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第12話 無差別銃乱射犯のお気持ち



 世界を救うための第一闘技者が、お茶の間を騒がせた極悪人。そこまでは、もういい。


――いや、正直全然よくないのだが、「救世のために大量殺人犯を復活させます」と言われてから一時間も経つと、人間というのは嫌でも順応するっぽい。ロンジもひとまず、そういうものだと己を納得させた。



 問題は、その極悪人が現在、目の前で天使の太ももへ果物ナイフを押し当てていることだった。



「だからやめいって!」

「まだ切ってないよ」

「その台詞、切る奴しか言わないんだよ! お前はリンゴや柿や旬ものじゃねえんだぞ!」

「どこまで切ったら歩けなくなるのかなって。今まで人間だったから、天使の筋肉がどのくらい丈夫か知らないし」

「だったら余計に本番前に壊すな。お前の新しい身体、替えの利かない高級品なんだっつうの。別の体にまた移し替えとかはできないんだよ!」


「高級品なんだ」と乱子は自分の脚を見下ろし、ようやくナイフを離した。安心したのも束の間、今度は太ももを指で押したり、膝を曲げたり伸ばしたりしている。「柔らかーい」と妙に感心した声まで漏れた。


「初めて自分の脚触ったみたいな反応すんな」

「この身体では初めてだよ」

「……それはそうか」


 正論を返されてしまった。


 復活から一時間。

最低限の検査を終え、乱子は大神殿地下の準備室へ移されていた。

色素の薄い髪に透き通るような白い肌、すらと伸びた手足。背中には純白の翼があり、顔立ちは人形じみて整っている。

生前のロンジなら、街ですれ違っただけで三回くらい振り返って、その日の夜にも「あの子可愛かったな」と思い出してやることやっていただろう。


 そんな美少女が、今は自分の膝裏を指でなぞりながら真剣な顔をしている。


「ねえ、ここなら刺しても歩ける?」

「刺すことから一回離れようか」

「でも気になる」

「好奇心で人体実験すんな。人体っていうか天使体だけど」

「じゃあ天使体実験?」

「言い換えれば許されると思うなよ?」


 乱子は一瞬きょとんとして、それから口元を手で隠した。肩が小さく揺れる。


「あはは。面白い」

「こっちはお前が怖くて必死なんだけど」

「知ってる」

「知っててやってんのかよ!!!!」


 にこ、と笑う。かえすがえす見た目だけなら、本当に可愛い。それが困るのだ。


 乱子は笑うし、ふざける、こちらが怒れば面白そうに反応する。だから時々、忘れそうになる。

召喚が成立したあの瞬間、魂同士が擦れ合ったほんの一瞬だけ、ロンジは乱子の中にあったものを見た。


逃げる人間、泣く人間……《《助けを求める声に血に濡れた床》》。

その隣には教室の机や黒板や窓があった。

そして乱子の中では、人が死んでいる光景と、そこに机が置かれていることの間に、恐ろしいほど『重さ』の差がなかった。



 あの感触だけは、まだ頭の奥に残っている。



「乱子さん」


 遠慮がちな声とともに、マヨイエルが近づいてきた。両腕には真新しい衣装を抱えている。


「これ、着てください」

「なに?」

「闘技用の衣装です。着替えもあります。必要なら防具も用意できます」


 乱子が受け取って広げたのは、純白を基調とした軽装のドレスだった。

胸元と腰には金の装飾が施され、スカートは動きを妨げないよう左右に深い切れ込みが入っている。天使らしい清楚さを残しながら、戦闘用として動きやすく作られているらしい。

あとロンジは知る由もないが防御用の術式もこれには施されている。




(……脚、めちゃくちゃ出るなおい)



