95 精霊殿の奥にて
瓦礫の中に、ルセリアージュが仰向けに倒れているのが見える。暴風と雷撃が至近から炸裂したのだ。身体のあちこちが裂けて焼け焦げてはいるが――これで終わったのか。それともまだ力を残しているのか。
ウロボロスを構えながら近付くと、奴はいっそ穏やかにさえ見える表情で笑った。
「……立派な心掛けだけれど。あなたの勝ちよ。私は、これでお終い」
「お前ら魔人は……いつもそうなんだな」
やるだけやって。自分だけ満足そうに消えていく。
「魔人の死なんて、喜びと共に語られるぐらいで丁度良いわ。私の場合、残す物ができてしまった事が少し残念なくらいだもの。ま……約束は約束だからね」
ルセリアージュは目を閉じて、何かを掴もうとするかのように手を伸ばす。その手足の末端部から金色の輝きになって、風に溶けていく。
「だけれどまあ。あなたなら――きっとどこまでも行けるわ」
口元に笑みを浮かべて。ルセリアージュは金色の燐光になって風に散った。
意味有り気な事を言っていたくせに、ルセリアージュが消えた後には何も残されてはいない。……ここに来るまでに何かをした、という事だろうか?
「テオ!」
「テオドール様!」
思案していると、みんなが血相を変えて走ってくる。グレイスは額を押さえて途中で足を止め、まずアシュレイが俺の所までやってきた。
「酷いお怪我です……! すぐに治療をしますから!」
「ん……ごめん」
まあ今回は多少無理をしたかな、とは思う。
腕と肩の傷については止血できているからともかく、テンペストドライブの制動のツケについては……今魔力循環を止めるとダメージが馬鹿にならなさそうなので、そのままの状態で広場の隅に腰かけ、コートやら上着を脱いで治癒魔法をかけてもらう。
「私達はあっちを見張る」
シーラとイルムヒルトは、精霊殿入口の付近に待機している。……確かに。まだ何があるか分からないからな。
あの黒髪の少女は――もう姿が無い。神殿の中にいるのか。それとももうどこかに行ってしまったのか。
治療に際してシールドで押さえていた箇所の術を解くと――それなりの出血があったが、すぐにアシュレイが治癒魔法をかけてくれる。大きな傷から優先的に治療し、それから小さな傷を。途中でマジックポーションの小瓶を口にして、更に目を閉じて魔法の光を手に宿して治療を継続してくれる。
「……痛みは、ありますか?」
軽く左腕を握り、肩を回したりしてみるが……。
「いや。大丈夫みたいだ。ありがとう、アシュレイ」
「はい……」
傷の塞がった箇所をほっそりとした指先で撫でられた。少しくすぐったい。
身体や衣服に付いた血液を生活魔法で洗い流していく。このままだとグレイスが大変そうだからな。
「テオ」
粗方治療と洗浄が終わったところでグレイスが近付いてきた。少しだけ頬に朱が差して……上気したような顔色である。
「あまり、無茶しないでください」
「……ん。2人ともごめん。みんなは? 怪我はない?」
「私は、少しだけ。けれどもう塞がりました。みんなも問題ありません」
「少し……休憩しようか」
「はい」
宝珠を回収せずに帰るというわけにもいかないが、魔人と戦ったばかりなのだし。
「イルムは?」
あの黒髪の少女がいたのだから、イルムヒルトとしても気が急いでいる所はあると思うのだが。
尋ねてみると、イルムヒルトは少し驚いたような表情を見せた後、嬉しそうに微笑みを返してくる。
「私は大丈夫。きちんと態勢を整えてからが良いと思うわ。進んでいる道が間違っていないって分かったから」
そう、か。
「その……テオ。一旦私の封印をお願いしてもいいでしょうか?」
グレイスが言う。多分、かなりの吸血衝動があるのだろう。このまま探索をするにしても一度衝動を転化しておきたいというわけだ。
「分かった」
まずカドケウスをグレイスにつけて、防御を万全にする。それからグレイスの指輪に触れて、呪具を発動させた。
――途端、グレイスは膝から崩れ落ちそうになる。
「っと。大丈夫?」
「は、はい。ん……少し、力が抜けてしまって。ああ……テオ」
咄嗟に身体を支えると、そのまま抱きしめられてしまう。
髪に指を通され、頬や傷のあった場所を撫でられて。
うん……。グレイスの場合、解放されていると迂闊にこういう事もできないからな。されるがままに任せていると、グレイスが視線をアシュレイに向ける。アシュレイは微笑んで頷くと、一緒に俺を抱きしめてきた。
「帰ったら、マルレーン様も……」
「そうですね。みんなでゆっくりしましょう」
2人はそんな事を言って頷き合っていた。
少々腰を落ち着かせてみんなで休んでから精霊殿内部に立ち入る。
精霊殿内部の構造は、非常に単純だ。そもそも複雑にしても迷いようがない。奥から魔力を含んだ風が吹き付けてくるのだから。
無数のガーゴイルが並ぶ通路を抜けていくと、柱の立ち並ぶ大きな広間に出た。広間の最奥に祭壇。それから祭壇の上に光り輝く宝珠。
