第四十二話 『封印』 1. 変えられない運命
『ブレイクだ! 集中しろ! 夕季の様子を見ながら慎重にやれ』
遅れて届く桔平からの指示に、ようやく礼也も我に返った。
「くそっ!」
「雅、頼む!」
『わかってる。いくよ、礼也君、光ちゃん』
無事ブレイクに成功し、三体の竜王が散開する。
「夕季!」
きりもみしながら落下していく空竜王を追いかけ。光輔が海面スレスレでキャッチした。
ブレイクの後、窮地を脱するように絶叫をともなって逃げていくベリアルだったが、礼也や光輔にはその誘いにのる余力すら残されてはおらず、むしろ助かったという安堵が大半を占めていた。
晴れ渡る空と廃墟と化した街が、それぞれの表情で礼也達を見つめていた。
メガル内部にあるメディカルセンターで、タンカに乗せられ運ばれていく瀕死の夕季を、光輔らが不安げに見守っていた。
元からの深手に加えて意識不明の重態である今、手術に耐えられる体力もなく、経過を見守るための処置しか選択肢がない状況だった。
反応はないものの、眉間に深く刻まれた皺から、夕季が苦しみもがいているのが見てとれる。
遅れてやってきた忍と桔平の目の前で集中治療室のドアが閉められ、心配そうに眉を揺らした忍の姿に桔平が口もとを結んだその時だった。
「お話があります」
白衣の中年男性から声をかけられ、振り返る桔平の顔がゆがむ。
その表情からは絶望以外の感情を読み取ることができなかった。
みなから一人離れ、桔平が担当医師と向かい合っていた。
重々しい口調で医師が切り出す。
「彼女がどれほど重要な人物かは存じています。我々も出来得る限りの処置は施しました、ですが、本来ならば、とっくに延命を諦めている状況であることをご理解ください」
必要なこと以外公言しない彼の顔を、桔平も感情を殺してしごく当然に見返した。
「率直に申し上げて、今彼女が生きていることが信じられません。我々にはもはや生死の有無を見守ること以外何もできません。しかしながら、彼女にとってそれは、いたずらに苦痛を長引かせるだけなのでしょう。二度と目を覚ますことなく、意識が戻ることもなく、痛みを訴えることすらできない肉体に、理解不能な苦しみを与え続けるだけです。明日の夜明けを待たずに、耐え難い苦痛の中、息をひきとることになるかもしれません。あまりの苦痛に耐えかね、彼女の本能が生き続けることを拒む可能性もある。誤解をおそれずに言います。もし彼女が誰かに一言だけ告げられるのならば、楽になることを願うはずです。きっと私なら、今すぐ殺して欲しいと迷わず告げるでしょう」
「あいつがそんなこと言うはずがない。あいつに限って……」
ふいにあふれ出た桔平の激情に、医師が面食らう。
「いえ、たとえばの話です……」
「たとえばもくそもあるか。たとえ俺達には想像できないような痛みや苦しみだったとしても、あいつがそんなこと言うはずない」
「勘違いなさらないでください。私はかなり言葉を選んで申し上げています。あなた方が特別な存在だからです。おそらくは、現状を目の当たりにした他の医療チームは、我々の行っている処置を無駄な行為だとあきれ返ることでしょう。残念ですが、今の医学には彼女を救う手段は存在しない。これが現実です」
「何が言いたい」
「彼女を楽にしてあげるのも一つの選択です。ご家族の方にそれを告げるのは残酷なことかもしれません。ですが、当人の気持ちを察してみれば……」
「俺にあいつを殺す許可を出せっていうのか」
「そういうことでは……」
「そうだろうが。二度とそんなバカなこと口にするな。いくら医者でも、許さねえぞ」
「しかし……」
「おまえ達は人間の弱さしか認めていない。一人の人間が持つ強さを信じていない。そんな奴らに、あいつの生死を語る資格はない」
