131 宴席当日
結局――ノーマンからは何の弁解もなく、さりとて身動きも取れないままでマルコムは侯爵領へと向かった。ノーマンからの書状が送られたのも確認されている。不正が確認されれば、それも多分向こうで差し押さえられて証拠品になってしまうだろう。
「なん……だ……? 何だこの有様は!?」
「ち、父上……」
「だ、旦那様! お気をお鎮めください!」
「黙れ黙れ!」
侯爵家の宴席は予定通りに開かれた。
蓋を開けてみれば招待客が全くやってこないという有様。一向にやってこない招待客と、閑散とした屋敷の広間に耐え切れなくなったのか、とうとう侯爵が癇癪を起こしたという次第であった。
いや、この状況下で予定通り宴席をやる方もやる方なんだけど。大々的に招待状を配って回って、メルヴィン王の配慮まで受けた以上は宴席を開かない訳にもいかないのかも知れない。
そしてこの状況は……ある程度予想が付いていた事なのだが、それを差し引いても誰も来ないというのはさすがの侯爵にもダメージが大きかったようで。
以前から侯爵家が振るわないという噂は出回っていた。晩餐会、舞踏会を行っても集まるのは小物ばかり。影響力の低下で落ち目落ち目と散々言われていたところに、査察が入るという話が確実な情報として広まったのが致命的だったわけである。
あの場では表向き穏便な形で話が進んだが、口さがない連中が侯爵家は大丈夫なのかと噂をし合う。当然ながら。
マルコムの報告如何によっては、この時期に侯爵家の宴席などに出席すると侯爵との仲を疑われ、王家の不興を買って余計な火の粉が飛んでくるのではと敬遠した結果がこの惨状なわけである。
俺はと言えば、勿論出席していない。するはずもない。
あの侯爵の事なので、何かの間違いで後継をノーマンにするなどと言い出さないかやや不安ではあったから、念の為にカドケウスを遣わせて様子見をさせていただけだ。どうやら、この分なら後継云々以前の問題のようだが。
「貴様が小賢しい真似をしなければ!」
侯爵が自分を棚に上げてノーマンの頬を張ると、ノーマンも顔を真っ赤にして怒鳴る。
「馬鹿言うな! 正直に申告したって、あんた全部使っちまうじゃないか!」
「まさか正しい事をしたとでも言う気か!? 誤魔化して作った金で貴様が領地のためにいったい何をしたと言うんだ!?」
何をしたか、と言われれば私腹を肥やした、という答えになるのだろうが。ノーマンは痛い所を突かれて一瞬言葉に詰まった後で、開き直ったかのように口角泡を飛ばして喚く。
「う、うるさい! どうせ俺の金になるんだ! あんたと同じように使って何が悪い!?」
「何を貴様ッ! 言うに事欠いて同じようにだと!? タームウィルズでの人脈の繋がりがこの国にとってどれだけ重要な――!」
「あんたどれだけ周りが見えてないんだよ!」
「貴様、さっきから父親に向かってその態度は何だ!?」
……。どっちもどっちな、最低な言い合いだった。終いには顔を真っ赤にして逆上した侯爵がノーマンに掴みかかってもつれ合う。勢い余ってテーブルごと転げ……2人して仲良く料理を頭から被ったところで慌てて使用人達が止めに入って2人を引き離していた。
……これ以上は監視する必要もなさそうだ。さっさとカドケウスを引き上げさせることにした。屋敷から脱出させ、木陰でカラスの姿を取らせてから飛び立たせたところで五感リンクを切る。
それから軽くかぶりを振って今見た光景を頭から追い出す。はっきり言って、見るに堪えない光景だった。これだから侯爵家の偵察はやりたくないんだ。何故だか俺の方が精神的に疲れる。
程無くして窓の所に大きなカラスが留まる。鳥の形が溶けて崩れると、窓の隙間から黒い影が入ってきて、一度床に溜まってから黒猫の形を取った。
カドケウスが戻ってきた事であちらでの作業が終わったのを悟ったのか、それまで刺繍をしていたグレイスが尋ねてくる。
「侯爵家はどうなっていたのですか?」
「……問題は無さそうだと思う」
少々言葉を選んでグレイス達に伝える。侯爵とノーマンの喧嘩など内容的に彼女達に、話を聞かせたいとは思えない。