あの少女は、どこにもいない。邪魔をしに来る気配さえない。もしかすると風の精霊殿の主なのかもとも思ったが……。
イルムヒルトの記憶に引っかかるという事から判断するに、もっと迷宮全体に関わっているのかも知れない。
濃密な魔力の流れ。宝珠の役割としては――精霊の力を集めて、別の場所へ送っている感じがあるな。風の精霊達との契約を取り結んでいるのが、これか。
「……王城に――持っていっていいのかな?」
そう口に出して祭壇に近付き手に取ってみるが……特に変わった事は起こらなかった。そよ風が俺の身の周りに纏わりついてくるが、特に嫌な感じはしない。歓迎されているような気さえする。
メルヴィン王の話によると契約の儀式は然るべき時にしか行えない、という話だ。星の力を借りて、四大の精霊王を呼び出して宝珠が力を失わないように力を込め直すのだそうで。
とにかく、宝珠そのものがタームウィルズにある事が重要なようだ。
仕組み的には、タームウィルズに在りさえすれば、集めた精霊の力が月光神殿の封印へと流れていくんだろう。
セキュリティの面で言うのなら平時はこうして、封印の扉の奥に置かれているのが最善なのだろうが……扉が開放されてしまっている間は話が変わってくる。ましてや、魔人に目をつけられている今の状況では尚の事だ。
「……大丈夫みたいだ。それじゃあ、帰ろうか」
宝珠を手にして、振り返る。広間の入口。そこに――いつからいたのか。あの黒髪の少女が立っていた。俺の持っている宝珠を見ても、特に怒っている様子は見えない。
「あなたは――」
イルムヒルトが息を呑む。相変わらず神出鬼没だな。
声をかけようとすると、俺の行為を肯定するとでも言うように、小さく頷き、それから目を閉じて身を翻す。持っていっていいという事らしいが……こっちとしてはそれで終わらせてしまっても良い話でもない。俺の役割は、彼女との橋渡し役でもあるのだし。
「僕はテオドール=ガートナーと申します。メルヴィン王の名代、異界大使としてここに来ました」
そう声をかけると、少女の身体がぴくりと揺れた。
俺が何かを言うのを待っているのか、立ち止まったまま動かない。
少女は道案内をして、魔人にガーゴイルをけしかけたと。そういう前提で話をすべきなんだろう。だからと言って人間の味方だとは限らないのだけれど。
協力はしてくれてはいるけれど、あまり情報を渡したくないようにも見えるしな。
「多くを語りたくないのであれば今は無理には聞きませんが。せめて、名前だけでも教えてはいただけませんか?」
「――クラウディア」
振り返り、少女は鈴が鳴るような声で名乗る。金色の瞳が俺を捉えた。
「……クラウディア」
イルムヒルトがその名を反芻する。クラウディアは小首を傾げて、言う。
「その宝珠については――元々あなた達のもの。月光神殿の封印を守る事は、恐らくこちらの目的にも合致するもの。だから、ここの守りを解いているという……ただそれだけのお話よ」
……分かっていた事だが。クラウディアは迷宮管理側に属する者なのだろう。
あなた達というのが「俺達」を指す言葉ではなく「人間」を指す言葉であるのも間違いなさそうだ。
さて、何者なのか。魔人、という感じはしないが。
「……月光神殿に何が封印されているのか知っているのでしょうか?」
「私とて、迷宮内にある物、起こる事の全てを把握しているわけではないわ。災厄を閉じ込めた宝玉で、魔人達が求めていると。それだけしか知らない」
人間側の作り上げた封印だからだろうか。
それからクラウディアは目を細め、イルムヒルトを見やる。
「……イルムヒルトね。あなたは」
「は、はい」
イルムヒルトは神妙な面持ちで頷く。最初から彼女の名前を知っているわけだ。
「自分の出自について、あまり思い悩むべきではないわ。憚る事など、何もない。あなたは、自分の人生を好きに生きていいのよ」
「わ、私は――」
イルムヒルトは俯く。それから顔を上げて、クラウディアに言った。
「私は、それでもあの村に行ってみたいんです」
「……そう。あなたにとって、大切な場所なのね」
クラウディアは目を閉じる。その心の内で、何を思っているのか。
その体が、薄らと透けていく。
「ああ……時間切れね。ここの守りに干渉なんてしたからかしらね。あなた達は、早くここから出た方が良いわ。ここの守りも、直に本来の役割を果たすために動き出すでしょうから」
「時間切れ?」
「ええ。暫く――私は動けない」
クラウディアの身体がどんどんと薄くなっていく。声も不明瞭になって。
「けれど次に会える場所と時期は、あなた達にはもう分かっているのではなくて?」
そんな言葉を残して、クラウディアの身体が霞んで、やがて消えた。
守りが本来の役割を果たす、ね。
色々考えるべき事はあるが、帰り道にガーゴイルから攻撃される前に、さっさと退散した方が良さそうだな。




