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デカ盛りグルメむさぼり探偵 つくし ~元天才科学者は、爆食後の5分だけ覚醒する。~  作者: 団田図
第1章 謎の美女とデカ盛りと俺

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第5話 不意の隠し味

「君だね。この店の味を『破壊』したのは」


 平良夏たいらげつくしの声が、静まり返った店内に鋭く響き渡った。

 それは、数分前まで「むにゃむにゃ」と寝言を言っていた人物のものとは到底思えない。絶対零度の冷徹さを孕んだ、断罪の響きだった。

 彼女の指先が、真っ直ぐに厨房の奥を指し示す。

 指された先――洗い場で皿を洗っていた茶髪のアルバイト店員は、ビクリと肩を跳ねさせた。


「は、はあ? 何言ってんだよ……」


 男は引きつった笑みを浮かべ、濡れた手をタオルで拭いながら振り返った。


「俺はずっと洗い場にいたぞ。客の席にも行ってないし、鍋にも触ってない。言いがかりはやめてくれよ」

「『物理的』な接触時間の話をしていない」


 つくしはスッと店員に近づいた。

 膨らんだ腹部を感じさせない軽やかな身のこなしで、彼女は厨房へと歩み寄る。白衣のように羽織った上着がバサリと翻り、その姿は薄暗い洋食屋の厨房を、無機質な実験室へと変えていくようだった。


「私が言っているのは、『化学的』な干渉の痕跡だ」


 彼女は男の横を通り過ぎ、洗い場に置かれたステンレスの籠に手を伸ばした。そこには、これから客に出すためにセットされた、磨かれたスプーンが並んでいる。

 つくしは、その中の一本を検体でも扱っているかのように慎重につまみ上げた。


「見貫くん。これの先端を舐めてみて」

「は? 俺が?」


 突然の指名に、俺は素っ頓狂な声を上げた。


「早く。生体実験よ」

「俺はモルモットじゃない! ……でも、舐めればいいんですね?」


 彼女の有無を言わさない圧力と、理知的な瞳に射抜かれ、俺は逆らうことができなかった。

 俺はおずおずとスプーンを受け取り、その先端を舌に乗せた。

 鉄の味。いや、それだけじゃない。


「……ん?」


 味はしない。

 苦くも、甘くもない。

 ただ、舌の先が少しピリつくような、奇妙な膜が張ったような違和感がある。そして、その後に残る微かな青臭さ。


「なんだこれ……なんか、変な感じがする」

「どんな風に?」

「味がするというより、舌の感覚が一部だけ麻痺したような……」

「結構。正常な反応だ」


 つくしは満足げに頷くと、俺からスプーンを取り上げ、男の目の前に突きつけた。


「当然だ。そのスプーンの先端には、『ギムネマ酸』の濃縮液が塗布されているのだから」

「ギムネマ……?」

「ガガイモ科の植物、ギムネマ・シルベスタの葉に含まれるトリテルペン配糖体だ」


 つくしは解説を始めた。その口調は、大学の講義室にいる教授のように流暢で、圧倒的だった。


「この物質は、舌の味蕾にある甘味受容体――具体的にはT1R2とT1R3のヘテロダイマーと特異的に結合し、甘味情報の伝達を一時的にブロックする性質を持つ。簡単に言えば、これを舐めると少しの間、人間は『甘い』という感覚だけを選択的に喪失する」


 俺と店主は、ポカンと口を開けて彼女を見つめることしかできなかった。

 甘さを、感じなくなる?

 男の顔色が、見る見るうちに怯えていくのがわかる。


「店主。あなたのカレーの隠し味は?」


 つくしが矢継ぎ早に問いかける。店主はハッとして答えた。


「り、リンゴとハチミツだ。たっぷりのタマネギと一緒にじっくり炒めて、スパイスの角を取ってる」

「それが正解だ」


 つくしは、まるで難解なパズルの最後のピースをはめるように言った。


「カレーの味覚構成は、複雑なバランスの上に成り立っている。特にこの店のカレーは、焙煎したスパイスの強烈な『苦味』と『辛味』を、大量の果糖やショ糖の『甘味』でマスクすることで、濃厚なコクへと昇華させているタイプだ。いわば、相反する味覚が綱渡りをする黄金比」


 彼女の冷ややかな視線が、震えるアルバイト店員を見下ろす。


「だが、もしそこから『甘味』という安全ネットだけが消去されたらどうなるか? 残るのは、マスクされていた剥き出しのスパイスの『苦味』と、過剰な『塩辛さ』だけだ」


 俺は戦慄した。

 人間は本能的に、苦味を「毒」、酸味を「腐敗」と認識して忌避するようにできている。

 

「だから客は錯覚したのだ。『腐っている』『苦い』『味が変だ』と。カレー自体に毒を入れる必要はない。客の『舌』というセンサーの方をハッキングしてしまえば、極上のカレーも劇薬に変わる」


