第四十一話 『今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの』 11. 今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの
ガーディアン、エア・スーペリアの中、三人が戸惑いの顔を向け合い続ける。
ベリアルに抱きつかれてから、ずっと雅の絶叫が鳴り止まなかった。
「おい、どうした、雅!」
礼也の呼びかけにも何も返らない。
ただその苦しげな悲鳴だけがいつまでもやまなかった。
夕季が唇を噛みしめる。
「桔平さん、みやちゃんを早く引き離して!」
すぐさま、桔平からの声が返る。
『駄目だ。ガイアの周囲にシールドみたいなものができていて、救助隊も近寄れねえ。いつものともどこか違う。ベリアルの操作が影響しているようだ』
「く!」
少女の姿となったベリアルの身体を、力まかせに夕季がエア・スーペリアから引き剥がそうとした。
光輔達にはわからなかったが、ガーディアンを通して雅が精神攻撃を受けているだろうことが予測できたからだ。
ベリアルは最初からこれを狙っていたのかもしれない、と夕季は思った。
礼也も同様に考える。
これこそが違和感の正体だったのだと。
こうなるようにベリアルに仕向けられていたのだとすれば、はなから勝負にすらなっていなかったということだろう。
「おい、夕季、野郎を早く引き剥がせ」
「わかってる」
精神力の限界を超えて、力を込め続ける夕季。
が、それによって変化したのは、雅のさらなる絶叫だった。
『あああああーっ! いやあーっ!』
「!」
「どういうことだ」
「ベリアルがみやちゃんの心を侵食しようとしている」
「なんだ、そりゃ!」
「みやちゃんの心の中にベリアルの心が入り込もうとしている。今無理に引き剥がせば、みやちゃんの精神がベリアルにもっていかれるかもしれない」
「ぜってーか! 根拠は!」
「わからない」眠そうな目を、気力でなんとかこじ開ける。「……でも、たぶん間違っていない、と思う……」
「!」
「ブレイクは!」光輔が叫ぶ。「ブレイクしよう。バラバラになって離脱すれば逃げられるよ」
「駄目だ、雅からの反応がない」悔しそうに礼也が奥歯を噛みしめた。「ガーディアンがロックされた。俺達からはどうすることもできねえ」
その意図とはずれ、夕季がさらなる飛躍を導く。
「今、この状態でラフレシアを撃てば、ベリアルを倒せるかもしれない」
「はあ! てめ、こんな時に何を!」
「わかってる。でも、もうこんなチャンスは二度とないかもしれない。……だけど」
「それって……」
溜飲する光輔。
次に夕季が口にする言葉を容易に想像して。
「みやちゃんも一緒に死ぬことになる、かもしれない……」
「ふざけんなよ!」
激高する光輔。
何も言わなかったが、礼也や夕季は薄々感じ取っていた。
ベリアルと戦うということは、そういうことなのかもしれない、と。
否定しつつも、光輔も同じことを考えていた。
誰かを犠牲にすれば倒せる。が、それをわずかにも躊躇するなら、すべてをもっていかれる。
わかっていることは、このまま何もしなくても、確実にベリアルの術中に深くはまり続けるということだけだった。
約束の五分はとっくに過ぎていた。
ぜえぜえとあえぎながら、夕季は脂汗にまみれた青白い顔を二人に向けた。
「礼也、光輔、時間がない。今すぐ、みやちゃんの意識をガーディアンから分断しよう」
改めて切り出した夕季の提案に、二人が目を見開く。
「そんなことしても、集束のロックは無効にならねえだろ」
「雅との交信を絶ったら、何もできないまま奴にやられるだけなんじゃないのか」
雅を助ける選択を優先することは、ほぼ敗北を受け入れることを意味する。
