番外1430 受け継いでいくものを
「ああ。訓練先は地下大空洞ですか」
ルトガーとのやり取りをみんなにも知らせ、地下大空洞の話を出すと、グレイス達も納得したように頷いていた。
新婚旅行で行ったのがドラフデニアだったからな。その時、観光というか……地下大空洞の見学もプランの一つとして挙がって少しだけ外からロケーションの見学してきたから、みんなも知っているし内部に多少なりとも興味があるようだ。
新婚旅行の際は黒き悪霊絡みの騒動があって、足を運ぶ事はなかったが。境界迷宮を本拠地にしている俺達が、また旅行先で地下に行くというのもどうなのか、というのもあったな。
ともあれ、みんなもルトガーの報告やバイロンの現状に関しては歓迎してくれているようで、穏やかに話に耳を傾けていた。
「出没する魔物の種類を聞く限りでは……きちんと準備していけば問題はなさそうね」
クラウディアが顎に手をやって頷く。
「そうだね。ルトガー卿の指導で訓練している騎士や兵士達も同行するわけだし。前線基地もあるし観測所もあって異常を察知できる態勢が構築されているって言っていたよ」
まあ、そんな事もあって滅多な事はないだろうと見ている。異常があるならそもそも訓練にはいかないだろうし。
ルトガーから聞いた話をするとみんなも頷く。
「地下大空洞は……またドラフデニア王国を訪れた時に、見学に行ってみるのも楽しそうではあるね。勿論、未踏破の深部を目指すとかではなく、軽く表層を眺めてくるとか、そういう観光目的になるだろうけれど」
「それは良いですね。地下大空洞は入口付近が神秘的で見応えがあると聞いたことがあります」
エレナが小さく笑う。ベシュメルクにとっては隣国だしな。ずっと昔からあるものなので、一時代を跨いで目覚める事になったエレナとしても噂を聞いたことがあるのだろう。
「んー。あれは確かに一度見ても損はないかも知れないわ。夜見ると、大きく開いた洞窟の入口が宝石みたいに輝いているのよ」
そう言ったのは母さんだ。みんなの注目が集まるとにっこりと微笑む。それは――確かに綺麗なんだろうな。旅慣れている母さんが言うのだし。
「リサ様は大空洞を訪問したことがあるのですね」
「ふふ。ドラフデニア王国には興味があったの。立地がもっとシルヴァトリアに近くて情報を得やすければタームウィルズではなくドラフデニアで暮らしていた可能性もあった……かも知れないわね」
アシュレイが尋ねると母さんは笑って答え、言葉を続ける。
「冒険者は身を隠すための仮の姿ではあったけれど、元々封印の巫女としての立場はさておき、自由な冒険者や冒険譚に憧れていたというのがあってね。知見を広げるのと修業を目的として、ドラフデニアに旅に出た事があるのよ。シルヴァトリアの情報を得る必要があったから、そんなに長期間の滞在ではなかったけれど」
なるほど。それでも母さんにとって冒険者としての姿は、仮のものという位置づけだった。シルヴァトリアの情報収集が滞るのは困るから、海を挟んで収集しやすく、かつ人の多いタームウィルズにいたのだろうし。
シルヴァトリアの情報収集と、状況を打破するための魔法の研究はずっとしていたと母さんは語る。
「遠隔で限定した封印術を施す、という研究をしていたわ。そう……。記憶の鍵の術式だけ封印して、内側から学連のみんなに呼応してもらってザディアスを打倒する、という方向ね」
「母さんの対ザディアスの計画は初めて聞いた」
それは……魔法研究が完成して実行に移せていたら、中々良い計画だったのではないだろうか。記憶の鍵がかかったままになっていると思って保護している相手が、いきなり魔人とも渡り合う為に研鑽してきた技術を思い出すわけで。脱走するなり、何かしら理由をつけて誘き出したザディアスを力ずくで制圧したり……色々逆転の方法は考えられる。
「計画まで書き残してしまうと、身分を隠して生きてきた意味が無くなってしまうものね。あの日……塔を出てから色々あったけれど、旅立つ前にみんなから言われた言葉が違うものだったら、もしかしたらテオも生まれていなかったかも知れないわ」
母さんは少し笑ってから遠くを見るような目になる。みんなも話の続きが気になるのか、母さんの言葉を待っている様子だった。
そんなみんなの様子に母さんは頷くと、眠っている子供達の産毛をそっと撫でて話を続けてくれる。
「記憶を、想いを。引き継いできた術を。受け継いでくれる誰かがいるのなら、自分達がこれからどうなっても負けではないと……そう言っていたわ。私には、自由に生きてもいいのだとも。冒険者に憧れている事も知っていたと」
みんなだって不安だったでしょうに、と……そう言って母さんは目を閉じる。
ああ。だからか。だから母さんは父さんと恋をする事もできたのかも知れない。先の事を考えた時……例えば子供という、記憶や想いを引き継いでくれる誰かがいれば、お祖父さん達の想いも残り、引き継がれていくから。
母さんの場合はそういう理屈からというよりは、別れ際のお祖父さん達のかけた言葉が、生き方や決断に影響を与えた結果だろうと思う。
シルヴァトリアの事については先の見通しが立っていたわけではなかったし、自由な生き方をしようと心に決めてはいても、お祖父さん達の事は何一つ諦めたわけではない。
母さんはお祖父さん達の言葉を大事にしながら、自分の信じる生き方を貫いた、という事だ。
もしお祖父さん達の言葉がなければ自分の人生は後回しにしていた可能性もある。そういう意味で、俺が生まれてこなかったかも知れない、か。
そんな母さんが今、オリヴィア達をそっと撫でているのは……色々と感慨深いものがあるな。イシュトルムの能力の一部を封じていたのだって、母さん自身が楔となって封印術を維持してくれていたからだ。そんな母さんの選択や、みんなの選択が……今に繋がって。そして子供達に受け継がれていく、と。
みんなも……そんな母さんの話や子供達をそっと撫でる姿に感じ入る物があったのか、目を閉じたり頷いたりしていた。
「ん……。そう言う意味では……母さんのしようとしていた事を、きちんと引き継げたのかな」
お祖父さん達の記憶にしても、死睡の王……イシュトルムの討伐にしても。
「ええ。ありがとう、テオ」
母さんはそう言って胸のあたりに手をやって目を閉じる。
「そうね……。リサ様が今まで足を運べなかったところに、気兼ねなく一緒に旅行というのは楽しそうだわ」
「ん。それは良い」
「わたくし達の状況が落ち着いたら、それも良いわね」
「エインフェウス訪問の話は既に出ているけれど、何度旅行をしても良いのだものね」
ステファニアが言うと、シーラやローズマリー、イルムヒルトが同意する。マルレーンも明るい表情でこくこくと首を縦に振っていた。
そんな調子でどこそこに旅行に行くのが良いのではないかなどとみんなで談笑しながら盛り上がる。
母さんもあちこち旅行しているからな。どこそこの料理が良かった、あの土地には良い温泉があったと、色々耳よりな情報を教えてくれた。シルヴァトリアの事を意識してか、北方や海沿い。北西の海域寄りの情報を多く持っているな。
振り返ってみればあの時の母さんとの旅はこの土地での事だったのか、と理解するところも多い。それはグレイスも一緒なのか、母さんの言葉に納得したような表情を浮かべていた。
小さな頃は……何だか母さんやグレイスと一緒に辺境まで旅をしたような気さえしていたのにな。地図の上で見ると実際はそれほど離れていなかったりもして、中々に懐かしい気持ちになるな。




