彼女のガキんちょ 後編
閉会式が終わり、全てのプログラムが終了した。
「クリリンお疲れ様。せっかくのお休みに一日中付き合わせちゃってゴメンね。」
「いいですよそんなの…俺も楽しかったし。」
本当に楽しかった。
自分の子供でもないのに感動すらしてしまった。
俺、子供苦手だったはずなんだけどな……
「ママ眠い〜。」
ガキが目を擦りながらママにしがみついてきた。
さっきまで寧々ちゃんとラブラブではしゃいでいたのに。
子供ってのは電池が切れたかのように突然寝てしまう。
千夏さんがガキをおんぶしようとしたので代わりにしてあげた。
「おいガキ。しっかり掴まらないと落ちるぞ。」
「う〜ん…ばぁちゃん今日はお泊まりデイサービス行ってるから…クリリン頑張ってね……」
ガキが背中でむにゃむにゃとささやいた。
今のガキが言った言葉の意味って……
「どしたのクリリン?」
「いやっ、別に!こいつ意外と重いですね!」
言うだけ言って寝やがった。
なんだよこいつ……俺にママを口説けってか?
「クリリンゴメンね。たっ君、行事ごととか遊びに行った帰りって必ず寝ちゃうの。」
「だから謝らなくていいですって。」
千夏さんはその小さな体でいつもガキをおんぶして帰っていたのだろうか?
自分だって疲れているはずなのに……
この人はいったいどこまで頑張るんだろう……
俺が千夏さんのために出来ることってあるのかな?
力になってあげたい……
千夏さんのそばにいたい。
こんな気持ちになったのは初めてだ─────
千夏さんが敷いてくれた布団にガキを寝かせた。
子供の寝顔って無防備で可愛いな……
なーんも警戒してないっていうか、安心しきった幸せそうなツラして寝てやがる。
見てるだけで幸せな気分にさせてくれる……
「じゃあ俺、帰りますね。」
台所で作業していた千夏さんに声をかけた。
今日は大人しく帰ろうと思ったのだが……
「待ってクリリン。ちょっと座って。」
千夏さんに呼び止められ、居間にあるちゃぶ台の前に座ると卵焼きが出てきた。
「塩っぱい方の卵焼き。私はこっち派なんだけど…クリリンは?」
わざわざ作ってくれたんだ……
疲れてるだろうからいつでも良かったのに……
興味津々で見つめてくる千夏さんを前に、俺は卵焼きを口に放り込んだ。
「俺は甘い方ですかね。」
「そうなのっ?クリリンて子供みたいっ。」
だって甘い方が千夏さんって感じがするから……
どうせ俺は子供だよ。
俺がすねると千夏さんはケタケタと笑いながら台所に戻って洗い物をし始めた。
その後ろ姿に
幼い日の記憶がよみがえる───────
「俺の母親…俺が4歳の時に男つくって出ていったんですよ。」
独り言のようにポツリとつぶやいてしまった。
千夏さんは洗い物をする手を止め、静かな眼差しで俺の方を振り返った。
「俺、母親に捨てられたんです。」
誰にも話さなかった俺の過去───────
自分でも…ずっと……目を背けていた。
千夏さんは俺の隣に腰を下ろすと、穏やかに話し始めた。
「クリリンてさ、たっ君と並んで歩く時、必ず危ない車道側歩いてるでしょ?」
「……俺、そんなことしてましたっけ?」
「段差があって、たっ君がつまずきそうな時も支えてくれるし、溝がある場所も落ちないように足元を見てくれてる。」
言われてみればしていたような気もする……
だってあのガキ、ちょろちょろしてて危なっかしいから。
「そういうことを自然に出来るのって、きっとお母さんがしてくれてた記憶が残ってるからなんだよ。」
俺の記憶の奥底にあるのは……
去っていく後ろ姿───────
