第15話 閑話 中間管理職の苦悩。
あの女――テレジア様から命じられたのは、
『千の兵を率い、侯爵家に仇なす小娘を討伐せよ!』
という、わかるようなわからないような大仰な命令だった。
だが考えてもみろ。
いきなり千人の兵からなる軍隊など、ただの小役人に過ぎぬ『取次役』という肩書きだけの男爵風情に集められるわけがない。
……もっとも、いまさら愚痴をこぼしたところでどうにもならぬのだが。
「とはいっても……」
侯爵家本来の貴族や騎士たちを遠ざけ、自分に逆らう者を嫌って切り捨てたのはほかでもないあの女なのだ。
もちろん私のように出世欲から彼女に尻尾を振り、従っている小者も大勢いる。
だが、それにしたってこの王都で千人もの兵など集められるはずがない。
現実的な話として進軍の道中、北方の領主たちに兵を出させよう――そう提案したのだが。
「あなたは馬鹿なのですか?
王都からまとまった兵を出陣させるからこそネレイデス家の威信を示せるのです!
なのに途中で兵をかき集めても何の意味も無いでしょうが!」
……まったく話にならん。
そもそも王都で兵を千も集めれば王家に「反乱を起こすつもりか!?」と、詰問されるに決まっている。
それでなくとも彼女は『王弟』などという、微妙な立場の人間の娘なのだ。
普通の貴族以上に、慎重に振る舞うべきだと思うのだが。
他に方法もなく、王都やその近郊で暮らす寄り子たちに出陣命令の手紙を送る。
無論、『こんな(飢饉一歩前の)』状況であるのに、素直に兵を差し出す家などあるはずもない――と思っていたのだが。
逆にこんな状況であるからこそ、少しでもこちらに兵站の負担を押しつけようと考える人間もいたようで。
結果、自分が口減らしに合うかも知れぬというようなことすら考えもせぬような連中がそれなりに送られてきた。
もっとも、それでも集まったのは人数はわずか百五十ほどなのだが。
王都屋敷に詰める役立たずの警邏兵を足しても、せいぜいが三百とちょっと。
足りぬ分は徴兵で埋めるしかなく、結果集まったのは飲み屋でくだを巻いていた酔っ払い、路地裏で寝転がっていた食いっぱぐれ連中。
身元の知れた者など十に一人もおらぬ有様だ。
「数は揃ったが……質を考えれば、先の馬鹿(ロウリーユ家の三男)が連れていった連中よりも酷いな」
ギリギリ兵卒と呼べそうなのが二百、残りは従卒……荷物持ちとも呼べそうに無いのが三百。
あのヨボヨボした爺さんなど、北方領まで辿り着けるのかすら疑わしいが……それでも一人は一人だ。
合計八百も集めれば、千と公称しても咎められはすまい。
「もっとも、問題はここからなのだがな……」
兵が集まったとしても、それを動かすには当然兵糧が必要なのだ。
侯爵家では口にせぬような見たこともないような雑穀や、ギリギリ食えるかどうかの色の変わった干し肉、酸っぱいのが酢漬けだからか、それとも腐敗のせいなのか分からぬ野菜――そんな代物までかき集めて、どうにかこうにか十日分ほど。
それでなくとも寄せ集めとしか言えないような連中の集まり。
その進行速度などたかが知れている。
兵数と言質までの距離、そこから導き出される往復日数と食料の消費量を計算して報告書にまとめ、テレジア様に上奏したものの、返ってきたのは――
『そのような些事はあなたがどうにかなさい』
とだけ書かれた紙切れが一枚。
どうにかなるなら最初から相談などせんわ!
書類仕事しかしたことのない私ですら兵站の重要性くらい理解しているというのに……。
仕方なく道中の領主から食料を供出させるための書状を求めたところ、『面倒なので自分で書け』と印章を放り投げられる始末。
なっ!? ……この女は貴族家の『印章』の重要性を理解していないのか?
それとも筋金入りの愚か者なのか?
ともかく悪用などせず、必要最低限の書類だけは整える。
それから二日後。
出陣式どころか侯爵家の人間の見送りすらなく、我々は出立することになった。
せめて屋敷を出る時くらい顔くらい出せばいいものを……。
総司令である『ベルハルト子爵』が、私の隣で渋面を浮かべている。
一方で、『討伐軍』の名目を与えられた若造たち――何も知らぬ、子どものように剣を振り回したいだけの貴族の次男三男は誇らしげだ。
磨き抜かれた鎧兜に身を包み、貴族街を練り歩き、王都北門で兵たちと合流。
どう見ても道化だが、本人たちが喜んでいるのだから放っておくしかないな。
先頭に貴族や騎士、中軍に荷駄、殿に徴募兵。
形だけは整えたがあたりまえのようにその歩調は合わない。
というか貴族どもはそもそも合わせる気がなく……列はすぐに乱れた。
荷駄は小石に乗り上げて立ち往生し、列から遅れる徴募兵には怒号が飛ぶ。
一日目にして『自分はなぜあの時投げ出さなかったのか?』と後悔ばかりが募る。
貴族の馬は飼葉を想定の倍は食らい、半日で荷馬は脚を引きずり始め。
遅々として進まぬ行軍の末、どうにか最初の宿営地へ着いたころには、とっぷり日が暮れていた。
そして完全に失念していたのが『水』のことだ。
そもそも旅に縁のなかった私に思い至れという方が無理なのだが……言い訳にはならない。
野営地の井戸は一つきり。
もとより商隊向けの場所で、軍勢の利用など想定されてはいないのである。
そこに八百の兵が集まっているのだ。
水を汲むだけで数時間。貴族連中は野営の経験など皆無で、焚き火ひとつで大騒ぎする。
徴募兵どもなど、腹を満たせばそこらで排泄まで始める。
……果たして、こんな烏合の衆を『軍』と呼んでよいのだろうか?