 なんてことだ。

 俺は背筋が凍る思いだった。

 誰にも気づかれず、証拠も残りにくい。それでいて、店の評判を確実に失墜させる、あまりにも悪質で知能的な手口。


「しょ、証拠があんのかよ!」


 開き直った男が叫んだ。声が裏返っている。

 往生際が悪い。だが、確かに現時点では状況証拠だ。スプーンに何かが塗られていたとしても、それがこの男の仕業だという決定的な証拠には――


「証拠なら、あなたのその指先にある」


 つくしは一歩踏み込み、男の手首をガシリと掴み上げた。

 華奢な腕のどこにそんな力があるのか、男が抵抗してもびくともしない。


「ギムネマの抽出液は、独特のハーバルな香りがする。調理もしていない、ただ皿を洗っていただけのあなたの指先から、なぜその匂いがする?」


 つくしは男の手のひらを俺たちに見せつけた。

 指先が、微かに緑色がかって見える。


「あなたは配膳の直前、洗浄済みのスプーンの先に、隠し持っていた薬剤を塗布していた。……そして何より、私が『実験台』となって証明した」


「じ、実験台……?」


「私が最初の一口をスプーンで食べた時、違和感があった。微細な味覚の欠落。だが、その直後に『手づかみ』で食べたカツとカレーは、完璧なバランスを保っていた」


 ああ、そうか。

 俺は膝を打った。

 あのマナー違反スレスレの鷲掴み。あれは単なる野蛮な食い方ではなかったのだ。

 スプーンという「汚染された媒介」を通さず、自分の指で直接口に運ぶことで、彼女は「カレー自体は正常である」という対照実験を行っていたのだ。


「汚染源がカレーではなく『スプーン』にあることを証明するために、私はあえて完食した。……まあ、単純にカレーがおいしすぎたっていうのもあるけれど」


 彼女はふっと口元を緩め、残酷な笑みを浮かべた。


「地上げ屋にでも金をもらって、店を潰すように依頼されたんでしょ? 人間の味覚のメカニズムを悪用した、卑劣な食品テロね」


「う……うわああああ!」


 逃げ場を失った男は、絶叫して勝手口へと駆け出した。

 パニックに陥った人間の、無様な逃走だった。


「逃がすかぁぁぁ!!」


 ドゴォッ!!


 鈍く、重い衝撃音が厨房に響いた。

 勝手口に手をかけた男の顔面に、横合いから伸びた拳がめり込んだのだ。

 殴ったのは、俺ではない。

 店主だった。


 男はきりもみ回転して吹き飛び、小麦粉の袋の上にドサリと倒れ込んだ。


「てめぇ……! 俺の魂のカレーを……!」


 店主の拳は震えていた。

 怒りだけではない。信頼していた従業員に裏切られた悲しみと、誇りを傷つけられた悔しさが、その拳に込められていた。


「俺がどんな思いでこの味を守ってきたか……客の笑顔を見るために、どれだけ鍋の前に立ち続けてきたか……! それを、てめぇは……よくも汚してくれたな……!」


 店主は鬼の形相で男の胸ぐらを掴み上げる。

 男は鼻血を出しながら、戦意を喪失してガタガタと震えていた。


「す、すいません! 金に目がくらんで……! 借金があって、どうしても金が必要で……!」

「警察で洗いざらい吐け。地上げ屋のことも、全部だ!」


 俺はすかさず男の腕を後ろ手に捻り上げ、確保した。

 元ラガーマンの拘束からは、そう簡単には逃げられない。


 事件は、解決した。

 あまりにも鮮やかな幕引きだった。

 店主が通報のために電話をかけている間、俺はつくしの方を向いた。


 彼女は大きなお腹をさすりながら厨房のステンレス台に寄りかかった。


「……せっかくの食後感が台無し。お粗末なトリックだったわ」


 彼女は眼鏡を押し上げ、フッと前髪を払った。

 かっこいい。

 悔しいが、今のこいつは名探偵に見え――


 ガクンッ。


「……へ?」


 言うが早いか、つくしの膝から力が抜けた。

 糸の切れた操り人形のように、その体が重力に従って崩れ落ちていく。

 俺は慌てて犯人を捕らえている反対の腕で、彼女の体を支えた。


「ちょ、おい! 平良夏さん!?」


 腕の中の彼女を見ると、さっきまでの「科学者の顔」は跡形もなく消え失せていた。

 瞳から急速に知性の光がフェードアウトしていく。

 顔の筋肉が緩み、だらしない半開きの口元に戻る。


「……あ……急速シャットダウン……」

「はあ!? 早くないですか!?」

「……思考リソース……全消費……。ニューロン……休止……」


 彼女は俺の腕の中で、あどけない子供のように瞼を閉じた。


「……あと……よろしく……。……デザートあれば……起こして……」

「まだ食う気かよ!」


 つくしは幸せそうな寝息を立て始めた。

 俺の腕には、ずっしりとした重みが残る。2.5キロのカレーを平らげた直後だ、当然重い。

 それにしても稼働時間、短すぎだろ!


 店主が電話を終え、涙目でこちらを振り返った。

 そこには、疲れ果てて熟睡する「探偵」と、それを必死に支える「助手」の姿があった。


「ありがとう……本当に、ありがとう……」


 店主の深々としたお辞儀を受けながら、俺は苦笑するしかなかった。

 俺たちの初事件簿は、こうして「食後」の静寂と共に幕を閉じたのだ。

 それにしても。


「……腹部以外は華奢だ」


 俺は寝息を立てるつくしを背負い直した。

 この燃費最悪の天才探偵を連れて、次はどんなデカ盛りの旅に出るのか。

 俺の胃が痛くなるような予感をよそに、つくしは背中で「……デザートまだ?……」と呑気な寝言を呟いたのだった。

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