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第四十一話 『今、ここで伝えなければ消えてしまう、大切なもの』 6. 助けて

 

 

 楓と男性が倉庫から出た途端、締め出されるように扉が閉められる。

 その音が遠くまで響き渡ることにすら、考えが及ばない様子だった。

「く、なんて身勝手な奴らだ。確認する時間すらよこさないとは」

「これでいいんです」苦言を呈する彼の隣で、周囲を確認しつつ、楓が涼しげに頷いてみせる。「今私達がすべきことは、ここからできる限り離れることです」

 異形の群はかなり近くまで迫ってきており、開けた場所まで走っていくのは困難だった。

 倉庫と倉庫の通路を覗き込み、その先が複雑に入り組んでいることを確認する。

「ここからなんとか外の方に出られませんかね」

「そうだな」

 突然の混乱に見舞われたせいか、機材や作業車両が雑多に置き捨てられ、この隙間からならば逃げられそうに思えた。ただし人一人が通るのがやっとで、先のどこかで待ち伏せされれば、引き返すこともできなくなる。

「このルートを逃げ道として確保できるのか、確かめる必要がありますね」

「ああ。それに彼らが気づいてくれればいいがな」

 制服の上着を脱ぎ、目立つように楓が通路に置く。それからスカートを翻して駆け出すと、彼もその後に続いた。

 数百メートル先には産業道路があったが、そこにもすでに群は集結しつつあった。

 車両の隙間から様子をうかがう楓と男性。

 両側にもインプの流れができており、細部のディテールまで確認できた。

「やはりすでに囲まれていたか」

 男性の呟きをスルーし、前方を指さす楓。

「あそこを抜けましょう」

 楓が指した先には、接触して立ち往生したり、横転したままの複数の車両が見えた。

 距離は近かったが、インプの流れからはわずかにブラインドにもなっていた。

「一気に走り抜けます。道路を横断したらブザーを使いましょう」

「よし、わかった」

 全力で片側三車線の産業道路を二人が駆け抜ける。路肩を飛び越えると同時に、合計三つの防犯ブザーを一斉に鳴らした。

 耳元で鳴り響く高音は顔をしかめるほどうるさい。しかしインプの群はそんなことなどまるでおかまいなしに進軍を続けるだけだった。

 楓達の存在すら気にとめる様子もなく、ターゲットとなる集団をひたすら目ざして進軍しているようでもあった。

「……」

「駄目だ。音では引きつけられない」

 楓の絶望を彼が代弁する。

 楓はほうけたように、ただインプの群を後方から眺めるだけだった。

「少人数ならば、今のようにやつらに気づかれずに逃げられるのではないのか」

「いえ、彼らは私達に気づいています」楽観的ないちるの希望を、楓が真顔で打ち砕く。「相手にされていないだけです」

「どうしてわかる」

「周囲を見てください。この先どこへいっても、彼らの包囲から抜け出すことはできない。知っているんです。もうどこにも私達の逃げ場所がないことを」

「……」

「このままでは、彼が来る前にやつらが倉庫にたどり着いてしまう」

「彼」不思議そうに眉を寄せる。「彼とは誰だ。警察か、それとも自衛隊の人間なのか」

「いえ、違います。公的な機関はすべて私達の敵になってしまっている。この国が私達を助けてくれることはないでしょう」

「じゃあ、なんだ。ヤクザかテロリストのような武装集団の類か」

「……。そういったものに近い存在かもしれません。この世界に、正義と呼べるようなものはなくなってしまった。正義の味方なんていない。今の私達からすれば、彼らだけが頼みの綱です」

