番外1175 暗闇の谷間にて
シリウス号が所定のポイントに向かったのを確認し、俺達も動いていく。まずは場所の特定から進めて行かなければなるまい。
飛行船の艦橋に移動して水晶板モニターを配置し、各場所と中継が繋がれば準備完了だ。俺が視線を向けると、ロヴィーサが頷いた。
「では、参りましょうか」
「そうですね。一先ずは、海中に潜って、谷の様子を見ていきましょうか。計器類は確認していきます」
ロヴィーサの言葉に答えると、笑顔で応じて……そうして飛行船が動き出す。僅かにある島々で探索を開始すべき座標も確認済みだ。この辺から海底へと向かえば似たようなポイントを混同しない、という寸法だな。
澄んだ水の色だ。ゆっくりと高度を下げながら海底に広がる谷間へと進んでいく。
まだ生き物は見当たらない。季節が悪いのか、何か条件があるのか。水深と水圧を示す計器が動き、それらを受けて船体が僅かに反応する。水圧によって船に負荷がかかり、それを魔力変換装甲が魔力に変換しているのだ。ただ――水深から受ける水圧に比して、それは、まだまだ小さな影響で。この辺、グランティオスの飛行船という事で、水中での活動に特化しているのだな。
水魔法――耐水圧の防護フィールドを展開して船の魔力を消費しつつ、同時に打ち消し切れない水圧を船体に受けて魔力変換、と。マッチポンプな方式だが深海での活動時間はかなり長く得ることができるし、限界深度もまだまだ先といったところだ。
「これが――海の中……」
「まあ……この辺りはやや殺風景な場所、ですな。グランティオスを始めとした海の民の住処はもっと賑やかだったりします」
ドナの言葉に、エッケルスがそんな風に補足説明をしてくれた。初めて見る海の中にがっかりしないで欲しいと、そんな風に思っているようだ。そんなエッケルスの考えも通じたのか、ドナはにっこりと笑って頷いた。
「ふふ。興味と機会があればドナさんもいずれ海の都に招待したいところですね」
「ああ。それは楽しそうです。是非……!」
と、ロヴィーサの言葉にドナが明るい表情になる。
そうしている内に、段々と陸上からの光も薄れ、やがて外は暗黒の世界になっていく。暗視の魔法を展開しているので、飛行船内から外の様子を見る事はできるが。
斜面をゆっくりと下って行き――飛行船はやがて海の谷底に到着する。
島を目印に海底に向かい……底に到着したら東の斜面に沿って北の方向に進んで行けば、東西に分裂した分かれ道に出るのだとか。ウォルドムは再び訪れる時の為に、そこに目印を残した、との事だ。
目印から東寄りの道を選び、中腹ぐらいまで浮上して更に北へ進めば、斜面に幾つかの海底洞窟が口を空けているという話だ。
まあ、あくまで封印を残した当時のウォルドムの記憶での話だ。多少地形が変わっている事も想定しないとな。まずはウォルドムの言葉に沿って探してみて、それで見つからなければ東側斜面の中腹付近を探索していくしかない。
少しずつ高度を変えながら往復して、状況に応じて魔法的な補助をしていくわけだな。魔力ソナー等で岩の中の構造も調べながら場所を探していく、というのも有効か。
「確か、東側の斜面、という話でしたね」
「ええ。総当たりでドナさんの術式を使い続けるというのも大変だと思いますので、ある程度手掛かりを見つけたら術式を使っていくようにしましょうか」
「分かりました」
俺の言葉にドナが頷く。
「探索中に魔力が足りないと感じたら、魔力補給の用意もありますので、すぐに言ってくださいね」
「わかりました」
ドナと受け答えをしつつ地形に沿って北上する。まばらな生命反応。海老のような小さな生き物や鱗のない魚が、ライフディテクションで生命の輝きを残しながら泳いでいくのが見えた。
「奇魚の一種もおりますな。報告にはない種のようですが」
『ん。海老みたいなのもあんまり見たことがない』
と、ウェルテスの言葉にシーラが頷く。
「斜面に沿って……谷の上から底へ。底を北から南に向かう水流がありますね」
ロヴィーサも操船していて感じるものがあるのだろう。流れで操作を誤らないよう、僅かに岸壁から距離を取りつつ飛行船を北上させる事にしたようだ。