こちらの光景は随分平和だ。天国と地獄ぐらいの差がある。アシュレイは学舎の教本に静かに目を通しているし、ラヴィーネをシーラがブラッシングしているし。イルムヒルトの演奏もいつもながら穏やかな曲調で落ち着くしな。
「盗賊ギルドでも、あまり侯爵家に関わらない方がいいと連絡が回ってきている」
「つまり民間でも、という事よね? 商人もそっぽを向いてしまっているのかしら」
シーラの言葉に、イルムヒルトが首を傾げた。
「だろうね。そういう噂に商人は一番敏感だから」
「けれど、マルコム卿はこの後が大変そうですね」
アシュレイがやや表情を曇らせた。彼女は最近、通信機でケンネルとやり取りができるようになったので、報告を受けて実際に領地経営の方針の話し合いなどもしているらしい。なのでマルコムの一件は彼女にとって決して他人事ではないのだろう。
とは言え、シルン男爵領は順調そのものだ。侯爵家から男爵家まで、あの一帯に横の繋がりが生まれるから、アシュレイとしてはますます盤石ではある。
「大変だとは思うけど、ある程度は陛下や父さんの協力も見込めるからね」
「その時は私も協力します」
アシュレイは胸に手を当てて微笑む。街道はアシュレイの領地にも続いているからな。侯爵家の輸送隊が、領内を通過する際の優遇など、アシュレイとしても関われる部分は大きい。
「ともあれ、これでマルコムからの報告が戻ってくれば侯爵の怠慢とノーマンの不正が明るみに出る。それでメルヴィン王から沙汰が言い渡されて、一件落着っていうところかな」
マルコム自身が告発者となる事で、マルコムに対しては温情判決を出しやすくなる。これは別に甘い顔をしているというわけではない。
侯爵領はマルコムに任せる事で事後処理がしやすくなるというメリットがある。家臣団の処遇などもあるので、血縁者である方がその後の統治も上手くいきやすい、というわけである。王家も諸侯に対して影響力が増えるので歓迎すべき事だったりするのだろう。
事後処理と言えばやはり南方のほうが大変なようで。
新しく南方の統治を行うのは第1王妃の肉親であるデボニス大公家の次男だ。この人物はメルヴィン王の従弟であり、王太子やロイの叔父という事になるのだろう。
ヴェルドガル王家は境界迷宮の事もあるので王権が強い国ではあるのだが……王家の親戚筋でもある大公家や公爵家といった最上位の貴族が相手ともなると話が変わってくる。力関係の綱引きがあって色々大変らしい。
それを言ってしまうと俺も実質的には王家の外戚のようなものだが……うちは平和なものだ。
マルレーンはと言えば、ソーサーの練習をし過ぎて疲れたのか、ソファの上で毛布に包まって寝息を立てている。元々巫女は日がな一日祈りを捧げる事もあるから集中力の持続が並外れているのだ。そのお陰で上達が早い。
「ん……」
マルレーンの髪に指を通して軽く撫でる。どんな夢を見ているのか、彼女は微笑んで小さく可愛らしい声を漏らした。マルレーンの腕の中にセラフィナも収まっている。毛布の中が居心地が良かったのか彼女も寝息を立てているが……家妖精も居心地が良ければ眠るもののようで。
そんなマルレーンとセラフィナの微笑ましい様子に、グレイスとアシュレイがくすりと笑う。
「マルレーン様、喉が治って良かったです」
「前はこんな風にも声が出せなかったからね」
アシュレイも目を細めてマルレーンの髪を撫でる。
「……侯爵家の方は落ち着いたようですし、明日からはまた迷宮でしょうか?」
「そうだね。封印の扉の場所を確認をしないといけない」
……大腐廃湖の攻略と考えると気が重いが……。封印の扉が解放される当日に手間取らないためにも、少々あそこの環境と戦闘にも慣れておく必要がある。
だがまあ、空中戦装備があるのだから、通常の探索より随分ましな方ではあるか。大腐廃湖対策装備もしっかりメンバー分用意してもらっているし。
「まあ……迷宮の話は今日は無しで」
せっかく侯爵家の騒動を頭から追い出したところだし、大腐廃湖の事を考えていたら元の木阿弥というか。
「そうですね。今日はゆっくり休んで、明日からの探索に備えましょう」
グレイスは俺の言葉から何かを察したらしく、柔らかく微笑んで頷くのであった。