「どういうことなんだ。まさか……」

「誰にも言わないでください。私はメガルの関係者です」

「!」

「ここの位置情報を伝える信号を発信し続けています。助けは必ず来ます」

 衝撃を受け、男性がすぐさま納得したような顔にかわった。

「どうりで落ち着いていたわけだな。あの中で、君だけがそれを知っていたからか」

「黙っていてすみません……」

「いや、すまない。そんなつもりで言ったのではないんだ」ばつが悪そうに彼が苦笑いをしてみせる。「はなから助かろうとも考えてはいなかった。それは最初からわかっていたことだから、今さら誰に文句を言うつもりもない。だが、君の行動の理由がずっと疑問だった。何故ごく普通の高校生くらいの少女が、そこまで勇敢なのかとな。謎が解けて、ようやくほっとしたよ」

「……」

 唇を噛みしめ、楓が男性へと振り返った。

「助けは来ます。でも、今のままでは間に合わないかもしれない。助けが来るまでの間、やつらをみんなのいるところから少しでも遠ざける必要があります。何とかして、やつらを別の場所に引きつけましょう」

「ああ、わかった。だが、どうすればいい。さっきの様子だと、音だけでは無理だろう」

 せわしく周囲を見回す楓。

 インプがまばらに行進していく広域道路沿いに、大型車両が何台も利用できるガソリンスタンドが見えた。

「あれを利用できませんか」

「火をつけるのか。いや、爆発する。かなりの危険がともなうぞ」

「どのみちこのままでは、私達の方が先に死ぬことになる」

 ただでさえインプの間隙を抜けていく必要がある。そこに火を放ち引火を誘えば、二人の逃げ場所は完全になくなるはずだった。

「賭けだな。よし、やろう」

 覚悟を決め頷く男性に、楓も同じ顔で頷いてみせた。

「……すみません」

「もし流れを引きつけられなければ、おしまいだが」男性が難しい顔になる。「それも最後まであがいた結果だ。何もせずに死ぬよりはいい」

「そうですね……」

「待ちなさい」

 歩き出した楓を男性が引き止める。

 立ち止まり振り返った楓を、男性は穏やかに見つめていた。

「私一人でやろう。君はその助けが来るまで、どこかに隠れていろ」

 その真意を汲み取り、楓が嬉しそうに笑った。

「ありがとうございます。でも駄目です」

「家族を残して一人だけ逃げることに引け目を感じているのなら、それは間違いだ。君のいう助けさえ来れば、彼らは助かる。だがここに残れば死ぬことになる。君はよくやった。誰にもできないことをした。もう充分だ。誰も君を責めたりはしない。いや、君の勇気は、残された彼らのためにこれから先も必要なんだ」

 すべてを背負って自分を逃がそうとする男性の顔を、楓はただ静かに見つめていた。

「危険を承知で助けに来てくれる人がいるんです。約束をしたわけではありません。もしかしたら、それどころじゃなくて来られないかもしれない。でもその人が来てくれた時に助けを求めた本人がいなかったら、おかしくないですか。頼む時だけ調子がよくて、あとは知らん顔で、それじゃ無責任だと思います。そんなの許せませんよ。そんな無責任な自分を、私自身が許せない」