確かに……海流の流れに沿って、崖や谷底も侵食を受けているように思う。まばらに見る生き物も同じ方向を向いているというのは、流れに身体を向けることでエネルギーを節約しているか、或いは海流に乗ってくるプランクトンや有機物といった栄養素を食べているか。
星球儀から得られる情報だと、北極圏から繋がっている冷たい海流がこの海域の底の方にも流れ込んでいる、というのが分かっている。もっと南まで海流が流れて、周回してまた北極圏へと戻る、というサイクルを形成しているようなのだな。
まあ、他の海域から環境に適応した生き物が流れてくるという事もあるだろう。
そうして、北上していけば……やがて分かれ道に到着した。東西方向に谷が分岐している、と言えば良いのか。確かにそれらしい地形だ。
「一旦外に出て、目印を探してきますね」
俺がそう言うと、ドナも立ち上がる。
「私も……水流対策の装備を試してみたいのでご一緒してもいいでしょうか?」
「勿論です」
ドナの言葉に頷くと、エリオット、ウェルテスとエッケルスも「もしもの時に備えましょう」と言って、ティールも声を上げて、同行を申し出てくれた。
「探索の目も多い方が良いだろう。エリオット達が護衛や周辺の警戒に回るなら、我らはテオドールと共に目標物を探す役割を担うとしよう」
「そうですな。人手は多い方が良い」
テスディロスが言うと、オズグリーヴも頷く。
ロヴィーサはこのまま飛行船の座標固定。ティアーズ達はモニターに注視して周囲の警戒をしてくれるとの事だ。では……少しばかり周囲の探索といこう。
加護は全員に及んでいるが、外に出る前に念のために深海で活動するための術式をみんなに施す。装備もしっかりと整っている事を確認してから、ハッチを空けて甲板へと出た。
ハッチを開けても内部には水は入って来ない。飛行船も水魔法の防御フィールドを纏っているので、甲板に出たからと即座に巨大な水圧や水流に晒されるという事もない。
ティールが最初は自分が抱えていく、と申し出るとドナは嬉しそうに微笑む。
「ありがとう。それじゃお願いしようかな」
その言葉にティールはこくんと頷いて、ドナをフリッパーと胸の間に挟んで抱くような体勢を取った。
「それじゃ――まずは俺から外に出てみるかな。さっき使った術だけで問題がありそうなら、その時は知らせる」
そう言うと、同行している面々が真剣な面持ちで応じる。それを見届けてからフィールドの外に出る。
これは……なるほど。確かに南に向かう海流を感じる。水温はかなり低めだ。元々とっくに陽光の届かない水深だし、北極圏からの海流が流れている海域だしな。
とは言え、ウィズの分析では用いた術式で一先ずは問題ない、というデータを伝えてくる。
「どうやら大丈夫そうだ」
そう伝えると、みんなも頷いてフィールド外に出て来る。海流を感じて少し体勢を整えるが……それだけだ。
「大丈夫だと思います」
「同じく」
と、エリオットの言葉を皮切りに一同が頷く。ドナも……ティールと頷き合うと、そのフリッパーの中からそっと離れる。ドナが着込んでいる安全帯のような装備は、編み込まれたミスリル銀線とメダルゴーレム複数枚から構成されている。
安全帯とロープで構成されており……封入された水流操作の術式で推進したり、地面や壁とゴーレムロープを一体化させる事で命綱代わりにしたり、といった事が可能だ。魔力切れになりそうなら合図も出してくれるという、ドナ専用の安全用装備だな。シリウス号に積まれていたミスリル銀線の束とメダルゴーレムから構成してみたが……さて。どんなものだろうか。
ドナは腰の部分についたメダルに触れて少しの間水流操作による推進を試していたが……最初はぎこちなかったのが段々と自由自在に泳ぎ回れるようになって、笑顔を浮かべた。
「これは――楽しいです!」
「動きの邪魔にはならない?」
尋ねると、背中の鉈を抜いて二度三度と振り回し、水流操作で突撃しての斬撃や回避行動らしき動きも見せていたが、やがてこくんと頷いた。
「問題ありません……!」
と、明るい笑顔を向けてくるドナである。そんな反応に、中継映像でこちらの様子を見ている面々も笑顔になっていた。
どうやら問題無さそうだ。絡まったりしないように色々安全策も講じている。当人も気に入ってくれたようで何よりである。
では――ウォルドムが残した目印を探していくとしよう。