番外1352 赤熱の龍
黒い雷を四肢から迸らせながらゼルベルが構えを取る。そうして――放たれた矢のような速度で突っ込んできた。両手に赤い、瘴気の輝き。手刀の一撃が紅の巨大な斬撃となって空間を薙いでくる。
ここまでの動きで技量を理解したという事だろう。これぐらいなら対処できるだろうという、こちらを信じた上での攻撃。
ヴァルロスの重力翼を展開して紅の斬撃を避ける。凄まじい速度で天地が流れ、ゼルベルの左斜め後方から迫る。あらぬ方向から降ってくる俺に、ゼルベルは振り向くよりも速く赤い輝きを宿す右の掌底を俺のいる位置に繰り出してくる。
砲弾のような赤い瘴気の塊がコンパクトなモーションから放たれる。
真っ向から重力弾を叩き込めば両者の放った飛び道具が激突してひしゃげ、爆発を巻き起こした。重力翼で爆風を散らしながら最短距離を突っ込んで行けば、向こうもまた真っ向から爆風を意にも介さずに打撃を放ってくる。
拳足とウロボロスが激突して、一瞬後に、散った爆風の中から飛び出す。互いに流星のように尾を引きながら高速で飛び回り、交差しながら激突していく。
ウロボロスとゼルベルの打撃が衝突する度に衝撃波が周囲に散って、ベリオンドーラの海岸線に重い音を響かせる。
ゼルベルの技は格闘術を使うだけあって、戦い方も闘気を使うそれに似ている。瘴気は負の力ではあるが、魔力と闘気が混ざったような性質があるから、本人の資質によってどちらかの形質が強くなる、というのも分かる。
瘴気が変幻自在の動きを見せるが――しかしそれはあくまで練り上げられた技だ。本人の瘴気特性が持つ性質とはまた別だろう。
ゼルベルの能力は、恐らく――。
「く、ははっ! 楽しいなあ!」
哄笑。赤い瘴気の増大と共に、ゼルベルの力と速度が増強される。技量と引き出しの多さで勝る分、掻い潜って幾度か打撃や魔力衝撃波も叩き込んでいるが、一瞬揺らぐものの、堪えた様子がない。頑強さもさることながら、攻撃を食らった場所に瘴気反応が宿って超速度の回復を促しているようだ。
特殊な攻撃はしてこない。ただただ力と速度、技量と再生も併せたタフネスが魔人達の中でも群を抜いている。
つまりは――ゼルベルの瘴気特性は自己強化の特化。戦闘能力だけでなく、身体回復能力においても。小回りの利く重戦車のような印象だ。しかし、威力を伴う遠距離攻撃を放つには予備動作が必要なようだ。斬撃ならば先程のように腕を手刀として振るうとか。
だが射程距離によって優位に立つ、というのは俺もできない。ならば――こちらも更に攻撃を重くすればいい。結局のところ、俺がゼルベルのような性質を持つ者を相手取るのならば、その上をいく以外に道はないのだから。
「ソリッドハンマー!」
岩を作り出し、ヴァルロスの重力塊で覆って圧縮。硬度や重量を強化する。応用の使い方ではあるが――ソリッドハンマーである事には変わりない。俺の身体の周辺を術式そのものと重力翼の制御によって、衛星のように周回する。ゼルベルもまた、近接戦闘以外に道はないというように、お構いなしに突っ込んでくる。
迫るソリッドハンマーに、真っ向から拳を叩きつける。巨大な衝撃が拳と黒い衛星の激突で広がって、ベリオンドーラの大気を震わせる。ソリッドハンマーは砕け、ない。押し負けたのはゼルベルの方だ。
高速で飛び回るソリッドハンマーと共に金色の魔力を込めたウロボロスで切り込んでいく。暴風の瘴気の渦と共に凄まじい速度で飛来する拳足を、ウロボロスとソリッドハンマーで打ち合い、斜めに展開したマジックシールドで逸らす。
先程の激突でソリッドハンマーの威力はかなり減衰しているが、格闘術を基本とするなら関節の可動域には限界がある。対応できない位置からの同時波状攻撃。
押される、と判断し、対応に移るまでの速度は僅かな刹那。掌に集中させた瘴気が爆発的に膨れ上がり、掴みかかるような手の動きと共に、巨大な竜の顎のような赤い瘴気の爪撃がソリッドハンマーごとこちらに迫る。
短距離転移。一度目の激突で減衰していたソリッドハンマーの砕け散る音が響き、爪撃をすり抜けてゼルベルに打擲を叩き込む。避け、ない。肉を斬らせて骨を断つとでも言うように、凄まじい速度での裏拳を見舞ってくる。暴風のような紅の拳が皮一枚のところを通り過ぎて言った。
マジックサークルを展開。次なる技を繰り出す。
「おおっ! あれは!?」
「ア、アルヴェリンデ様の術だとッ!?」
それを見ていた魔人達の間から驚愕の声が漏れる。ヴァルロスの術は知らずとも、アルヴェリンデの氏族の者達はいるからな。
無数の結晶が周辺に浮かぶ。打撃と共に光線があらぬ方向に飛んで。反射を繰り返しながらゼルベルの身体に突き刺さる。いくら魔人の術とは言え、この規模ではゼルベルを倒すには至らない。
