228 姉と弟
「随分面白い話ね、ヘルフリート」
ローズマリーは羽扇を広げ、口元を覆うと笑う。笑ってはいるが、明らかにヘルフリートの言葉を快く思ってはいない。そんな印象があった。
「けれどお前にそんなことを言われなくても、わたくしはわたくしの好きなように――」
「それは無理だよ」
ローズマリーに対して、ヘルフリートは退かなかった。言葉を遮るように言い放つ。
その反応が予想外だったのか、ローズマリーは羽扇で口元を覆ったまま目を丸くする。
「昔の姉上なら父上の意向も無視して好きなようにしたかもしれない。でも今は無理だ。僕にだって分かる。父上だって他の貴族との火種を抱えている姉上の縁談には積極的にならないだろうし」
ヘルフリートはローズマリーに対してどこ吹く風といった様子で、そんなふうに言ってのける。何というか……前回手酷くやり込められた分、開き直っているような印象があるな。
しかし確かに。ローズマリーに関して言うなら暗殺の危険だってあるし、持っている情報を利用される可能性だってある。
ローズマリーの築いていた人脈から考えても結婚した相手によっては割と勢力図に影響を与えてしまうのではないだろうか。
けれどそれをこの場で俺に伝えるというのは。ヘルフリートの思考としては、俺に考えてほしかったと、そういうことなんだろう。今後も姉の立場を安定的なものにするためには働きかけぐらいは普通にすると。
「大きなお世話だって、姉上は言うんだろうね。でもさ、さっきの話で疑問に思ったんだ。姉上は古文書の解読が終わったら、また北の塔に戻るのかなって」
「お前……」
ヘルフリートの言葉に、ローズマリーは眉根を寄せる。
「それも受け入れるんだろ? これでも、少しぐらいは姉上の考え方は読めるよ。弟だしさ」
「上等だわ。悪くないわよ、あそこも」
「またそういうことを言う。自棄になったり短慮を起こす前に道筋がないか考えろって、前に僕に言ったのは姉上だろうに」
ローズマリーはその言葉に返答に詰まった。売り言葉に買い言葉という自覚があったのかも知れない。
ヘルフリートは俺に向き直ると、頭を下げてくる。
「すみません。突然こんな話を。失礼であることは承知しています。僕は姉上がまたあの塔に戻るようなことになるのは見たくないんです」
……なるほど。話は分かった。メルヴィン王は経緯上俺には切り出せない立場だろうし、ヘルフリートは耳にした事情から、姉の行動を経験則を踏まえてそのあたりまで考えたんだろう。
「そういう話でしたら……僕は婚約者達にもこの場にいてもらうべきなのかなと思います」
ここから先の話をするならみんなにもいてもらう必要があるだろう。こういう話は知らせないで進めたくない。
「その必要はないわ。確かに彼女達も当事者だけれど、気持ちを確認すればという話なら、私の気持ちを最初に言ってしまえば終わる話でしょう?」
「……状況がどうであれ、姉上が嫌いな相手に厄介になるとも思えないんだけど」
「黙りなさい。気に入っているのは認めるけれど、わたくしは別に、テオドールをそういう意味で好いているわけでは――」
立ち上がって、羽扇をヘルフリートに突きつけて。
そこまで言葉を発したところで、ローズマリーの言葉が止まる。それから、かぶりを振った。
「……これを言い切ったら、多分抵触するわね。……ええ、そうね。認めるわ。お前の想像している通りよ」
抵触――誓約魔法にだろうな。発動させてしまったら言葉で否定する意味がないし、何より、自分に課した誓約を自ら違えることを、内心を吐露することよりも嫌ったのだろう。
多分、そういった気持ちを問われた時に否定したままで俺に接するのは裏切りだと。ローズマリーはそんなふうに認識したのではないだろうか。
グレイス達に来てもらってから話の続きをすることとなった。
ローズマリーの先々の話。魔人絡みのことが片付いてしまえば、理由が無くなったローズマリーは、北の塔に戻るつもりでいたのかも知れない。それは確かに、いかにもローズマリーらしい考え方ではある。
メルヴィン王だって、北の塔にまでは戻さないにしても、ローズマリーは抱えているその知識故に、行動を縛る部分はどうしても必要なのだろうと思うし。
