20 貴族の人生設計
「さっき、テオドールさんに面会希望と仰る方がお見えになられましたよ」
「面会?」
今日の収穫を換金しようと冒険者ギルドに向かったところ、対応に出てきたヘザーにそんな事を言われた。
……何だろうか? 先日のスネークバイト達に絡んだ一件だとは思えない。冒険者ギルドは俺達に口止めをしたし、関わらなくて良いという方針を伝えてきたのだから。
「少しの間ならギルドで待つとの事でして、今奥の部屋で待っておいでですよ」
「……一体誰なんです?」
「レディ・アシュレイです」
え? アシュレイ?
戸惑う俺に、ヘザーは笑みを向けてくる。
「面会の間、計算とスネークバイトの一件の褒賞金の準備をしておきますね」
ギルドのカウンターから奥の一室へと通されると、そこには確かにアシュレイがいた。
「アシュレイ様」
「テオドール様! グレイスさん!」
名を呼ぶと、アシュレイは長椅子から立ち上がって微笑みを浮かべた。
「アシュレイ様、お身体の具合は如何ですか?」
「ええ。以前より体調の良い日が多くて。先ほどタームウィルズへ着いたばかりなのです」
グレイスとアシュレイは微笑み合う。二人はアシュレイの家に滞在中に割と打ち解けている。
アシュレイが、グレイスがダンピーラと聞いても全くと言って良いほど拒否反応を見せなかったというのもあるし、グレイスもアシュレイの立場に思うところがあったようで。
「お久しぶりと言うほどでもありませんが。長旅でお疲れなのでは?」
「いえ。冒険者ギルドの竜籠でこちらに来たので」
ギルドの竜籠……。ベリーネのしてやったりといった感じの笑みが脳裏に浮かんだが……アシュレイがタームウィルズに来た理由を聞かなければその辺の理由を断定するのはやや早計だろう。
ちなみに竜籠というのは、飼い慣らした飛竜の1頭か2頭で籠を運ぶという乗り物だ。
地竜で引く竜車と共に、馬よりも早く大量に輸送や移動ができる。俺がここに来る方法が馬車だったのは家を出ていく庶子に貴重な騎竜までは出せないという事ではあろうか。
アシュレイが竜籠を使ったのは、馬や地竜で旅をするよりも飛竜で時間的な負担を短くした方が身体に良いという判断なのだろう。
「いや、驚きました。どうしてこちらに?」
「私もタームウィルズに留学する事になりまして。急な話でテオドール様には連絡差し上げられなかったのですが、ギルドで伝言を頼めるとベリーネさんが」
ああ。やっぱりこっちで生活するわけか。
「それからテオドール様さえ良ければの話ではあるのですが、もし良かったら指名依頼を受けてはいただけませんか?」
駆け出し冒険者に指名依頼とか普通は有り得ないが……。
「それは循環錬気による継続的な治療という事でしょうかね?」
「はい」
「解りました。詳しい条件は後で詰めましょう」
……環境が変わると身体への負担っていうのはかなり大きくなるしな。
アシュレイの体調維持は循環錬気でサポートしてやりたい場面ではある。
だがしかし。子供とは言え許嫁のいない貴族の男女が頻繁に会うという、その状況をケンネルは容認しているという事で……これは、恐らくメッセージとしては間違いないだろう。絵を描いたのはベリーネだろうけどな。
しかしまあ、何と言うか……。してやられたというより……随分ベリーネに買われたものだと思う。俺がアシュレイに対してある程度肩入れしている事も見て取っての策なんだろう。
アシュレイは何も知らないんだろうし、ベリーネの干渉はここまでで、後は俺とアシュレイの判断に委ねるつもりだろうと思われる。将来的なアシュレイの立場を傷付けないように、治療の場所をセッティングしてやる事だって、俺には可能なのだから。
その辺の匙加減がベリーネの黒い所というか……性質の悪い所だ。
客観的な話をすると、俺は庶子で伯爵家の相続権がない。キャスリンやその息子達があんなでなければ、恐らくは伯爵家でバイロンの後見人辺りに収まっていたのが常道だろうと思う。
自分が出ていったことを損失と言うほど驕った言い方はしたくないけれど、血縁関係で相続権がないとなれば、本当なら家にとってこんなに都合の良い人材もいない。放逐するような事態になってしまった事自体が伯爵家の失策なのだ。