「それが医学だからです。誰もがそれ以上のものを持ちえ、あてにできるのなら、我々は必要とされない。だがそれは許されない。弱さを受け入れなければ、強さを信じられない人間を救うことができないからです。本当に人間の強さを信じたいのは、むしろ我々の方です」
「それがどうした」
「こんなことを我々が口にすることは間違っている。ですが、一人の人間として、あえて進言します。ご家族の方の身になって考えてみてください。自分の家族が苦しみ続ける姿を、あなたは黙って見ていることができますか」
「!」
「仮に生きながらえたとしても、命の続く限り、彼女の肉体は全身を引き裂かれるほどの痛みに苦しみ続けることでしょう。想像できますか。絶え間ない拷問や地獄の責め苦にさらされる、際限のない苦痛を。やめてくれと伝えることもできずに、その苦しみは死ぬまで続く。あなたなら耐えられるかもしれません。ですが、それをご自分の家族に強要できますか。私なら耐えられない。本人がどう思おうと、たとえ恨まれようと、私ならば、その人を楽にしてあげたいと願います……」
木枯らしが吹き抜ける中庭で、礼也が頭を抱えてうずくまっていた。
その苦悩する様を、楓が心配そうに見守る。
夕季が危篤状態であることを礼也からの連絡で知り、弟達とともに駆けつけていた。
しかし、かける言葉が見つからず、楓はただ立ちつくすだけだった。
「俺のせいだ……」
礼也が発した小さな叫びを楓が拾い取る。
それは苦悩と後悔の念だった。
「俺は間違った選択をした。あいつの覚悟を認めた時点で、俺はすべてを受け入れなければならなかった。それなのに余計なことをして、あいつの気持ちを踏みにじった。自らの意志で犠牲になろうとした、あいつの覚悟を台無しにしたんだ。助けられもしないのに。中途半端に苦しめるだけなのに……」
悲しげに眉を寄せ、楓が一歩近づく。
「そんなに自分を責めないで。古閑さんが一人で苦しむのを見ていられなかったんでしょ。礼也君は正しかったと思う」
その慰めの言葉に過剰に反応し、礼也がキッとなって振り返った。
「何が正しいものか。俺がもしあいつなら、俺を許さない。絶対に」
「それでもあなたは正しかったと思う」
楓は顔をそむけることなく、穏やかに礼也を見つめながら続けた。
「守りたいものと、守らなければならないものは違う。私達は神様じゃない。本当に自分が守りたいものを守るべきだと思う。あなたがそうしたように」
「聞いたふうな口たたきやがって。おまえに何がわかる。俺達の何がわかる」
「私には何もわからない。でも、古閑さんのお姉さんの気持ちならわかる」
「!」
「古閑さんのお姉さん、ずっと古閑さんの手を握ったまま、古閑さんのことを励まし続けている。喜んではいないけれど、触れることもできずに大切な人間を失うことに比べれば、ずっとましだと思う。私が彼女と同じ立場ならば、きっとそう思うはず」
「何を……」ぐっと憤りを飲み込む。「俺は何もできなかった。何も。そんな俺を、あいつらが許すはずがないだろ。絶対に……」
「そうじゃない。あなたを責めるような人はここにはいない。きっとみんな、そうしていたはずだから。もしあなたが古閑さんを見殺しにするような人だったならば、それは私の知っているあなたじゃない。そんな人間なら、そばにいてくれなくてもいい。私はそう思う。……助けてくれて、ありがとう」
「……」
背後からの気配に気づき、礼也が顔を向ける。
つられて振り返った楓の目に映ったのは、表情もなく立ちつくす水杜茜の姿だった。
「何しにきやがった」
「古閑さんの容体は」
「てめえになんの関係がある。なんでここにいる」
「……」
「てめえは何者だ」
ぶすりと告げられた礼也の言葉にも、茜は微塵も揺るがなかった。まばたきすらせず、ただ礼也を凝視していた。
