第四十話 『カタストロフィ』 7. 世界連合と特別富裕層
人類とベリアル・プログラム。
一瞬のうちに地球の果てまで走り抜けた一報は、世界中の人類に不安と恐怖を植えつけていった。
「もう何も隠しだてする必要がなくなったわけだな」
作戦会議室で桔平と進藤あさみが向かい合う。
そのかたわらには、壁際で仁王立ちのまま腕組みをする木場の姿があった。
部屋の中に他の人間はおらず、三人とも一様に眉を寄せ沈痛な面持ちだった。
問いかけにも口を開こうとしないあさみに、もう一度桔平が顎をしゃくってみせる。
「おまえにもわかっているはずだ。あれは凪野博士から俺達に向けられた絶縁状だ。メガル全体が矢面に立たされているこの状況下で、世界中に向けてあんなことを言うなんて、それ以外に考えられない。その思惑通りかどうかは知らんが、メガル全体がテロ支援グループの中枢組織として、世界連合から正式に認定されたようだな。俺達は博士に見捨てられた。そっちはまだ公になってないが、すでに出向職員達の帰属離脱も始まって、どこも蜂の巣をつついたような騒ぎだ。何か裏はある。その時間稼ぎのために、スケープゴートにされたということだろう。俺はそう睨んでいる」
「或いは、私達をかばう余裕がなくなった博士からの、最後の忠告」
思わぬあさみの好意的な呟きに、桔平がぴくりと眉をうごめかす。
「博士は、お前達にとって敵ではなかったのか」
「あなた達にとってもでしょ」
「……」
絶句する桔平の顔を見据えて、あさみは続けた。
「凪野博士が敵かどうかは関係ない。私にとっての彼は、私個人のかたきだという事実しかない。彼の計略のせいで父と兄は命を落とした。その理由のためだけに私は彼を個人的に憎んでいる。組織間のいざこざなんて、どうでもいいことだわ」
「はっきり言いやがったな。そう火刈にたぶらかされたのか」
「そういうあなたは、彼からのお目付け役なんでしょ。私が裏切らないための」
「そう聞かされてたんだろ、奴から」
睨みつけるようにあさみと向かい合う桔平。
「殺すだけならいつだってできたはずだ」
「そんなに簡単にいくのなら、今現在、博士が存在していること自体がおかしいでしょ。今まで何人の暗殺者が彼の命を狙いにやってきたのか、知らないとは言わせない」
「俺には到底無理だ。核兵器を持ち出したって、凪野博士をしとめる自信はない。だがおまえは違う。身内のおまえならばできたはずだ。だから火刈から選ばれた。博士もそれを承知で、おまえを受け入れたはずだ。かたきであるおまえに殺されるのならば仕方がないとな」
「都合よく解釈しずぎよ。私はそこまで信用されていない。彼はそれほど甘くはない」
「やる気がなかっただけだろ。本気ならば、刺し違えてでも何か行動に至っていたはずだ。何故やらなかった。自分が破滅するのがこわかったのか」
「確かめたかった」
「何をだ。本当に博士が自分のかたきなのかどうかをか」
「違う。どんな理由があるにせよ、この世界に彼が必要であるのかどうかを」
「で、答えは出たのか」
「それをあなたに言う必要はない」
「だろうな」
そのピリピリとしたやり取りを、木場はまばたきもせずに凝視していた。
すでに周知の事実であり、常に互いの腹の底にあったしこりを、木場という立会人のもとですべてさらけ出したことになる。
二人の間に流れる緊張感に気おされつつも、木場は複雑な想いを胸中に抱き始めていた。
「木場」
桔平の呼びかけに、木場の心が出遅れる。
「……ああ、すまん」
表情もなく木場を眺め、改めて桔平が話の骨格を露呈しようとした。
「これでおまえにはすべてを伝えたことになるな。前にも言ったが、俺は火刈直属の部下だ。理由は、今あさみが言ったとおり、こいつと凪野博士の動向を逐一奴に伝えること。メガルにおかしな動きがあれば、即座に対応できるようにな」
「火刈が、か」
「火刈が、だ」
木場の疑問を桔平が先取りする。