だから、将来の身の振り方なんて本来は決まり切っていた。俺の結婚相手でさえ時期を見て、伯爵家の利になる相手を父さんが決めたかも知れない。
だがキャスリンが母さんへの嫉妬から俺を甚振り、馬鹿兄弟もそれに乗っかった。俺はそれを嫌って伯爵家を出た。要するに家族との不和から、俺の将来は白紙になった。
まだ何も成していないのにあれこれ自分の将来設計について言うのは嫌なのだが……ベリーネが俺をどう見ているのかという話をするならば、彼女は俺がタームウィルズに向かって名を上げるだろうと踏んでいるわけだ。
10歳。この頃で貴族家で後嗣だったり優秀だったりするならば……正妻に側妻候補も複数いたりして……ガチガチに身の回りが固まっているのが普通だ。
景久の感覚で言うと割と乖離があるが、こちらの世界での流儀に則った場合……ベリーネとケンネルの考えが非常識であるとは思わない。実際、バイロンでさえそうであるし。
ここでベリーネが上手いのは、アシュレイと俺の繋がりを取り持ちつつ何の口約束もしていない点だ。
俺の将来やアシュレイとの関係がどうなるにしても……シルンの領地経営におけるケンネルの負担、男爵家とギルドとの関係改善、アシュレイの貴族教育、健康維持、貴族同士の横の繋がりの確保、俺が魔法治療によって得る収入、そして将来についての縁。……後、付け加えるならベリーネの功績と……どこも損をしないという話ではある。
俺は伯爵家の庶子だが家との繋がりが希薄で、婚姻関係が真っ白。そして魔術師だとなれば――叙勲されれば取り込みたい貴族なんてのは必ず出てくるんだろうなとベリーネは考えたわけだ。
ベリーネとケンネルがそうしなくても、きっと他の誰かがそうするんだろうし。俺が何かをする前に青田買いをしてるわけだ。本当に……随分とまあ、買われたものだ。しかも俺がベリーネの策を見切ったうえで判断するという前提なわけだし。
迷宮で功績を上げた優秀な冒険者は、王国が人材として取り込むために叙勲し、爵位や領地を与えてくる場合がある。当然複数の妻と婚姻関係を結ぶ事例だって存在している。ベリーネが想定しているのはそのラインだ。
要するに、俺が誰と誰を隣に置くつもりなのか。側妻の話を持ちかけられた時、どういう理由で角を立てずに断るか。ベリーネはそこにアシュレイはどうかと、俺に言葉に出さず暗に訊ねてきているという……そういう話だ。
アシュレイは領主とは言え男爵家。なかなか微妙なポジションだ。俺の隣に余地があるとなれば他の上級貴族が力押しで首を突っ込んできてもおかしくはない。
……なるほど。だから俺か。俺とグレイスの関係をベリーネがどう思ったのかは知らないが、そこも視野に入れたうえでの策かも知れない。確かに妻が複数いれば経済的にでも何でも、断る理由を付けやすくなるだろうし。
俺が迷宮で名を上げて叙勲などされた場合、きっと正妻一人では済まないというか……周りが縁談を持ちかけてくるんだろう。縁もゆかりもない、知りもしない相手を隣に置きたいかと言われれば、答えは否だ。
「グレイスさん、また刺繍のやり方を教えてくださいませんか?」
「私などで良いのでしたら喜んで。時間が余った時になってしまいますが」
「勿論です」
グレイスとアシュレイは楽しそうに談笑している。非常に和やかな雰囲気ではあるが、俺は改めて自分の身辺を俯瞰せざるを得なかった。
将来、誰を隣に置くのか、か。庶子であったから、人生設計なんて父さんが決めるものだと思っていたが……独立と同時に10歳でこんな事を突き付けられるとは思ってもみなかったというか。今までヒエラルキー最下層だったというのに、まあ。
ここで何も決めないと、ほとぼりが冷めたら父さんが俺を迎えに来ないとも限らない。それは当然論外だから固辞するとして。
それを考えたら……まあ確かに……名を上げてから掌を返されるように遇されるよりは――最初から青田買いという方が納得もできるが。
まだ何も決まっていないし、俺とアシュレイが将来を視野に入れたうえで互いをどう思うかは……非常に流動的だ。確かに……俺が現時点で、彼女に悪い印象を抱いていないのは確かだけれど。結婚相手と言われると些か気が早いというのは……貴族家に生まれた者として通らない言い分だろうか?
