番外524 支配と信義
「ブロウスとオルシーヴか? どうしたんだ一体。その船と陸の民は何なんだ?」
ブロウスとオルシーヴと共に、まずは近付いてきた見張りに話を通す。
「この船は――フォルガロ新造の魔導船でな。まずは担当の魔術師殿が長老と戦士長に話を、という事になっている。魔術師殿達は俺達が危ないところを助けてくれた恩人達でもある。そのため、少し俺達の配置も変わってな」
ブロウスがあまり感情を出さずにそう言うと、話しかけてきた見張りは一瞬俺達に視線をやって――「暫しお待ちを」とだけ口にし、無表情なまま形だけの挨拶をして身を翻していった。
シリウス号は――ここに到着する少し前から船体の紋章やら、両翼やらといった特徴的な部分を光魔法と幻術で覆って出自を分からないようにしている。
「やはり……嫌われていますね、フォルガロの人達は」
グレイスがそんな見張りの様子を見て残念そうに目を閉じる。
「まあ、少しの間は仕方がないかな」
「彼らにとっては束の間であっても心を休められる場所だものね」
と、俺が言うとクラウディアが目を閉じて言った。
何故わざわざこんな嘘を吐いているのかと言えば……彼らが隷属魔法を受けている以上はフォルガロに不利益な事をしに来た、とは明かせないからだ。
隷属魔法から解放するという目的であっても、その隷属魔法の強制力が深みの魚人族達をフォルガロの利益になるように動かしてしまう。例えば……俺達の足止めをしつつ集落から逃げてフォルガロに報告に向かうだとか。
だから手順を踏みつつも、魚人族のこちらへの認識を誤らせた上で事を進めて行かなければならない。
その点、自分達と同じく隷属魔法を受けていると思っているブロウスとオルシーヴが共にいるのなら、彼らには疑う余地もない。
……露見してしまった場合のケースも考えてはいるが――それも緊急の手段であるから、できるなら最初から最後まで穏便に、というのが望ましい。
少し待っていると、見張りの魚人が立派な杖を持った小柄な老魚人と、一際大きな体格の魚人を連れて戻って来る。長老と戦士長だ。
「……これは……。いや、失礼。ようこそ、お出でくださいました魔術師殿」
「一体私共にどういったご用件でしょうか」
長老と戦士長は俺達を見て一瞬驚いたような表情をするものの、すぐに淡々とした印象の口振りに戻ってそう言った。
そこにあるのは諦めの感情、だろうか。理不尽な命令にも逆らえない、という。戦士長は長老をいつでも庇えるような位置取りをしているが、臨戦態勢ではない。逆らえない、というのを知っているからだろう。
「マティウスと言います。公国に仕える魔術師の内弟子で、師匠と共に技術開発部門の仕事をしております」
と、軽く自己紹介をする。肩書きは割と出鱈目だが。
「新しい命令があるので書面を預かってきております。まずは、そうですね。書面の確認をしてもらいつつ、船の中で説明をしたいのですが」
「船の中で、ですか?」
「我らが集落の中に入っては怖がる者も多いのでは?」
「それは……確かに」
というわけで。長老と戦士長にはシリウス号の中についてきてもらう。二人はやや戸惑いながらも一緒に来てくれた。
「そう言えば、恩人、と言っておったそうだが?」
通路を歩きながら長老がブロウスに尋ねる。
「隠密船に乗り合わせた武官達の何人かが我らを毛嫌いしていまして。命令で俺達は魔物相手の戦いとなって大怪我を負ったのですが……」
「合流した彼らが傷の治療をしてくれたのです。意味もなく使い潰すような輩に戦力を預けてはおけないと」
「ほう」
「それは……長として礼を言うべきなのでしょうな」
ブロウスとオルシーヴの言葉に戦士長が声を上げ、長老も静かに目を閉じる。
「非合理な行動は慎むべきでしょう。立場上の違いがあると言っても進んで心象を悪くすれば、いざという時の働きにも身が入らないのは自明です」
「……確かに」
と、長老達が俺の言葉を首肯する。ここまでのやり取りは想定内。話の流れで良い事を思いついた、というように足を止めて振り返る。
「ああ、そうだ。折角ですし、身体を悪くしているところがあれば診断と治療をしましょう。後々の事を考えればそうしておいた方が、お互いの心象も良くなるでしょう?」
そう言うと、長老と戦士長は顔を見合わせ、それから静かに頷いた。元より拒否権がないので諦め気味というのもそうだが、ブロウスの言葉で治療というのは真実だと思っている。彼らへの命令書はフォルガロも実際に使っているそうだが……マルレーンのランタンでブロウス達の記憶にある命令書を調べて贋作も用意してあったりする。
付け加えて言うなら、長老が尻尾の関節を近年痛めてしまったらしく悩んでいる、というのもブロウス達からリサーチ済みだ。
