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デカ盛りグルメむさぼり探偵 つくし ~元天才科学者は、爆食後の5分だけ覚醒する。~  作者: 団田図
第1章 謎の美女とデカ盛りと俺

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第4話 本場の味と本場のマナー

 つくしの細く白い指が、重厚な銀色のスプーンを掴んだ。

 目の前にそびえ立つのは、標高二十センチを超えるカツカレーの山脈。対して、彼女の手つきはあまりにも華奢で、頼りなく見えた。

 だが、その瞳だけは違った。

 焦点の定まらないうつろな瞳の奥で、微かな、しかし確かな闘志の炎が揺らめいている。


「……いただきます」


 クマムシの鳴くような声と共に、彼女はスプーンを動かした。

 金属の先端が、漆黒のルーと白米の境界線を掬《すく》い取る。

 そして、ゆっくりと口へと運ばれた。


 パクり。


 小さな口が閉じられる。

 俺と店主は、固唾を飲んでその様子を見守った。

 咀嚼。ごくり。

 喉が小さく鳴る。


「…………」


 沈黙が落ちた。

 美味しいとも、マズいとも言わない。

 ただ、つくしは小さく首を傾げた。眉間に、紙一枚分の微かな皺が寄る。それはまるで、完璧に解けるはずの数式において、末尾の数字がわずかに合わなかった時のような、純粋な「違和感」の表情だった。


「おい、どうした? やっぱり味が、ソレなのか?」


 俺が恐る恐る声をかけると、彼女はゆっくりとスプーンを睨み、そして――。


 カラン。


 乾いた音を立てて、スプーンをテーブルに放り出した。


「……しょうもない」

「は?」

「夾雑物《きょうざつぶつ》。……ノイズが混じる」


 彼女は気だるげに呟くと、次の瞬間、とんでもない行動に出た。

 スプーンではなく、自分の「手」を伸ばしたのだ。


「……直《じか》で行く」

「はあ!?」


 俺と店主の目が点になる。

 彼女は躊躇なく、揚げたての巨大ロースカツを素手で鷲掴みにした。


「ちょっ、平良夏《たいらげ》さん! 何考えてんですか!」

「お嬢ちゃん、そいつは揚げたてであっちぃぞ!  火傷すっぞ!」


 俺たちの制止など、彼女の耳には届いていないようだった。

 カツを掴んだ指先から、ヒリヒリと熱が伝わっているはずだ。だが、彼女は熱がる素振りすら見せない。

 そのまま、野生動物が獲物に喰らいつくように、カツにかぶりついた。


 ザクゥッ!!


 小気味よい破砕音が、静まり返った店内に響き渡った。

 分厚い衣が弾け飛び、中から閉じ込められていた熱々の肉汁が溢れ出す。


「……ん」


 つくしの喉が、艶めかしく上下した。

 そこからは、圧巻の一言だった。

 彼女はカツを齧《かじ》り取ると、今度は指先を熊手のようにして、ライスとルーを器用にまとめ上げた。


「いや待って! マナー違反にも程がありますよ!」


 俺が叫ぶが、彼女は止まらない。

 指先で掬い上げたカレーの塊を、ポイと口に放り込む。

 

 インドだ。

 俺はふと、そんなことを思った。

 本場のインドでは、右手を使ってカレーを食べるという。であれば、あながちマナー違反とも言い難い。指先で温度や感触を確かめながら味わうのが、最も美味い食べ方だと聞いたことがある。