アシュレイの事は……まあ、解った。
単純化してしまえば、縁談を受けるか否かという判断を迫られているだけの話だ。俺に保護者はいないのだから、自分でしっかり方針を定めないといけない。
ケンネルでさえ承知の上なんだろうし。タームウィルズで貴族教育を受ければ、アシュレイもその事にいずれ気付くだろう。気付かなくてもいずれケンネルかベリーネが、それとなく仄めかすはずだ。だから俺とアシュレイはそういう前提でお互いの事を見ていく関係になっていくとして。
現時点ではお互い友達という認識なのだから話は始まってもいない。
――なら、グレイスは? グレイスの将来は?
彼女は俺に一生仕えると言っているが……寿命の話をするならグレイスの方が長い。例えば、俺がいなくなった後、彼女の社会的立場はどうなるのか? つまり誰が呪具を握るのかという話だ。
迷惑をかけてばかりだった俺を見捨てず、タームウィルズまで付いてきてくれた彼女を受け入れた以上は、後の事は知らないだなんて口が裂けても言いたくない。
グレイスの将来に関しての話をするなら……それまでに彼女の社会的立場をきっちり確立させておいてやりたいとは思っている。タームウィルズで名を上げる事は、きっと彼女の足場を固めてくれるだろうが、それだけではまだ確実性がない。だからそのために……どうするのが良いのか。
考えてみれば……俺とグレイスとアシュレイと。お互いがお互いをどう思うかがはっきりしてしまえば、俺がここで生きていく手段と目的、足場固めに婚姻などの利害までもが完全に合致してしまうわけで。後は何も悩まずに突っ走ればいいという事になってしまう。
……好ましく思っている相手の将来を支え、責任を持つ、か。
やってやろうじゃないかだとか言えたら楽で良いんだけどな。そもそも相手あっての事ではある。これで俺が一人で空回りしていたら完全にピエロだ。
母さんとキャスリンの確執を考えると、色々気を回してしまって感情的に首を縦に振りにくい所もあるが……将来を見据えると、我が身に降りかかってくる問題ではある。しっかり考えておかないといけないだろう。父さんのような失敗は御免であるし。
「どうかなさいましたか、テオドール様?」
グレイスを見ていると首を傾げられた。
「んー。まあ帰ったら話をするよ。状況が変わって、明日からの予定とか――色々あるし」
理解してしまった以上は――俺も覚悟を決めよう。アシュレイの話を抜きにしても。
俺付きの使用人だからという仕事上の理由だけでなく、姉みたいに思っているから甘えているのではなく。
そこから離れた時、彼女の人生までも全て預かってしまっていいのかどうか、はっきりさせておくのは大事なことだ。
グレイスの人生を大事に思えば誤魔化してはおけない。答えを確かめ、その後の人生設計を決めておく事は――きっと、必要な事だから。