 ロンジの視線が、自然とスリットへ吸い寄せられた。


「ロンジくん」

「何すか」

「今、ものすごく邪な顔してました」

「してない。戦闘衣装としての機能性を確認してただけだ」

「目線が太ももで固定されてましたよ!」

「可動域は大事だろ」

「急に専門家みたいな顔しないでください……!」


 横で乱子がドレスを自分の身体へ当てていた。鏡を見るように身体を左右へ傾けたあと、ロンジを見上げる。


「かわいい?」

「……似合うと思う」

「キュート?」

「そこ聞き直すんだな」

「似合うと、かわいいは違うから」

「細かいなあ。可愛いよ可愛い可愛い!」

「ほんと?」

「しつこいもう!!!」


 乱子の口元が緩んだ。


「じゃあ着る」


 そう言って、何の躊躇もなく今着ている簡素な布へ手を掛けた。


「待て待て待て! ここで脱ぐな!」

「どうして?」

「俺がいるから!」

「見たら駄目なの?」


「駄目というか、俺にも色々あるんだよ!」

「なにが?」

「二十四歳異常独身男性の事情をそんな純粋な顔で掘り下げるな!」

「マネージャーなのに?」

「マネージャーは担当代表者の着替え見放題の職業じゃない!」



 とうとうマヨイエルが真っ赤になって乱子の肩を掴んだ。


「乱子さん、こっち! こっちで着替えましょう!」

「別に見られても減らないよ?」

「私の精神が減りますぅ!」


 そのまま乱子は衝立の向こうへ連行されていく。途中で一度だけ顔を出し、「ロンジ、覗く?」と聞いてきたので、「覗かねえよ!」と怒鳴ったら、楽しそうに笑って引っ込んだ。


 ロンジは深くため息をついた。


「……あいつ、絶対ちょっと楽しんでるだろ」

「楽しそうですねえ」

「うわっお!」


 真横から声を掛けられ、肩がはねた。いつの間に来たのかと思えば、ディーゼはさも当然のような顔で立っている。


「急に出るな!」

「最初からいましたけど」

「じゃあ存在感が仕事してないんだよ!」


 ディーゼは答えず、代わりにロンジの顔を覗き込んだ。


「それで、もう惚れました?」

「誰に」

「乱子さん」

「ねえよ」

「即答ですねえ」

「顔は文句なしに可愛いよ。でもそれ本人の顔じゃないし中身が怖すぎんだろ。可愛い猛毒キノコみたいなもんだろ」

「でも可愛いんでしょう?」

「毒キノコの可愛さで食う奴がいるか?」

「人間は結構食べますよ」

「いるのかよ!! ……いや、いるかもな」


 ディーゼがくつくつと揺れた。しかしその笑みは、衝立の向こうへ視線を向けたところで少し薄くなった。


「でも、気をつけた方がいいですよお。あの子、人間の真似が上手いですから」

「人間の真似?」

「笑う。喋っておどけたり可愛いものを可愛いと言う……褒められれば嬉しい。今だって多分、本当に楽しいんでしょう」


「それ、普通じゃん」


「ええ。そこは普通です。ただ――それが『大事』かどうかは、少し怪しい」


 ロンジはけげんな顔をした。


「好きと大事は違うってことか?」

「たぶん」

「たぶん?」

「本人にも分かっていないでしょうからねえ。何かが欠けているのか、それとも最初から私たちとは置き場所が違うのか」


 さっきまでの軽口が途切れた。


「…………、」

 ロンジには、少しだけ分かる気がした。乱子は服を可愛いと思う気持ちも、褒められて嬉しそうにしたことも、おそらくは嘘ではない。だからこそ、あの魂の中で……人間の死だけが妙に軽かったことが気に掛かる。



「……お前は分かるの?」

「分かりません」

「そこは分かんねえのかよ」

「人生は短いですから、なんでも知ろうとする意志が大事なのです」

「天使だろ」

「今日は大量に死にましたしい」

「急に重いんですけども……!?」


 ちょうどその時、衝立の向こうから乱子が出てきた。


「どう?」


 ロンジは一瞬だけ返事を忘れた。



 似合っている。かなり。というか……元々が天使の身体なのだから似合わないはずがない。



「どう、これキューツ?」



 乱子は嬉しそうに笑うと、その場でくるりと回った。白いスカートがふわりと広がり、少し遅れて翼が揺れる。マヨイエルもつられるように表情を緩めた。


「本当に似合っていますよ、乱子さん」

「じゃあこれ好き」


 乱子は満足そうにスカートの裾を摘まみ、白い布をしばらく眺めた。


「でも、これ」

「何?」

「血ついたらもっと綺麗そう」



 一瞬で空気が死んだ。


 ロンジは天井を見上げた。



「神様」

「死にましたよ」

「知ってるよ。ちょっと愚痴りたくなっただけだよ!」


 乱子は声を上げて笑った。


「白に深紅って映えるじゃん」

「試合前に返り血でコーデ考えんな!」

「自分のでもいいよ?」

「もっと駄目だっつうの!」



 着た姿を褒められて喜んだのも本当なのだろう。白い布に赤い血が似合うと思ったのも、たぶん同じくらい本当だ。乱子の中では、その二つが何の矛盾もなく隣り合っている。





 ――今のロンジには、彼女の事は捉えきれなかった。

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