「今、この世界には二つの大きな勢力がある。一つは世界中の主だった国々が世界平和の名目で寄り集まってできたもので、世界連合と呼ばれるもの。俺に命令を下している火刈の所属先もそこだ。国を通じて、桐生や三雲を動かしたのも同じところだ。火刈はもともとこの国の一官僚にすぎなかった。だが、いつからか野心が芽生え、この国のトップにのし上がりたいという分不相応な考えを抱き始めた。そのための道具に利用されたのが、凪野博士とメガルだ」
あさみをちらと見やる。
あさみからの反応はなく、ただ桔平の顔に注目していた。
「おまえも知っているとおり、世界連合ができた経緯には理由がある。メガル発掘隊の一責任者にすぎなかった凪野博士が、メガル文明の解明によって大国以上の力を持つこととなった。それに危機感を抱いた先進諸国が、博士の影響力に対抗するためにつくったのが、先進諸国同盟とも称される世界連合だ。一本化された明確な組織が存在するわけではない。だが彼らは共通の脅威に対しては、互いの不可侵を条件に、いついかなる時も協力し合うものという取り決めを持つ。ずばり、その目的は、博士からメガルの財力と権利を取り上げることだ。火刈はそれを実行に移す手段として、凪野がすべての諸悪の根源と位置付けた。そうだよな、あさみ」
「ええ……」ふん、と鼻から息をもらす。「博士は力を持ちすぎた。たった一人の人間が、世界中すべてを敵にまわせるほどに」
「そんなバランスブレイカーを、自己顕示欲の塊どもが黙って見過ごすわけがない。憎しみ合う民族の間にさえ協定ができた。すべては利己的で歪んだ自尊心のため。醜いエゴイズムが原動力だ。皮肉な話だが、博士は自らが彼らの共通の敵となることによって、世界を平定したことになる」
「でもそれは平和ではない」
「そのとおりだ。メガルと世界連合の出現は、世界をさらなる混沌へと導いた。これがプログラムの一つだとすれば、遠からず俺達は終焉を迎えることだろうよ」
「世界連合を作らなければならなかった理由は他にもある。凪野博士よりも、もっと深刻な理由が」
焦れたような物言いで、あさみが割って入った。
それを黙って見守る桔平。
「さっきあなたが口にした、世界連合とは別の、もう一つの勢力。特別富裕層と呼ばれる存在。彼ら一人一人が大国と同等の資金力を持ち、何百年も世界情勢を裏側からコントロールしてきた、世界の実質的な支配者。その支配力は、湧いて出たレベルの富豪ごときでは、まるで太刀打ちできないほどの絶対的なもの。だからどの国も表立っては文句も言えない。現実的に、彼らの庇護のもとで成り立っている国もあるくらいだから。世界連合ですら、彼らに対しては敵対の意志を微塵も示さず、服従の姿勢を崩さない」
「彼らを巨大な資本家に例えるのなら、世界連合ごときは小さな労働組合みたいな立ち位置だろうな。クビどころか、さわるだけで存在そのものを否定されるくらいヤバいレベルの」
「問題は凪野博士と特別富裕層の関係」桔平の合いの手をスルーしてあさみが進める。「もともと特別富裕層からの全面的な資金援助とバックアップによって、メガル文明の発掘は実現した。メガル文明の解明が、彼らの力をさらに高めるものと期待されていたから。だから特別富裕層の逆鱗に触れるのが怖くて、世界連合は危険視していた凪野博士にもまったく手が出せずにいた。でもメガル文明の力は、そのパワーバランスをいとも簡単に破壊してしまった。凪野博士自身が、特別富裕層全体に匹敵する経済力と、今の文明そのものを置き去りにできるほどのテクノロジーを手にしてしまったから」
「特別富裕層の支配下にあり、世界連合との友好関係を保ったまま、凪野博士は第三の勢力となってしまったわけだな。他の二大勢力を脅かすほどの存在となって。だがそんな状況を、ずっと世界の支配者であり続けた彼らが黙って見逃すわけがない」
「世界連合が凪野博士を中心としたメガルを標的とすることを、彼らが黙認した。これは凪野博士以外の二つの勢力が手を組んだことを意味する。そして凪野博士自身には、直接的な被害が及ばないことも前提で」