「夕季のスペアか」
「違う」
「じゃあ、なんだ。俺はおまえのことを……」
そこまで言い、礼也が口をつぐむ。
眉一つ揺らすことなく、その葛藤を茜が受け止める。それから二人に背を向けて立ち去ろうとした。
「弟達を助けてくれて、ありがとう。水杜さん」
楓の声に足を止める茜。
「誰のかわりでもない。私は私」
誰に言うともなく、そう告げると、茜は二人の視界から消えていった。
「くそっ!」
激しい憤りをほとばしらせながら、礼也もその場を後にする。
残された楓は心配そうなまなざしで、それぞれの行方を見守るだけだった。
忍だけが入ることを許される集中治療室の外で、精気のない光輔と雅が、込み上げる悔しさに打ちひしがれていた。
「くそ!」
流れ落ちる涙にまみれ、憤りにあえぐ光輔。
それは拭い去れない後悔の念でもあった。
「俺のせいだ。俺がもっと早く止めていたら……」
「光ちゃんのせいじゃない」
やりきれない雰囲気の中、神妙な様子で雅が光輔を見つめる。
雅は陵太郎の死を思い返していた。
「あたしのせいだよ。あたしがもっとしっかりしてたら……」
消え入る雅の声に、光輔が悔しげに唇を噛みしめた。
「おまえ達のせいじゃない」
二人がゆるやかに顔を向ける。
声の主は、厳しい顔で立ちつくす木場だった。
「木場さん、俺、俺……」
「おまえのせいじゃない。みっちゃんのせいでもない。おまえ達はよくやった。ふがいないのは、俺達大人の方だ。おまえ達に頼りきって、結果的に夕季一人の覚悟にすがってしまった、俺達の無責任さこそが責められるべきだ」
「でも、でも木場さんが止めてくれなかったら、俺達は……」
「勝っていたかもしれないな、ベリアルに」
「!」
「それでも止めなければと思った。悲しみを背負った勝利には何の喜びもない。大切な人間が誰一人として残らず、みなで笑うことのできない世界ならば、それは俺にとってないに等しい。こんなことを公言する俺が、この場に不要な人間だということは承知している。後悔している。もっと早く止めることができなくてすまなかった、光輔」
両足を引きずるように木場が去った後も、残された光輔は自責の念にかられ続けていた。
「死ぬわけないよな」奥歯を噛みしめながら吐き出すように光輔が言う。「大丈夫だよな。あいつなら死なない。絶対、死ぬわけない」
「……」
「今までだって、そうやって何度も乗り切ってきたんだ。奇跡を起こしてきたんだ。もっともっと苦しいことや、ひどいことだって乗り越えてきた。こんなことくらいで死ぬわけないよな。雅だって、そう思うだろ」
「奇跡なんて、待っているだけじゃ起きっこないよ」
ぼそりと告げた雅の声に、光輔が過剰に反応する。
「なんでそんなこと言うんだよ。あいつはおまえを助けようとして!」
そこまで言い、込み上げる想いと、その時見た雅の悲しそうな顔に言葉を失う。
一番つらいのが雅であることは、光輔にもよくわかっていたからだ。
「ちくしょう!」
誰にも向けられない怒りを白壁にぶつけ、光輔はその場を後にした。
これ以上とどまれば、言わなくてもいいことまで言ってしまいそうだった。
眉を寄せ、雅がその後ろ姿を見守る。
フラッシュバックする記憶。
そこにはケガで苦しむ、かつての忍や光輔、綾音らの姿があった。
「運命は変えられない。でも」去っていく光輔に背中を向け、雅が小さく呟いた。「未来を変えることならできるかもしれない……」
治療室には夕季の手を取る忍の姿があった。
「夕季、よく頑張ったね。本当によく頑張った。頑張ったね……」
同じ言葉を延々と繰り返す。
もう二度と会えない人間に捧げるように。
「ごめんね。何もしてあげられない。ごめん。ごめんね」とめどなく流れる涙は、絶叫の血涙でもあった。「おねがい、死なないで……」