けれど体術だけでは回避不能な術だ。ゼルベルの身体強化と再生能力、それに瘴気の渦による攻防の補助も。全て直結している。リソースが同じなら削ってやればいいだけの話だ。
幾度も反射を繰り返す光芒。無数の光の矢が飛び交う檻の中での戦い。紙一重、皮一枚で避けて光芒を俺自身に当てるような対応を見せるも、その光も俺自身に触れる瞬間、鏡のような盾に反射されてゼルベルへと向かう。
「くッ、ははははっ! まさか他の高位魔人の技まで使えるとはなッ!」
減衰を突き抜けてくる無数の光の矢に身体を灼かれ、それらを再生させながらも、ゼルベルは笑う。
回避不能と割り切ったか。奴もまた俺の制御能力というリソースを削りに来る作戦を選んだらしい。正拳、裏拳、貫手、肘打ちに踵落とし。火の出るような距離での至近戦。俺は形勢逆転が不可能になるまで瘴気や耐久能力を削り切り、奴は俺の制御能力を削いで一撃を叩き込む。そんな戦いだ。
暴風のような拳足と共に攻防に織り交ぜて瘴気弾が飛び交い、随伴するように展開した反射結晶を砕くも、それらは即座に再生させる。
掻い潜り、いなしては受け止め、周囲を飛び交う光の矢と共に切り返す。激突の度に伝わってくる、鋼のような重さの手応え。重い風切り音と周囲を巻き込むように力の流れを変化させる紅の渦の中で、俺も奴も笑う。
幾つもの攻防の中で、思考が相手に向かって閉じていくような、集中している感覚がある。真正面から激突して互いに後ろに弾かれ――そして奴は笑った。
「く、くく。ここまで力を引き上げても、これか。呆れたもんだ。これ以上やると他の事がどうでも良くなって、契約魔法に抵触しちまいそうだが……ま、俺にもそれなりにここにいる理由があるんでな」
理由……。単に戦闘が好きというだとか興味があるというだけではなく、封印や解呪を求める理由がある、という事か?
だが、表情に真剣な色が浮かんだのは一瞬の事。ゼルベルは笑う。終わり、ではあるまい。言葉とは裏腹に、力は研ぎ澄まされている。
「後は――そうだな。今から当てないように大技をぶっ放す。あんたの方も大技をそいつにぶつけて見せてくれるか?」
「良いだろう」
答えて、距離を取って向き合う。
ゼルベルの高められた瘴気が一点に集中していき、頭上に掲げられた掌の上に、真紅の球体が生まれた。膨れ上がる。急速に膨張して、周囲の海を赤々と照らすような、渦巻く巨大な瘴気の塊となった。
俺も射線から僅かにずれる位置取りをしながらマジックサークルを多重展開する。いずれも第9階級複合魔法だ。火、土複合のヴォルカノンハンマーと、雷、土複合のマグネティックボルテクス。
周囲の空間を埋め尽くすように展開されたマジックサークルにゼルベルが目を見開いて笑う。
「行くぞ」
「ああ、来い」
そうして、ゼルベルの一撃が解き放たれた。それに合わせるように二つの術を解き放つ。小山のような巨大な溶岩塊がゼルベルの放った真紅の球体と激突。僅かな時間差を置いて雷を放つ磁気嵐が諸共に飲み込んで、溶岩の熱と雷を迸らせながら凄まじい勢いで干渉し合う。俺の術とはまた違う、干渉による赤黒い雷が内側から迸り、周囲を轟音と震動、閃光で埋め尽くしていく。
射線は互いに当たる位置にない。が、放った術式を維持するのは放った者同士だ。片方の手首をもう片方の手で握るようにして、力の制御を続けるゼルベル。こちらもまた負荷を受けながら相手の一撃と押し合う。
「ぐ、ぐうううっ、おおおっ!」
気合の声。ぎしぎしと軋むような音を立てて、放った球体内部で高密度に渦巻く瘴気を維持するゼルベルであったが――。
均衡が破れるのは一瞬だった。制御を受けた溶岩塊が内部で龍のように形を変えて荒れ狂った瞬間に、ゼルベルの腕が弾かれ、磁気嵐の内部で爆発が起こる。それすらも飲み込んで、真っ赤に赤熱した磁気嵐が猛威を振るう。
やがて術が収束に向かうと、細かく散った溶岩が雨のように冷たい海に降り注いでいた。
ゼルベルは力を出し切ったからか、その意志によるものか、変身が解けていく。肩で息をしながらも、満足そうに笑っていた。ぐらりと、身体が揺らいだところに、まだ年若い印象の女の魔人が敷地の中から飛び出して、支えに行く。
「父さん……!」
「心配は、ない。少し息切れしただけだ」
……父。なるほどな。はぐれ魔人だが、子がいたのが理由、ということか。
興味があったとか戦いの相手を買って出るとか言っていたし、戦いそのものに興味も向いているというのも事実なのだろうが……俺の話が真実かどうか、魔人達を納得させる事ができるか、見極め、他の魔人達にも見せようとしていた部分があった、というわけだ。