「……」

 楓の決意に、男性が眉を寄せた。

「助けが来た時、君がいないと困るんじゃないのか」

「大丈夫です。大事なことは弟達に伝えてありますから」

「そうじゃない。君がいないと、悲しむのじゃないのか。その彼が」

「……」楓が目を伏せる。「あの人はそんな小さなスタンスで生きていない。私達なんかとはまるで住む世界が違う人ですから」

「……」

「正義の味方なんかじゃない。でも、何があっても絶対にブレないから信じられる。だから、強いんです……」

 それから淋しそうにうつむいた。

「わかった。君の言うとおりにしよう」

「ありがとうございます……」


 インプの間隙を縫いながら、二人がスタンドまでたどり着く。

 整備室で見つけた切断用の道具で給油用のホースをカットし、ライターを準備しながら男性が見張りを続ける楓に合図を送った。

「走るぞ」

「はい」

 地面に流れ出るガソリンに向けて、火のついたライターを男性が放り投げる。

 どれだけ走れば安全地帯までたどりつけるのかはわからない。ただ爆発に巻き込まれないよう、あとは必死に走るだけだった。

 比較的密集の薄い方向を目指して駆け出した二人だったが、行く末は必ずインプによる包囲が待ち受けているはずだった。

 背後から聞こえる爆発音。

 それは二つ、三つと重なり、ついには大爆発へと至った。

 後方からの爆風に投げ出される二人。

 その衝撃は、インプの波をわずかに振り向かせた。

「!」

 楓の目の前に、コアとなる眼光まで白い一体のインプが立ちふさがっていた。

 ぐるりと顔を向けたその姿に見覚えはあったが、色だけでなく、それは楓の知るものとはまるで異なるものだった。

「く!」

 楓をかばうように前に出る男性。

 手には木の枝が握られており、その背中がぶるぶると震えているのがわかった。

「私がやつの気を引く。その隙に逃げろ」

「!」楓が泣きそうな顔になる。「そんなことをしたら……」

「深谷恭介という名だ。塾の講師をしている。よければ、君の名も教えてくれないか」

「……桐嶋、楓です……」

「ありがとう」振り返った男性が、楓に満面の笑みを向けた。「なあ、桐嶋さん。人間もなかなか捨てたものじゃないな。そう思わないか」

 そう言って嬉しそうに笑った。自分の家族に見せるものと同じ笑顔で。

「あ……」

「うおおおおおーっ!」

 雄叫びをあげながら、彼が眼前の脅威へと立ち向かっていく。

 死をも恐れず、振り返ることもなく。

「駄目です! いっては駄目!」

 無防備なかまえだったが、ゆらりと手を上げたインプが数秒の後にどう動くのかを、楓は知っていた。

「駄目です! 駄目っ!」顔をゆがめ、心の底から叫ぶ。『嘘だ……』

「助けが来るまで、なんとしてでもこらえるんだ」

「駄目です!」それは血を吐く思いの懺悔の叫びでもあった。『……嘘をついた。私達は助からない……』

「せめて君だけでも、生きのびてくれ」

「駄目……」こらえきれず、涙がこぼれる。『彼はここには来ない。来られない。来るはずがない……』

「君は生きろ!」

「深谷さんっ!」涙が頬を伝って流れ落ちた。『……助けて、誰か……』

「うおおおおっ!」

『助けて……』止まらない涙がはじけ飛んだ。「助けて、礼也君っ!」

 ブシッ!

 突然二人の目の前の視界が開ける。

 その道を切り開いた張本人は、燃える両眼を煌かせ、全身に迸る怒りの力で触れるものすべてを駆逐していった。

 楓と男性が茫然と立ちつくす。

 真紅の疾風は二人の頬をかすめながら、みるみる白い霞を根絶やしにしていった。

 そのまま陸竜王は二人に目もくれることなく、倉庫に向かう大群を視野に納め、太陽を背に高く高く飛び上がった。

「あれは……」

 放心したような男性の呟きに、楓が袖で涙をぐいと拭い頷く。

 それから嬉しそうに笑った。

「正義の、味方です……」


 響き渡る爆発音と地鳴りの後に訪れた静粛に、倉庫内はざわめき始めていた。

 その理由を確かめるべく、幾人かが名乗り出た。

 かんぬきをはずし、おそるおそる扉に手をかける。

 隙間から差し込む午後の陽射しに目を細めつつ確認をすると、それが静寂であることを知った。

 顔だけを出し、きょろきょろと見回す。

 そこに脅威のかけらも残っていないことを改めて認識し、いまだ危機感を訴える人間の意見を無視して、扉を大きく開いた。

「助かったのか……」

 一様にほうけた顔を並べて立ちつくす人々。

 彼らの目の前には、静かに打ち寄せる波の音しか残されていなかった。

「どこかへいってしまったのか……」

 その時だった。

 突然波を割り、水柱を吹き上げ、ドンと地面を震わせて現れる黒い影。

 倉庫内は再びパニックに蹂躙されることとなった。




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