第14話 閑話 『テレジア・フォン・ネレイデス』
そんな、のほほんとした生活を送っている『府都ジニアス』の面々とは対照的に、今日も騒がしいのは王都のネレイデス侯爵邸である。
「小娘のところに送った者は、これで何人目になりましたか?」
「はっ! 先日送り込んだ二名を加えまして……二十七名でございます」
「二十七……? それが一人として戻ってこないとはいったいどういうことなのです!?」
「お、おそらくは……その、何らかの不都合に巻き込まれたのかと……」
「『何らかの不都合』ですって? ……あなたは馬鹿なのですか?
私が尋ねているのはその不都合が何なのかに決まっているでしょう!
そのような赤子でも言えるような言葉を並べるのがあなたのお仕事なのですか!?」
「も、申し訳ございません……!
なにぶん、ミューゼス以北からは何の情報も入ってまいりませず……」
甲高い声でヒステリックに叫ぶのは、ネレイデス家当主アルトニアスの母『テレジア』。
どういうことも何も、送り込まれた者は全員峠を越えた時点でルミーナたちに捕捉され、そのまま処理されているのだ。
彼女の前にひざまずく小太りの中年貴族――リューゲル男爵も薄々それには気付いているのだが、わかっているからと言ってどうすることも出来ず……こうして冷や汗を垂らしながら黙るしかなかった。
そんな彼の返事に面白くなさそうに言葉を続けるテレジア。
「あら? 情報は入ってきているではありませんか?
……侯爵様への不平不満と、あの憎らしい小娘への称賛の声が!」
「そ、それは……その……ロウリーユの愚か者が、思いもよらぬ野蛮な行動に出たせいでして……」
額の汗を袖で拭いながら、リューゲル男爵は心中で叫ぶ。
(そもそも、あの愚か者――マルコという男を利用しようとしたのはあんたたちだろうが!!)
命じたロウリーユ家だって難色を示し、最初は断ってきたのだ。
それを、彼女が我を通した結果、起こったのは『侯爵家兵団』による領民への蛮行。
それを食い止めた『小娘(ルミーナ様)』が称賛されることにおかしなことなどどこにあるのだろうか?
「そのうえ、今年続けざまに王国を襲った雨風が『新侯爵の悪行に怒った天の罰』だなどと!
下らない噂まで飛び交っているそうではありませんか!!」
(下らないどころか、それだってあんたたちがやったことだろうが!)
思い返せばすべての発端は、本来の後継者であったコルネリアス様をこの女が弑逆したことから始まる。
表向きは体調を崩されての『ご病死』。
だが実際には毒殺されたと、ネレイデス家家臣のみならず他家でも噂されている。
コルネリアス様には成人前ではあるが、嫡子がいたにもかかわらず。
後ろ盾の無いルミーナ様を蔑ろにし、実家である王家――王弟の威光を笠に着て、当然のように侯爵家を乗っ取った女。
当然、それをよしとせず諫めた者も少なからずいたのだが……ある者は遠ざけられ、ある者は隠居させられ。
もっとも自分は、そのごたごたで恩恵を受けた側の人間なのだ。
偉そうなことなど何ひとつ言える立場ではない……のであるが。
(まさか、この女がここまで無能……いや、違うな)
貴族とは本来、わがままで身勝手なもの。
それも蝶よ花よと育てられた王族の彼女を「無能」の一言で切り捨てるのは筋違いだろう。
ただ、追放されたコルネリアス様の嫡子であるルミーナ様が優れすぎていただけなのだから。
(これは完全に早まったかな……)
そもそも侯爵家の裏の部分――諜報を担っていたのは『チェリス子爵家』だった。
彼らがいればこのように大勢を犠牲にせずとも、ルミーナ様の現状を探ることなど造作もなかったはずだ。
だが、かの子爵家の令嬢は当のルミーナ様に仕えていた。
王都を追い出された主君に付き従い、ともに出ていったのは自然の成り行きである。
そして、娘の責任を取るようにチェリス子爵は隠居を決め、その領地のほとんどを侯爵家に移譲する。
本来なら耳目を手放すなどあり得ない。
娘のやったことに目くじらなど立てないと、これからもお家のために励むようにと引き止めるのが当たり前なのだが――なんとそこで『実入りが増える』と笑いながら受け入れてしまったという。
(結局、すべて自業自得ではないか……!)
しかも代替わりしてすぐに起こった今回の不祥事と大凶作だ。
地方から届くのは税ではなく、『早急に食料を回してほしい!!』という必死の嘆願ばかり。
「……テレジア様。
ここは根も葉もない噂を打ち消すためにも、領民にご温情を示されては?
不作にあえぐ民へ施しをなされば、否応なく彼らのお家への忠誠も――」
慎重に言葉を選び提案するも彼女に途中で遮られ。
返ってきたのは氷のように冷ややかな笑みと――
「あなたは、どこまで愚かなのでしょう?
虫けらどもはろくに働きもせず、収穫が減った責任を我らに押し付けて喚く。
その口を塞ぐのが先でしょうに!
施しなど無用です。
むしろ例年以上に厳しく取り立てるのが筋でしょう!」
まるで状況を理解していない言葉だけ。
ここまで愚かなのかと胃が締め付けられるリューゲル男爵。
だから、その取り立てる麦がないのだと!!
しかし彼女にそれを言うのは無駄でしかない。
それを口にすれば自分も遠ざけられるだけなのだ。
「……かしこまりました。
では、そのように取り計らい――」
「いいえ、待ちなさい」
ふと女の声色が変わり、彼の背筋に悪寒が走る。
「例の小娘が暮らす村……食料に困らぬ楽園だと噂がありましたね?」
「はぁ? そう……ですね。
北部の民がそのような戯言を口にしていたと耳にいたしましたが……たかだか百ほどの小村。そのようなこと、ありえぬ話かと」
「ふふ。事実かどうかはどうでもいいのです。
家の難事に手を貸さぬどころか、何の音沙汰もなし。
……これは侯爵家への背信ではありませんこと?」
(はぁ……とうとう実力行使に出るつもりか?)
「……確かに、その通りでございますね」
「今少し苦しめてやろうと思っておりましたが……堪忍袋の緒も切れました。
至急兵を集め連中を討伐なさい!
兵は五百……いいえ、私に逆らおうとする愚か者への、見せしめのためにも千を連れて行かせなさい!」
女の顔が醜悪に歪む。
瞳に歓喜の光を宿したかと思った次の瞬間――
「ふふ……あは、あははは……あはははははははは!!」
背筋が凍りつくような甲高い笑い声。
(この女、それほどまでにルミーナ様が憎いのか?)
まさか千の兵隊が負けることはないだろうが、戦が終わるまではこの女と距離を取ろう――
「リューゲル男爵、王国で戦などそうそう起こるものではありません。
あなたも存分に励むのですよ?」
「……テレジア様のお心遣いに感謝いたします」
考えを読まれたかのように、釘を刺されるリューゲル男爵であった。