呼んでも呼んでも……
もう戻っては来ない──────
そんな記憶しか……
俺にはないと思っていた………
「確かに、お母さんはクリリンのことを置いて出ていったかもしれない。でも、クリリンのことを忘れたことは一日も…なかったと思うよ?」
少し前の俺なら、出ていっといてなにを勝手なこと思ってんだと腹が立っていたと思う。
母親なんて、女なんて自分勝手でやらしい生き物だと思っていた。
でも、今ならわかる。
母親とはどういう存在なのか……
きっと……
きっと俺の母親も──────
「……俺も母親から愛されてましたよね?」
目の前にいる千夏さんの姿がかすんでいく……
俺の目から、涙がこぼれ落ちそうになっていた。
泣き顔を見られたくなくて千夏さんから目を逸らした。
「大丈夫だよ、クリリン。」
千夏さんは少し立ち上がり、座っている俺を包み込むように優しく抱きしめた。
「大丈夫…大丈夫だから。」
千夏さんが大丈夫という度に涙がとめどなく流れ落ち、胸の奥から切なさが込み上げてきた。
母親を嫌うことで本当の感情を閉じ込めていた。
俺はずっと……
母親の愛情を求めていたんだ。
千夏さんは良い子良い子と言って、俺が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれていた。
大きな愛情に包まれて
俺の心はゆっくりと解かされていった─────
「僕は寧々ちゃんだけが好きなのに、うわきものって言われるんだ。」
俺はガキの恋愛相談に乗っていた。
ガキは運動会で一位を取ってからさらにモテモテになったらしく、言い寄ってくる子があとを絶たないらしい……
「僕と結婚しても“ぷりん”が心配だって怒るんだ。どうしたらいい?」
それを言うなら“ふりん”だな。
最近の幼稚園女児は随分マセてやがる。
今日はガキと千夏さんと俺との3人で遊園地に来ていた。
絶叫系が苦手な千夏さんに、自分の代わりに子供と一緒に乗り物に乗ってあげて欲しいと頼まれたからだ。
急流すべりで俺達が乗る丸太風の乗り物が流れてきたので乗り込んだ。
「寧々ちゃんはおまえから好きだって言って欲しいんだよ。ちゃんと気持ち伝えてんのか?」
そう言って前の席に座っているガキの頭を小突いた。
「……クリリンは?」
「あ?」
「クリリンはちゃんとママに気持ち伝えたの?」
ガキから逆に聞かれてしまった。
運動会の日以来、千夏さんとは何度も顔を合わせてはいるが、なかなか気持ちを打ち明けられずにいた。
だって千夏さん、うちの子になる?とか言って俺のこと子供扱いするんだもん。
俺のことを男として認識してくれてないんじゃないだろうか……
ガキがため息混じりにつぶやいた。
「クリリン、本気だから躊躇しちゃうんだろうけど、言わなきゃ伝わらないよ?」
「そ、そうだな……」
なんでそんな難しい言葉を知ってるんだ……
俺の方が5歳の幼稚園児に諭されてしまった。
川下り気分に浸れる緩やかなコースが終わり、いよいよクライマックス部分へと上り始めた。
周りを見下ろすと、千夏さんが柵の外側で手を振っているのが見えた。
ガキがママ──っと言って大きく手を振り返した。
「せっかく遊園地に来たのに急流すべりもダメだなんて可哀想だな。」
「……ママからはナイショって言われたんだけど、ママ絶叫系平気だよ。」
「えっ…それマジか?」
「うん。グルグル回るジェットコースターも乗ってたもん。」
じゃあなにか?
ウソついて俺を遊園地に誘ったってことか?
俺とそうまでして一緒に出掛けたかったってこと?