「俺達を売ったということか」
二人が同時に木場へと振り返る。
「ちょうどいいタイミングだろ」桔平がその先にある真実に目を細める。「博士がそれを仕組んだ首謀者ならな」
「やはりそうか」それは木場にとっても、すべてが合点のいく予定調和にすぎなかった。「できすぎている。全部最初から仕組まれていたような不自然な流れだ。まるで、メガルに敵対する相手に大義名分を与えるために、タイミングを見計っていたかのような」
「そのとおりだ。周囲が敵だらけになるまで待っておいてから、世界を滅ぼそうと画策する凪野博士が、ベリアルというプログラムを召還したことにする。ベリアルの復活によって凪野博士は世界中を敵にまわし、世界中が凪野博士を敵と見なした。自分達に弓を引いたと考える、特別富裕層をも巻き込んでな。結果、どこの誰からも疑問を持たれることなく、世界連合は凪野博士とその関係者すべてをテロ集団と特定し、すべてを消し去るために平和保持部隊を編成し直すことができた。末端にあるここにも、遠からずそれが差し向けられる」
「デリーからレプリカを盗み出したのも世界連合だな」
「特別富裕層の手引きがあれば、それくらいたやすい。それがもともと博士によって仕組まれていたものなら、なおさらだ」
「その意図は」
「火刈と特別富裕層が通じている可能性がある。なんらかの理由で凪野博士に疑問を抱いた特別富裕層が、火刈にはかりごとを持ちかけた。詳しいことは何一つわからんが」
「桔平」
「ん」
真っ直ぐに見据える木場を、桔平も同じ表情で迎える。
「凪野博士に見放された俺達は、これからどうすればいい」
「流れに沿えば、世界連合の下につくことになるな。もともとそういう関係性があったし、俺やあさみ以外にも内通者は腐るほどいる。それが自然の流れだ。お前達にとっても、それが一番だろう。今さら凪野博士のバックアップ抜きで、世界中を相手に戦争するわけにもいくまい」
「それを彼らが快く受け入れると思うの」
あさみに振り返る桔平の表情は、ひたすら平坦で生気のないものだった。
「凪野博士の庇護から離れた時点で、私達にはすでに存在価値はない。生かしておく理由も。むしろ彼らが、私達の持つファイアパワーを求めて、躍起になって潰しにかかってくると見た方がいい。私達が生き残るためには、はからずも、私達を捨てた凪野博士の言葉に従う他はない。死にたくなければ死にもの狂いで戦え。私は目的をとげるために、あえて彼の言葉に従う」
「助かったぜ」ふっと笑い、木場を親指で指す。「こいつを説得する理由がどうしても見つからなかった。俺達は今までの関係をうやむやに保ちつつ、今までどおり独自に行動する。それでいいな」
桔平の提案に、あさみと木場が同時に頷いた。
「メガルと世界連合の戦争がこの場所で起こるのか」
「こっちの手に竜王がある以上、奴らもうかつに手は出せんだろ。こっちの戦力はそれだけで奴ら以上だ」
「それもそうだな」
「夕季や霧崎君達は」
あさみの質問に木場が答える。
「迎えの者を向かわせた。今日が終業式らしいから、学校から直でメガルまで移送する。しばらくはここから出ることもできんだろうな」
「協力者達も」
「すべて手配済みだ。彼らが全員到着し次第、メガルは外部との行き来を完全に遮断する。閉鎖された空間で篭城戦をしなければならない」
「戦うのはベリアル。それとも」
「全部だ」桔平が受ける。「世界連合からの発信は、一週間後くらいだろうって話だ。向こうさんもゴタゴタ続きで、こんだけのおおごとをすぐにってわけにはいかんようだな」
「……みたいね」
「……」
「はい……」
司令部からの連絡を受けたあさみに二人が注目する。
あさみからのアイコンタクトに頷き、桔平がモニターを開いた。
途端に絶句する三人。
「これは……」
木場の溜飲に重々しく頷く桔平。
「最悪だ」
メガル全体を覆うようにオーロラが被さり、そこに巨大な影が降臨しようとしていた。
ガーディアンをかたどった、白いもやのようなそれが。