「考えがある。一旦あたしに、二人からのみやちゃんへの意識を移してみてほしい。それでベリアルを騙して、ダメージをこっちで受け取ってみる」
「できんのか。んなこと」
「わからない。でもイメージはある。あたしも含めて、ここにみやちゃんがいることを強く形作ってくれれば、不可能じゃないはず。たぶん長くは耐えられないから、みやちゃんの意識が戻ったら、すぐにブレイクして離脱したい。今はそれしかない」
「そんなことしたら、おまえがヤバいだろ」
「ギリギリだけど、やってみる。逃げられなかったらおしまいだけど」
「でも、それじゃ……」
「他に手があるの!」
苦痛にあえぎながらの夕季の一喝が、光輔の躊躇を吹き飛ばす。
その覚悟を受け取った礼也が、ゴーサインを出した。
「やるぞ、光輔。うだうだ言ってても仕方ねえ。こいつだって、これ以上あれこれ考えてる余裕はねえはずだ。こいつの限界がくる前に一瞬で終わらす。今日のところは、イーブンで我慢だ」
「……ああ、わかった」
夕季の合図で、ガーディアンから雅の意識を一斉に遮断する。
その瞬間、雅に向かっていた怒涛の精神攻撃が、夕季へとなだれ込んできた。
「ぐ……」
顔をゆがめ、歯を食いしばってそれに耐える夕季。
必死に精神攻撃を押し返そうとしていた。
著しい疲労と消耗によって満身創痍であったが、それでも夕季の精神力は今の雅よりはるかに上だった。
「おい、夕季、大丈夫か……」
言いかけた光輔の言葉が途切れる。
夕季への精神攻撃の片鱗を、すぐそばから感じ取ったからだった。
(おまえの信じる者は、本当におまえが信じるに値する者か)
(おまえを必要としているフリをして、本当は都合よく利用されているだけではないのか)
(おまえのまわりにいるズルイ奴らばかりがおまえを見ている)
(おまえを見ているのはおまえを利用しようとするズルイ奴らばかりだ)
(おまえを利用するために、おまえを欺こうとしている)
(おまえの心など気にとめることもなく)
(誰も本当におまえのことなど見てはいない)
それは深層にしまい込まれ、振り返ることもできなくなったとある記憶に酷似していた。
幻の世界で邂逅した、アザゼルとの会話である。
(何故戦う)
(なんのために戦う)
(誰のために戦う)
(誰を守る)
(誰を守りたい)
(大切な誰を守りたい)
(もっと大切な自分の命をとしてまでも)
(守ってどうする)
(守ってどうなる)
(守る価値もないのに)
(守る意味もないのに)
(どうせすべてなくなるのに)
(すべて消えてなくなるのに)
(何も残らないのに)
(何もかもが無意味なのに)
(すべてが無意味なのに)
(おまえの存在すら)
光輔は煩わしい幻聴に耳を塞ぎ、現実から目をそむけることしかできなかった。
礼也も同様である。
その最中、夕季だけがそれを正面から受け取り、押し返そうとしていた。
「うるさい」
たわごとも、たばかりも、無用とばかりに突き放す。
「いい加減にしろ。もう聞きあきた……」
その強さが、ベリアルに隙を生じさせた。
「!」
「おい、今……」
礼也の声に頷く夕季。
「ベリアルを倒せるかもしれない」
夕季との精神力勝負で、ベリアルは一歩退いていた。
悲鳴をあげ、のけぞり、エア・スーペリアの抱擁から逃れようと身をよじる。
それを夕季がガッチリとホールドした。
『おい、夕季、何をしているんだ』
「今ならベリアルを倒せる」
司令部の面々も含め、周囲が心配そうに見守る中、夕季はもう一度それを口にした。
「今なら倒せる。……今しかない」
『無茶するな、もっと慎重になれ』
「みやちゃんの意識はガーディアンから分断してある。もしガーディアンに何かあっても、影響はないはず。完全じゃないけど、この距離からラフレシアを撃ってみる。こんなチャンス、もう二度とない。今やらなければ、もうベリアルを倒すことはできない」
