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第21話 想定外の契約者




 辺獄大決戦場。


 第三条を前にしても楽しげに銃を撃ち続ける乱子を見ながら、メフィストの表情からまたわずかに余裕が削れていく。

 乱子はそれを見逃さなかった。


 昔、地下室で見た顔と少し似ていた。

 自分を理解したつもりでいた人間が、途中から何も分からなくなる。


 その瞬間の顔。






 メフィストの権能によって弾丸には今、発射から三秒という絶対の寿命が与えられた。

 ならば乱子は、そ(・)の(・)三(・)秒(・)が(・)尽(・)き(・)る(・)前(・)に(・)全(・)て(・)を(・)終(・)わ(・)ら(・)せ(・)れ(・)ば(・)い(・)い(・)。


 二発の弾丸がメフィストの左右を抜け、その死角へもう一発が迫る。だがメフィストは背後へ杖を回し、それを叩き落とした。


 直後、正面から新たな弾丸が飛び込む。


 第一条が反応し、銃弾の勢いが削がれていく。だが止まり切る寸前、横から来た別の一発がぶつかった。


 乾いた金属音とともに軌道が折れ、弾丸が首筋へ滑り込む。


「――!」


 メフィストが身を沈めると、黒いシルクハットだけがまた弾け飛んだ。


『惜しいィいィ! あと数センチ! 乱子、第三条の三秒を丸ごと攻撃時間へ変えているゥううう――――!!!』


「惜しい。あと指一本分でした」

「分かってる」


 乱子は悔しがるでもなく、次の弾を装填する。


「では、少し趣向を変えてみましょうか」

 メフィストは杖を立て、条件を差し出した。


「三十秒間、銃を捨てる。その間、私もあなたへ一切手を出さない。ティーブレイクです。いかがです?」

「つまんなそう」

「では別案を。一発だけ、何の条文にも妨げられず私へ撃ってよろしい」

「ほんと?」

「ええ。ただし、その後一分間は目を閉じて戦っていただく」


 乱子はわずかに迷ったものの、すぐ首を横へ振った。


「やだ」

「おや。今度は少し悩みましたね」

「一発だけなら、自分で当てた方が面白い」

「普通なら、得るものと失うものを並べれば、どこかで天秤が傾くものですが。あなたは損得ではなく、趣味で断るのですね」

「そうかな」


 返事代わりに銃声が鳴った。

「普通じゃなくてごめんね」

「いいえ。だからこそ、でしょう」


 杖が弾丸を弾き、そのまま乱子へ向く。


 黒い刃のような光が一直線に走った。

「乱子!!」


 ロンジの叫びに重なるように乱子が横へ跳ぶ。だが完全には逃れられず、黒光が腹部を浅く裂いた。


 白い衣装へ血が広がる。乱子は地面を転がったが、すぐ片膝を立てて体勢を戻した。


『入ったァァあ――! メフィストフェレス、ついに有効打!! 乱子、腹部を負傷!!!!』

「追撃しない……?」


 マヨイエルの疑問に、ディーゼが低く返す。


「しませんよお。あの悪魔は殺すより先に、〝人が何を捨てるか〟を見たいんです」

 ――案の定、メフィストは杖を下ろした。


「左手の人差し指をいただけるなら、その傷を完全に治して差し上げましょう」

「指一本?」

「ええ」

「それで治る?」

「約束しましょう」

「じゃあいらない」

「理由を伺っても?」

「銃、二丁ちゃんと持てなくなるから」

「合理的です。しかし、いずれその合理性にも値段がつく」


 ロンジはそこで、ようやく奴の遊び方が分かってきた。

「……、こいつ、乱子を倒したいんじゃなくて、何を差し出すか見たがってない?」

「ええ。メフィストが一番好きなのは、そこですよお」




:





 メフィストフェレスは、昔から人間というものが好きだった。

 いつからそうなったのかは、もう覚えていない。


 かつて、一人の王がいた。


 戦争に負けかけていた王は、敵国を滅ぼし、自国へ勝利をもたらす『力』を欲した。


 メフィストは願いを叶えた。


 代価は、王が最も愛していた一人の息子。


 王は三日間、国と息子のどちらを守るか悩み続けた末、契約書へ署名した。


 戦争には勝った。


 息子は死んだ。


 王はその後、死ぬまで息子の肖像画へ謝り続けた。


 メフィストは約束を守った。だからこそ、その後悔は美しかった。




 あ(・)る(・)商(・)人(・)は(・)莫(・)大(・)な(・)る(・)富(・)を(・)欲(・)し(・)が(・)っ(・)た(・)。


 代(・)価(・)は(・)、妻(・)が(・)彼(・)を(・)愛(・)し(・)て(・)い(・)た(・)記(・)憶(・)。



 商人は契約し、望み通りの財産を手に入れた。翌朝、妻は夫を知らない他人として見た。


 商人は金庫いっぱいの金に囲まれて泣いた。


 それもまた、美しかった。



 ある時は世界の全てを理解したいと願う学者には、望み通りの真理を与えた。条件は、その知識を誰にも伝えられないこと。


 学者は世界を理解し、それを語ることも残すこともできず、最後には一人で抱えたまま壊れていった。


 復讐を望む者も、恋を叶えたい者もいた。聖職者も犯罪者も、人間は何かを欲するたびに何かを差し出した。


 何を選び、何を捨てるのか。


 その瞬間だけは、どれだけ取り繕った人間でも、自分が何を最も大切にしているかを隠せなくなる。


 メフィストは、それを見るのが好きだった。




:





 中でも今なおよく覚えている女がいる。


 二人の子を持つ母親だった。二人とも同じ病に倒れたが、薬は一人分しかない。


「どちらを救います?」


 女は泣き、怒鳴り、二人とも助けてほしいと何度も訴えた。


 メフィストは断った。


 救えるのは一人だけ。



 女は何時間も悩んだ末、一人を選んだ。



 契約は正しく履行され、選ばれた子は助かり、もう一人は死んだ。



 その後、女は生き残った子を見るたびに、もう一人を選ばなかった日のことを思い出した。その苦しみすら、メフィストには美しく映った。



 人(・)は(・)選(・)択(・)に(・)よ(・)っ(・)て(・)自(・)分(・)を(・)露(・)わ(・)に(・)し(・)、と(・)き(・)に(・)そ(・)の(・)選(・)択(・)そ(・)の(・)も(・)の(・)に(・)よ(・)っ(・)て(・)壊(・)れ(・)る(・)。



だ(・)か(・)ら(・)選(・)択(・)に(・)は(・)価(・)値(・)が(・)あ(・)る(・)。



 だからこそ――目の前にいる天使の姿をした人間の少女は、ど(・)う(・)に(・)も(・)読(・)み(・)に(・)く(・)か(・)っ(・)た(・)。





:






「貴女は何を大切にしているのですか?」


 メフィストは戦いの最中、不意に問いかけた。


「何って?」

「命は? たとえば身体は?」

「使ってるから今は大事かな」

「名誉は」

「いらないかな」

「自由は?」

「捕まってた時は欲しかったかも」



 メフィストは迫る弾丸をかわしながら、次を投げる。


「では、《《仲間は》》?」

 乱子の引き金が、ほんの一拍だけ遅れた。


「ほう。仲間は大切ですかな?」

「マネージャーは面白いよ」

「それは大切という意味です?」

「分かんない」



 メフィストはさらに問う。


「では、あなたが失いたくないものは何です?」

「知らない」

「知らない?」

「うん」


 黒い光を横へ避けながら、乱子は一発撃つ。


「《《なくしてみないと分かんないんじゃない》》?」


 その返答だけは、メフィストの予想から外れたらしい。


「《《だから試してるんでしょ》》?」

 メフィストはすぐには言葉を返さなかった。



 その間にも三方向から弾丸が迫る。杖で弾き、二発目をかわす。


 残る一発へ、別方向から飛んだ弾丸がまたもや衝突した。


 軌道が鋭く折れ、燕尾服の胸元を裂く。


『入ったァァァァ! 三秒寸前で軌道変更! 乱子、第三条をまたもまたもまたも突破ああああああああああ!!!!!』


「会話しながらあれ全部組んでたのかよ!」

「乱子さんですからねえ」

「それ万能な説明じゃねえから!」



 メフィストは胸元へ指を当てる。


 乱子は少し乱れた呼吸のまま銃口を向ける。




「第三問。これで正解ってことでいい?」





 メフィストは帽子を軽く持ち上げた。


「ええ。正解です。では――第四問へ」


 杖に残る二つの黒い輪のうち一つが砕け、新たな文章が宙へ浮かび上がる。


【第四条】

【我より二メートル以内へ侵入した物体は、その速度に応じて自壊する】

同時に、メフィストを中心として薄い黒色の円が地面へ描かれた。



「……? 自壊? また嫌なこと書いてんな……」

 ロンジが呟く。


 乱子は説明を待たず、一発撃つ。

 床と壁を使って側面へ回った弾丸が黒い円を越えた瞬間、内側から砕け散った。


『砕けた――――!? 第四条、メフィストフェレスの懐へ新たな防壁を展開だ!!!!』



「……、そういうことですかあ」

 ディーゼが説明する。

「圏内へ入った物は、入(・)っ(・)た(・)瞬(・)間(・)の(・)速(・)さ(・)が(・)大(・)き(・)い(・)ほ(・)ど(・)激(・)し(・)く(・)壊(・)れ(・)る(・)。銃弾みたいに高速なら、ほぼ侵入した瞬間に粉々です」

「じゃあ、遅く入れたら?」

「壊れ方は弱くなります」

「じゃあ攻略できる?」

「遅ければ――でも、そうなると」

 ディーゼがメフィストを見やる。

「あの悪魔が普通に避けちゃいますねえ」




 ロンジはそこで、これまでの条文を思い返した。


「……、全部、乱子が見せた手を順(・)番(・)に(・)潰(・)し(・)て(・)き(・)て(・)ん(・)の(・)か(・)」


 正面から撃てば第一条。跳弾なら第二条。複雑な軌道を使えば第三条。そして最後の二メートルへ届いた高速物体は第四条で砕ける。


「クソみたいに性格悪い能力だな」

「彼に言ったら喜びますよお」

「絶対言わねえ!」


 メフィストは両腕を広げた。

「さて。どちらから来ても、弾丸は私へ届きません」


 悪魔側の観客席が一気に沸き立つ。


「詰んだ!」


        「今度こそ無理だ!!!」


   「銃であそこ抜けるわけねえ……!」




『一条攻略するたび、次の道が潰されていくう! これぞ契約と規則を司るメフィストフェレスの『権能』……!』


「……、いや」


 ロンジは歓声より、乱子の方を見ていた。


 あいつが本当に困っている時とは……様子が違う。


 乱子は砕けた弾丸と黒い円の境界を見比べ、メフィストまでの距離を測るように位置を変えた。


「……、なるほどね」


「降参なさいます?」

「ううん」

「では?」


 乱子は銃口を下げ、そのまま一歩前へ出る。


「近づく」


「ほう」


「だって、二メートルしかないんでしょ?」


 その顔を見た瞬間、ロンジのはなにかを直感した。


 乱(・)子(・)が(・)あ(・)あ(・)い(・)う(・)顔(・)を(・)し(・)て(・)い(・)る(・)時(・)は(・)、た(・)い(・)て(・)い(・)何(・)か(・)を(・)思(・)い(・)つ(・)い(・)て(・)い(・)る(・)。そして、《《その思いつきがまともだった試しはない》》。







 乱子は<絶対銃>を両手に構え直し、そのままメフィストとの距離を詰め始めた。




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