模な編成になってしまっている。
メルヴィン王を始めとした王族と、オフィーリア。騎士団の面々にジルボルト侯爵家の3人と、家臣達。
ペネロープも来ている。見送りに来てくれたわけだ。
「おはようございます」
「うむ。出立に相応しい良い朝であるな」
メルヴィン王は笑みを浮かべる。空は快晴。天候には恵まれたようだ。
「御機嫌よう、アシュレイ様」
「はい、オフィーリア様」
アシュレイとオフィーリアが挨拶をかわしている。学舎で交流があるからか、2人の仲は良好なようで。
「おはようございます。マルレーン様、今日のお加減はいかがですか?」
マルレーンはペネロープのところへ駆けていく。ペネロープはにこにこと笑うマルレーンをそっと抱き留めるように受け止めると、頷きながら彼女の髪を撫でる。
「姉上。お気をつけて」
「お前こそ気をつけなさいな。わたくしのことで余計な真似をしていると、厄介ごとを呼び込むわよ」
「気を付けます」
ヘルフリートの言葉に、ローズマリーは羽扇で口元を隠したままそっぽを向いて鼻を鳴らす。
「一度戻ってくるとは言え……十分に気を付けるのだぞ」
「はい」
メルヴィン王の言葉に頷く。見送りの時間を十分に取ってからリンドブルムの繋がれた竜籠に乗り込んだ。
大型の竜籠2つだが、俺達の竜籠に工房の2人とオフィーリア、それにステファニア姫とジルボルト侯爵家にテフラも乗り込む形になる。結構な大所帯だ。
もう片方の竜籠にエルマー達が乗り込んだところで、リンドブルムに指示を出す。
「リンドブルム。北だ。フォブレスター侯爵領へ」
俺の言葉にリンドブルムが一声上げる。リンドブルムの声に促されるように飛竜達が一斉に翼をはためかせ、竜籠が高度を上げた。
眼下のメルヴィン王達に、マルレーンが窓から手を振る。メルヴィン王は目を細めてマルレーンに手を振って――やがてその姿がどんどん離れて、小さくなっていった。
陽光を浴びて煌めく海原が綺麗だ。竜籠に乗って上空から見る透き通った海はマリンブルーとエメラルドグリーンの色彩を眼下に広げている。
海沿いに続く街道の上空をリンドブルムに率いられた飛竜が進む。このまま北東へと進んでいけばフォブレスター侯爵領に至る。
イルムヒルトがリュートの演奏を始めた。爽やかで明るい曲調の音楽で、今の季節とこの風景にはぴったりな感じだ。
アルフレッドとビオラは移動中も作業を続けるらしい。急所を守るように竜鱗を組み込んだ衣服の仕上げというところだ。
要所要所を覆うように竜鱗がプロテクターとして縫い付けられた、アルケニー糸の防護服だ。薄手ではあるが……普通の刃物では傷もつかないそうで。
「アルも大変ですわね」
オフィーリアがその作業風景を覗き込みながら苦笑する。
「ここのところ忙しくて、悪いと思ってるよ」
「構いませんわ。私は、アルが仕事をしているところは嫌いじゃありませんし、大事なお仕事ですもの。領に着いて時間ができたら、ゆっくりとお話をすれば良いのです」
「あはは。うん。約束するよ」
アルフレッドの返答に、オフィーリアは笑みを浮かべて頷く。ふむ。
とりあえず邪魔をしても悪いし、アルフレッドの仕事が一段落するまで、俺も侯爵に渡す物を渡したり、話を聞いたりとやるべきことをやっておくか。
「侯爵。これが魔女の胸像です」
ジルボルト侯爵に木箱を差し出す。
魔女アルヴェリンデの胸像とその鋳型が入った木箱だ。
「確かに受け取りました」
ジルボルト侯爵は木箱を受け取ると、箱の蓋を開けて中を覗き込み、僅かに眉をしかめる。
「いやはや……生き写しですな」
「……お父様……。それは、大丈夫なのですか?」
ジルボルト侯爵の娘、ロミーナは魔女の胸像と聞いて不安げに尋ねてくる。
「魔女の姿とは言え、これはただの石膏でしかないよ。だが、お前達は見ないほうが良いね」
侯爵は穏やかに笑って木箱を閉じると、竜籠の隅にそれを置いた。ジルボルト侯爵は、穏やかな良い父親といった風情がある。
侯爵は俺に視線を移すと、言う。
「ああ、そうです。魔女が魔人だったということで……王太子側の人物で1人、気になる者がいるのですが」
「それはつまり……侯爵はその人物を魔人だと見ているわけですか?」
俺の問いにジルボルト侯爵は首を横に振る。