『おまえ達はどうなんだ』
「え、おい……」
「おまえ……」
戸惑いを隠せない光輔と礼也。
「あたし達……。……あたしたちは……」
夕季の言葉が途切れる。
その時、ようやく自分の視界が赤く染まっていることに気づいた。
眉間にふかく刻まれたしわが、ピクピクとうごめいていた。
両方の鼻孔から大量の血液がしたたり落ち、耳からも出血していた。両目から涙のように血が滲み出てることを夕季が知る。
「おい、夕季!」
「わかってる、礼也。……わかってる」
礼也の声を制して夕季が告げる。
光輔も礼也同様、ただ夕季を見つめることしかできなかった。
「礼也、やめさせろ。離脱だ。夕季を助けろ。今すぐに……」
そう言いかけて、桔平がためらいを見せる。
ふいに、夕季同様、今を逃してはベリアルを倒せないと思ったからだった。
はっとなり、忍の悲痛な顔を見て考え直す桔平。
それこそがベリアルの誘惑であると再認識した。
弱っているフリで相手を引き付けてから目を光らせるのが、ベリアルの常套手段なのだと今さらながらに悟った。
「今すぐ奴から離れろ! おい、みっちゃんの状態はどうなっている!」
「夕季! 夕季!」忍の顔が今にも泣き崩れそうにゆがみ出す。「夕季、返事をして! なんとか言って!」
その呼びかけに、今度は夕季が、はっとなる番だった。
今、伝えなければならない想いに気がついたのである。
『……。ケチャップのフタ、どうやって開けたの』
「!……」
「何を……」
言葉を失う司令部の面々。
同様に目を見開いたまま硬直してしまった忍だったが、やがて何かに気がついたように表情を和らげた。
忍が微笑む。
すべてを受け入れるように。
「……あれはね、容器の中に空気を入れてパンパンにしただけだよ。……キャップをひねってもぐにゃってならないように……」
『なあんだ、そうだったのか……』
突然意味のない会話を始めた二人に、桔平達が戸惑いの色を浮かべる。
「おい、おまえら、何を……」
その声は夕季の耳にはとどかなかった。
『……そんな簡単なことだったのか』
ガーディアンのコクピットの中、血まみれの夕季が満たされたように笑った。
何故そんな簡単なことに気がつかなかったのだろうか。
それほど特別ではなく、平凡なことに。
波のように押し寄せる記憶の束。
連なる想いはありきたりの日常への感謝ばかりだった。
そこにあるものが大切であると普段から感じることができたならば、もっといろいろなことに気づけたはずなのに、と夕季は思った。
「あとのことは、水杜さんに頼んで」
にこりと笑い、そう告げる夕季の姿を、一同は固唾を飲んで見守っていた。
「お姉ちゃん……」
誰の存在も意識することなく、ただ幾千、幾万の膨大な言霊が交錯していた。
そして夕季は、すべてを伝えるためにその一言を選択した。
「ありがとう」
『……』
忍の表情が悲しげに揺れる。それでも、今にも崩れそうなまなざしで、つつみ込むように夕季に笑いかけた。
『……ありがとうね、夕季』
「うん」
『本当にありがとう。待ってるからね』
「……うん」
『夕季……。……愛してるよ』
「……あたしも。……」
忍の顔を見つめ、満足そうに笑う夕季。
それでいいと思った。
それが、自分が望んだ未来なのだからと。
みなの顔が夕季の脳裏に浮かんだ。
みずきや茂樹の顔も。
守りたい。
守りたい……
ただひたすら、そう願う。
表情を正すと、ベリアルにとどめの一撃を放つべく、夕季は前を見据えた。
強き心のまま、誰の耳にも届かない言葉を噛みしめる。
『運命はかわらない。でも、必ず未来はかえてみせる……』
失いたくない、大切なもののために。
続く