そんなわけでまずは手近な船室に案内して、そこで治療と称して隷属魔法の解除を行ってしまおうというわけだ。
「どこか悪くしている部分はありますか?」
「尻尾の関節を少々」
「俺は、特には」
と、長老と戦士長が答える。
「ふむ。ですが、自分では気付かない内臓の病というのもあります。順に診察して行きましょうか」
「承知しました」
戦士長は静かに応じる。
では……まずは長老からだな。背中に触れて循環錬気。実際に体内魔力を見ながらウロボロスと共に波長を調べ、隷属魔法解除の準備を整える。続いて戦士長もだ。波長を調べておいて――。そして二人同時に隷属魔法に対して封印術を打ち込む。
「……こ、これは――?」
自身の身体に起こった違和感に、長老達は弾かれたように振り返る。
「落ち着いて聞いて下さい。実は僕達はフォルガロの者ではありません。ブロウスとオルシーヴから話を聞き隷属魔法の解除に来たのです」
「本当です、長老。俺達はこの御仁に隷属魔法を解除してもらい、助力を求めたのです」
「現に今も、フォルガロに不利になるような話を聞かされても魔法が反応していないはず」
ブロウスとオルシーヴが俺と共にそう訴えると、2人は自分の掌を見ながら、目を見開いていた。隷属魔法の効果が発動していない事に気付いたのだろう。
「しかし、まだ隷属魔法の機能を封じているだけで解除には至っていません。続けさせていただいても良いですか?」
そう言うと数瞬の間を置いて顔を見合わせていたが、やがて長老と戦士長はその場にやおら膝をついて言う。
「どうか……どうかお頼み申す! 一族の者達を――助けて下され!」
「その為ならば……どのような命令にも従います。どうか……!」
自分達ではなく、一族の者達を、か。
「勿論、全員解除するつもりでいます。解放されたのに新たに誰かの支配を受ける必要もありません。ですがその為には、まずはお二人から隷属魔法の解除を。単純に解除していけばいい、というわけでは無いのはここまでのやり取りで理解していただけたと思います」
「それは……確かに。どのようにすれば良いでしょうか?」
「顔を上げ、立ってこちらへ」
そう言うと二人はおずおずと立ち上がり、こちらにやってくる。オリハルコンで波長を合わせて、隷属魔法に対して合鍵を組んで解除していく。光の粒が飛び散るようにして、二人は隷属魔法から解放された。長老の尾については、また改めて治療を行うとして……。
やはり隷属魔法の鍵の形はブロウス、オルシーヴと同じだ。これなら出先の魚人族にもしっかり呪法を効かせられそうだな。
「……ああ、我らの悲願が、このように突然来ようとは」
「……生まれて、初めてだ。こんなにも、晴れ晴れとした……」
天を仰ぐ長老と、自身の掌を見つめてから、目を閉じて拳を握る戦士長。二人の立場なら……こういう反応にもなるか。
ブロウスとオルシーヴもそうだったが、隷属魔法からの解放というのは幾度も思い描いていたに違いない。
「しかし、まだ……まだ余韻に浸っている場合ではありませんな。我らはどうしたらよいのでしょうか?」
長老はかぶりを振ると思考を無理矢理切り替えたようだ。真剣な表情でこちらに視線を向けてくる。
「経緯やこれからの事は後で詳しく説明と相談をしたいと思っていますが……瞳を使って一族の方々を半分眠ったような状態にして隷属魔法を順番に解除する、という手を考えています。一族全体を纏めて誰にも露見させずに、となるとその方法が確実かなと。思うところはあると思いますが……瞳の力を借りる事の、許可を頂きたいのです」
そう言うと、長老と戦士長は再び驚きの表情を浮かべた。
「瞳……とは。何度も驚かされてしまいますが……お手元にあるのですな? あれが」
「はい。あの物品を神聖なものであるとか、逆に災厄を招いたと忌む向きもあるとは思いますが……かつて皆さんを庇護していた大いなる存在であるなら、一族の危機を助けるために瞳の力を借りる、というのは本来あるべき姿なのではないかと思うのです。勿論、僕を信用してもらえるならの話ですが」
長老は俺の言葉を受けて、再び天を仰ぐ。数瞬の間を置いてこちらに視線を戻した。
「瞳を持ちながら……使う事の許可を我らに求める。仮に騙そうというのなら、そのような回りくどい事をする必要もありますまい。貴殿は我らの気持ちを考えて下さっておいでだ」
「つまり、筋を通すために我らだけを先に解除なさったということですか……」
「貴殿を信じます。どうか、そのお力で我らをお助け下され」
長老と戦士長がそんな風に言ってくれる。
穏便に……話が進んで良かった。途中でフォルガロの者でないとばれていたら、同意を得ないまま瞳を使うということになっていたかも知れない。さっきの方便での心象の話ではないが、これから先の事も考えればそうした段取りをしっかり踏むのに越したことはないからな。