「分かりません。しかし出自が不明瞭と申しますか。シルヴァトリアには関係がないようで、どうにも謎が多いのです。4年前に王太子が推挙し、瞬く間に魔法騎士団で頭角を現した男でしてな」
ふむ。ここでわざわざ言及するぐらいなのだから注意すべき人物ということなのだろう。恐らく王太子側の武官ということで、顔を合わせるようなことがあったら注意というところか。
「それは、ベネディクトという方でしょうか?」
と、ステファニア姫が尋ねてくる。
「ステファニア殿下はご存知でしたか」
「シルヴァトリアでは有名ですもの。私は会ったことはないけれど、噂ぐらいなら聞こえてくるわ」
「どんな人物なんですか?」
「常に目元を覆うような仮面をしているそうよ」
仮面……。それはまた酔狂な。
「逆に言えば、それが特徴とも言えますな」
「それで有名になったというところでしょうか?」
問うと、ジルボルト侯爵は苦笑する。
「それもあるとは思います。顔に火傷の痕があるので、それを隠していると本人は言っているそうで。王太子の抱える人材の中では最も謎が多く、そして武術、魔法共に相当な腕を持っている武官ですな」
「素行が悪いなどという話は?」
「その点については問題のない人物のようですが」
ジルボルト侯爵の言葉に、ローズマリーが広げていた羽扇を閉じて言う。
「出自が違う。つまり王宮や国内に繋がりやしがらみがないから、王太子としても重宝するということかしらね」
「それに加えて悪評もないなら、誰とも遺恨が無いってことでもあるからな。自分自身に悪評がある王太子にしてみれば、使いやすいのかもな」
「そういう部分はあるかも知れませんな。実際王太子から直々に命令を受けて動くこともあるようで。もしかすると魔女を迎えに領内に現れたり、或いは王太子を追及しているところで衝突するようなことがあるやもと思いましてな」
なるほど……。直接会う可能性が高いから俺に話をしていたわけだ。
……ベネディクトね。魔人かどうかは断定できないが……話を聞く限りでは少なくとも王太子直属の部下といったところだろうか?
タームウィルズに潜入していた魔人――リネットが結界を通るための触媒を調達していたと考えると、時期的にはこれが魔人であってもおかしくはない……かな?
しかしわざわざ触媒を使わせてまであちこちに使い走りさせるのは非効率的だ。あれが貴重品だから魔人も大挙して押しかけてくることができないのだろうし。シルヴァトリアにやってきた時期を考えると……賢者の学連の事件とは関係が無いように思えるが。それに、どこまで王太子のことを知っていて仕えているのかという問題もある。いったいどんな人物なのやら。
「素顔が分からないのでは困りますね。向こうが仮面をつけてくるとも限りませんし」
アシュレイの言葉にクラウディアが頷く。
「そうね。密偵のために普段仮面をつけてる可能性もあるわ」
それはいかにもありそうだな。傷を隠すためというのも、理由足り得るだろうけれど。
「気に留めておくことにするよ。ベネディクトの名を出して揺さぶりをかけるのに使えるかも知れないしな。まあ、今から気を張っていても仕方が無い」
「それでは一息入れましょうか」
「そうだな」
「お手伝いします」
話に一区切りついたところでグレイスがアシュレイと協力して冷たいお茶を淹れてくれる。木のコップに注いでみんなに回していく。
「焼き菓子も用意してきました。向こうの分もありますよ」
「了解。エルマーさん、ちょっといいですか?」
竜籠の窓から顔を覗かせ隣の竜籠に呼びかけると、向こうの窓からエルマーが顔を出した。
「何でしょうか?」
「そちらに水筒と焼き菓子を送ります。みなさんでどうぞ」
隣の竜籠にレビテーションでお茶の入った水筒と、焼き菓子を詰めた箱を送る。
「これは……ありがとうございます。ありがたく頂戴します」
それらを受け取ってエルマーが笑みを浮かべる。
ふと、振り返るとシーラと視線が合った。その手にカード一式が燦然と輝いていたりして。
「カード、する?」
ステファニア姫やジルボルト侯爵家の面々が何だか分からずに首を傾げる。
ああ。それもいいかもな。未経験者もいることだし。アルフレッドとビオラも作業の手を休めて一息ついているようだし、丁度良いのではないだろうか。