それって───────……
「おいガキ。ママが他にも俺にナイショにしてることってあるか?」
「あるよー。ママねぇ、本当はクリリンのこと……」
「俺のこと……?」
ガキの方に身を乗り出した時…ちょうどテッペンにきていた。
そのまま落差十数メートルから滑降するもんだから大絶叫してしまった。
お、落ちるかと思った……
子供を産み育てるのは本当に大変なことだ。
子供は小さくったってちゃんと意思がある。
思い通りにいかなくて当たり前。
成長すれば腹が立つことや生意気なことも言ってくる。
それでも親は、子供が一人でもちゃんと生きていけるように導いてあげなければならない。
でも大変なことだけじゃない。
ウソだろっ?っていうような突拍子もないこともたくさんしでかしてくれる。
ランドセルを忘れて学校に行ったり
お友達の靴を履いて帰って来たり
課外授業で他の学校に付いて行って迷子になったり
踏切で線路の窪みに自転車ごと落ちたり……
あっすいません…この4つのエピソードは全部うちの子の実話です。
それもこれも
全部良い思い出となるのです────────
お昼の時間になり、遊園地にあるテーブルでお弁当を食べることになった。
「あぁもう苦しいっお腹よじれる〜っ。」
千夏さんは俺の大絶叫がツボに入ったらしく、さっきから笑い転げていた。
「千夏さん笑いすぎですから。」
「だってあの顔……ビデオ撮っとけば良かった〜。」
結局ガキから話の続きが聞けなかった。
ケタケタと笑いやがって……俺のこと、本当はどう思ってんだ?
モヤモヤとした気持ちのまま甘い卵焼きをパクついた。
「ママ、ジュース飲みたい。」
「ええ?もう仕方ないなぁ。あそこの自販機で買っといで。」
ガキはお金を受け取ると嬉しそうに走っていった。
いくつかあるテーブルは全て家族連れでうまっていた。
みんな仲良さそうにお昼ご飯を食べている……
「俺らもはたから見たら家族に見えるんですかね?」
「う〜ん、どうかな。クリリンとたっ君て年の離れた兄弟にしか見えないからなぁ。」
ガキとは14歳差だからな……
俺もまだ10代だし、親子というには無理があるか。
「俺と千夏さんだったらなんに見えますかね?」
千夏さんのモグモグとおにぎりを頬張る動きが止まった。
千夏さん、なんて答えるんだろう……
いつもみたいになに言ってんの?って怒られて終わりかな。
「……カップル…だとイイな……」
千夏さんはそう言って頬を赤らめながらうつむいた。
ウソだろ……千夏さんが照れてる!
その仕草にキュンときてしまった。
「じゃ、じゃあ千夏さんっ。」
俺は千夏さんの顔を両手で掴んで上に向かせた。
「俺達、本当に付き合いませんか?結婚を前提に。」
千夏さんは動揺を隠せないのか、瞳がゆらゆらと揺れていた。
「俺……千夏さんのこと大好きです。千夏さんは?」
「わ、私は……」
千夏さんの顔がますます赤くなっていく。
やべぇ……可愛いすぎて…キスしたくなってきた。
俺は千夏さんからの返事を待てずに
そっと唇を重ねた────────
「キスしたら赤ちゃん出来るんでしょ?」
ガキがテーブルに座って卵焼きを食べながら俺達を見ていた。
いつの間に戻ってきていたのだろうか……
千夏さんが椅子から落ちそうなほどの勢いで俺から離れた。
「僕ねえ弟がいいっ。一緒にサッカーやるんだあ。」
「た、たっ君。今のは違うからね?赤ちゃんなんて出来てないよ?」
「なんでー?じゃあどうやったら出来るの?」
この手の無邪気な質問ほど大人を困らせるものはない。
千夏さんがおまえが答えろといった目で俺をにらんできた。
「あー…それはだな。まず順番としては俺がおまえのママと付き合って結婚してちゃんと籍を入れて、それからキス以上のことを布団の上で真っ裸になって……」
ここまで説明した時に千夏さんからぶん殴られた。
「なんすかっ千夏さん?!」
「なんすかじゃねえわっ!」
俺達はやっとスタートラインに立ったところだ。
これからゆっくり時間をかけて
たくさんの思い出を共有していく──────
いきなり5歳の男の子の父親になるだなんて、不安じゃないのかと聞かれれば不安だ。
でも大丈夫。
だって俺はガキから……
いや、たっ君から
他では決して得ることの出来ない
形にはないものをた───くさんもらって
父親になっていくのだから───────