第15話 「希望」と「祈り」
謙一がまた茉莉を激励した。
「音楽だろうが小説だろうが、俺がやっている判子彫りだろうが、それらの創り手よりもリスナーや読者や買い手の方がシビアで怖いんじゃないか。どんな高尚な理論や理屈をぶってみても、緩さやナルシシズムが覗いたら彼らは皆、鼻で笑っているだろう。どの分野であれ、自らの想像を超える強烈なものを望んでいるんだよな。自分たちが慣れ親しんだ思考や感性のシステムを破壊してくれるような、ある種の狂気を面白いと思う訳だ。自分の世界、私の世界、と執り憑かれたように音を紡ぎだす熱気や狂気にリスナーは納得するんだろう。音楽も小説も凡そ創作って言うのはみな然りだと思う。それを考えると、生半可なことでは人の心に響くようなものは創れないぞ、茉莉。私には才能が無い、もう楽曲は書けない、なんて甘ったれている場合ではないんじゃないのか。プロって何なんだ?そういうものを超越して初めて道が開けるんじゃないのか、なあ茉莉。しっかりしろよ」
茉莉は謙一の言葉に触発された。
茉莉はまた気持を切り替えて曲作りに取組んだ。これまで書き溜めた楽曲は全て破棄してもう一度最初からやり直すことにした。
「希望」とそれへの「祈り」・・・私にとって希望とは何だろうか?
僥倖は期待出来ないが、災禍は直ぐ眼の前に迫って在る。人生、一寸先は闇かも知れない。希望と絶望は背中合わせだが、人間は絶望だけでは生きて行けない。ただ流されて生きて行けないことも無いが、希望は先の明日に灯を点す。希望とは何なのか?それは共に人生を闘って行く相棒が居るということではないかしら・・・。
茉莉の胸には謙一の面影が彷彿と浮かび上がって、在った。
自分の心に響かないものが聴く人の心を突き動かす筈が無い、未来への予感を孕んだ魂の響きでなければならない、細部の一音一音にまで魂の籠もった音が書き込まれ、私の深い思いから生みだされる「希望」と「祈り」の音楽を作り出さなければならない、
茉莉はそう思い願って曲作りに邁進した。
茉莉の心には全聾の作曲家の言葉が重く深く刻まれている。
「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は美しく輝く。苦しみと闇の彼方に希望の燭光が降り注ぐ」
そうだ、あらゆる苦しみを越えて、希望を見出そうとする人間の普遍的な心情に深く通じる真実の音楽が、聴く人の心を深く揺さぶるのだ!
漸く、茉莉は闇を抜け出した。だが、それは壮絶だ、凄い、というものではなく、ジャズとポップスが一体的に融合した新しい軽やかな楽曲の誕生のように茉莉には思えた。根底には謙一への深い大きな感謝と信頼の気持がテーマとして在った。「Thanks~心から」と命名した。
ある時、茉莉が嘗て通った音大の先輩達が男女十人で結成していたコーラスグループから新曲の創作を依頼された。彼らは毎週テレビの番組にレギュラー出演して、日本の名歌名曲を歌い継いでいたが、年二回のコンサートでは新曲に挑んで自分たちの領域を広げることに挑戦していた。茉莉はその一曲を頼まれたのだった。それはクラシック調の歌劇の一曲だったが、茉莉は自分の最も自分らしさを発揮出来るジャズをベースに作・編曲した。コンサートでは違和感無くメンバーに唄って貰え、聴衆にも受入れられた。