「……わたくしは、グレイス達とは違う場所や考え方で生きてきたわ。テオドールに命を助けられたわたくしが――許されたからなどと、そんなことを言えるはずもないでしょう。共闘はできたとしても、隣にいるのには相応しくないのよ。気持ちとは別の問題だわ」
そう言ってローズマリーは肩を竦める。
「私達も……確かにローズマリー様の立場については気になっていたところはあります」
話を聞いたグレイスが言う。
「ローズマリー様のことは私達としても伝え聞く噂だけでは見えない部分が多かったのも確かです」
「ええ。ですが、私達には時間がありました」
アシュレイが言葉を続けて、グレイスが頷く。
ローズマリーの性格やその内心を、量りかねる部分というのは確かにある。ローズマリーは王位を望んで色々手段に頓着していなかったのは確かだし、それをみんなも知っている。世間に広がっている噂だって、色々とある。
「信頼できると確信するのに必要な時間は、もう十分に頂いたと思っています」
時間。一緒に過ごした時間。同じ屋根の下で寝泊まりし、肩を並べて迷宮に向かい、魔人と戦って。それでローズマリーのことを、どう感じたか。
クラウディアが、言う。
「私は自分のことを省みると、幽閉に近い立場に戻されてしまうという境遇には、思うところがあるけれど。でも、それを差し引いても相応しくないなんていうことは、ないんじゃないかしらね」
「ここに来てから、マリー姉様はお城にいた時よりずっと楽しそう。今の姉様は、好き」
マルレーンが、ローズマリーの手を取る。
「姉……わたくしが」
ローズマリーは少し驚いたような顔をした後、自嘲するように笑って俯く。
「……俺はさ。前のマリーの生き方は、俺に似ているなって思う部分もあったんだ。立場や目指してる場所は違ったけどさ」
利害の不一致で対立したこともあるが、自分の力で足場を作って、自分の生きやすいように周囲を変えてと。そういう部分だけで言うなら俺と同じだ。ローズマリーの場合はそこに王族という生まれながらの要素が絡んできて、責任やら矜持やらが最初からくっ付いている感じだとは思うのだが。
そのうえでローズマリーの立場を我が身に置き換えて考えるなら。
幽閉であれ隠遁であれ、俺がそうなったら、それは苦痛であるだろうと思う。窮屈な思いをして生きるなど、俺は真っ平だからだ。
それでもローズマリーは王族として生まれた矜持故にか、大義名分無しで俺のところにいることを良しとはしないだろう。
「理由が無くなれば帰るっていうなら、その理由を作るだけの話だ」
そう言って、ローズマリーに向かって手を伸ばす。
ローズマリーは目を見開き、俺の手と顔を見比べた後で言う。
「……わたくしが一緒だと、多分苦労するわよ? 立場が日陰者なのは変わらないし、性格だってこんな調子でひねくれているものね」
「それこそ。嫌だったら理由があっても家にも呼ばない」
そう答えるとローズマリーは苦笑して、おずおずと俺の手を取った。グレイス達が笑みを浮かべる。
「おめでとうございます」
それを見届けてヘルフリートが言うと、ローズマリーは不機嫌そうな様子で首をそちらに巡らす。
「ヘルフリート。お前、覚えていなさいよ?」
「あっはっは。僕はどうせまた留学先に戻るし、仕返しは当分先じゃないかな」
「全く……」
ローズマリーは頬を赤くしてかぶりを振る。
「……父上には、後でわたくしから報告するわ」
「そうだね。お節介はこのへんにしておく」
そう言ってヘルフリートは笑う。
「ヘルフリート殿下はいつまでこちらに滞在している予定ですか?」
「あと数日はタームウィルズにいる予定ですが」
ふむ。あと数日ね。お披露目の予定日には間に合うだろうか。
「関係者や親しい人を集めて温泉施設のお披露目を行うのですが、どうでしょうか?」
一通り完成したら知り合いを招待して一足先に温泉を楽しんでもらおうというわけである。
まあ……相当豪華かつカオスな顔触れにはなるだろうな。宰相も随分楽しみにしていたみたいだし、招待しようか。メルヴィン王からの打診なら本人も気兼ねしなくて済むのではないだろうか。
「僕も出ていいんですか?」
「そうですね。歓迎します」
そう答えるとヘルフリートは嬉しそうに笑みを浮かべ、ローズマリーは肩を竦めるのであった。この反応からではヘルフリートを招待したことに対するローズマリーの内心まではやや分からないが。
さて。あと数日か。俺も温泉設備に不備が出ないように頑張らないとな。