 彼女の姿は、まさにそれだった。

 一見、野蛮に見える。だが、その所作には一切の無駄がなかった。

 スプーンという無機質な媒介物を排除し、指先という高感度センサーで食材に直接触れることで、彼女は料理の情報をダイレクトに脳へインストールしているようだった。


「……んぅ……」


 つくしが恍惚の声を漏らす。

 湯気が、彼女の顔を柔らかく包み込んでいた。

 濃厚なギーの香り。クミンやコリアンダー、カルダモン。焙煎されたスパイスの刺激的な匂いが、熱気と共に立ち昇り、彼女が動くたびに周囲へ撒き散らされる。


 掴む、食べる。掴む、食べる。


 それは食事というより、一種の儀式だった。

 カツの断面から覗くピンク色の豚肉が、彼女の小さな口に次々と吸い込まれていく。

 とろりとした漆黒のルーが、白米の峰を崩落させ、彼女の指先で混ざり合い、消えていく。

 指についたルウすら、計算されたタイミングで舐め取られ、一滴のカロリーロスも生まない。


 さっきの客たちは「マズい」「苦い」と吐き捨てていった。

 だが、今の彼女の表情を見ていると、それが嘘のように思えてくる。

 一心不乱に、ただ「美味い」という事実だけを証明するように、彼女は胃袋というブラックホールへ料理を転送し続けている。

 見ているだけで、口の中に唾液が溢れてくるような光景だった。


「す、すげぇ……」


 店主が呆然と呟いた。その目には、涙すら浮かんでいるように見えた。

 自分の料理が、これほどまでに求められ、平らげられていく。料理人として、これ以上の喜びはないのかもしれない。


 俺もまた、その「捕食」の光景に目を奪われていたが、ハッと我に返った。

 見とれている場合じゃない。俺の仕事は「お世話係」だが、本分はあくまで記者だ。

 彼女が食べている間に、少しでも情報を集めなければ。


「店主さん。……さっきのお客さんたちの反応、あれが初めてじゃないんですよね?」


 俺は声を潜めて尋ねた。つくしの咀嚼音がBGMだ。


「あ、ああ……ここ数日、あんな調子なんだ。みんな一口食べては『苦い』『変な味がする』って。でも、俺が味見しても異常はない」

「厨房を見せてもらっても?」

「構わねぇが、何も怪しいもんはないぞ」


 俺は厨房に入り、寸胴鍋の中を確認した。

 ぐつぐつと煮えるカレーは、艶やかで食欲をそそる。異臭もしない。

 棚のスパイス、冷蔵庫の食材。どれも整理整頓されており、衛生管理に問題があるようには見えない。


 洗い場の方を見る。

 あの茶髪のアルバイト店員が、背中を向けて皿を洗っていた。

 小柄で気弱そうな男だ。俺が近づくと、ビクリと肩を震わせて横にずれた。


「……あの、お疲れ様です」

「は、はい……」


 男は俺と目を合わせようとしない。手元がおぼつかず、皿を落としそうになっている。

 挙動不審だ。だが、それだけだ。

 彼はただ皿を洗っているだけで、カレーの鍋には近づいていない。

 もし毒や異物を混入させるとしたら、配膳のタイミングしかないが、彼は厨房の奥に引っ込んでいることが多い。配膳は主に店主がやっているようだ。


「……謎が多いな」


 地上げ屋の嫌がらせなら、もっと分かりやすくガラスを割るとか、異物を混入させるとかするはずだ。

 「味覚だけがおかしくなる」なんて、そんな魔法のようなことができるのか?

 店主の舌が狂っている? いや、つくしは今、猛烈な勢いで食べている。つまり、カレー自体は正常な味だということだ。

 では、なぜ客だけが?


 俺が頭を抱えて客席に戻ると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「……ごちそうさま。補充完了」


 カチャン。

 つくしが、綺麗に舐めとられた指を拭き、手を合わせた音だった。

 テーブルの上には、鏡のように磨き上げられたステンレスの皿が鎮座している。

 あの2.5キロの茶色い山脈が、更地になっていた。

 わずか十分足らず。

 つくしの腹部が、大きく膨らんでいるのを見て、ようやくそれが現実であると実感が湧いてきた。


「は……?」

「嘘だろ……?」


 俺と店主の声が重なった。

 つくしは満足げに吐息を漏らし、テーブルに置かれた紙ナプキンで丁寧に口元を拭った。

 そして。

 ずり落ちていた眼鏡を、中指でクイッと押し上げる。


 その瞬間。

 空気が、凍りついた。


 さっきまで、だらしなく垂れ下がっていた白衣のような上着を、彼女はバサリと翻した。

 姿勢が良くなる、というレベルではない。

 背骨に一本の鋼鉄が通ったかのように、彼女の存在そのものが鋭利な刃物へと変貌したのだ。

 どんよりと濁っていた瞳の奥に、冷たく、理知的な光が灯る。

 肌艶が良くなり、全身から「知性」のオーラが溢れ出している。

 大量のカロリーが、一瞬にして脳細胞の燃料として点火されたのだ。


「血中グルコース濃度、安定」


 凛とした、冷ややかで美しい声だった。

 さっきまでの「……むにゃ」という寝言のような声とは別人の響きだ。


「――ニューロン正常、思考回路接続。これより、事象の解明プロセスに移行する」


 つくしはスッと両手を目の前の空間に掲げた。

 右手の指先が、何もない空中に複雑な数式を書き殴り始める。


『P + 1/2ρv^2 = constant……』

『F = qE + q(v × B)……』


 目に見えないペンの軌跡が、彼女の周囲に光の数式となって浮かび上がるような錯覚。


 そして、左手。

 左手は、見えないそろばんの珠を弾くように、激しく、リズミカルに動いている。


 パチ、パチ、パチパチパチッ!!


 乾いた音が聞こえてきそうだ。

 右手の理論式に、左手の数値を代入し、恐るべき速度で解を収束させていく。

 デカ盛りカレーのエネルギーが、純粋な思考能力へと変換されていく瞬間。


「……エネルギー充填率、120パーセント。……思考回路、全領域展開」


 つくしが呟いた。

 そして。


 パチンッ!


 左手のエアそろばんを、強く弾き切った。

 計算終了。

 同時に、右手が空中に『Q.E.D.(証明終了)』の三点を打ち込む。


 小玉スイカほどに張り出たお腹を突き出した彼女の視線が、鋭く厨房の奥に向けられる。

 その眼光は、X線のように壁を透過し、洗い場で震えているアルバイト店員を正確に射抜いた。


「大盛りカレーを平らげ尽くした私が、その謎も平らげてあげるわ」


 決め台詞のつもりなのだろうか。彼女はビシッと立ち上がる。

 膨らんだお腹の重さなど微塵も感じさせない、優雅で力強い足取り。

 俺は息を呑んだ。

 これが、平良夏つくしの「ON」モード。

 謎の経歴を持つ彼女が、その本性を現した瞬間だった。

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