第8話 木枯らしの合図と、焼きカボチャの湯気
収穫祭の賑わいが嘘のように、城壁町『ルミエール』にはしっとりとした秋の静寂が戻ってきた。
広場を飾っていた旗は片付けられ、代わりに石畳の上を、色付いた枯れ葉がカサカサと音を立てて転がっていく。
「……ふぅ、急に冷え込んできやがったな」
ねずみが首をすくめながら、酒場の入り口に厚手のカーテンを吊るした。
店内には、大きな石造りの暖炉に火が灯り、パチパチとはぜる薪の音が心地よく響いている。
「おい、オーラム。……例のやつ、もう焼けたか?」
「焦らすな。……今、一番いい具合だ」
厨房からオーラムの声が返ってくる。
彼が取り出したのは、収穫祭で一番立派だったカボチャを、敢えて丸ごとオーブンでじっくりと蒸し焼きにしたものだ。蓋を切り取ると、中には濃厚なチーズとベーコン、そして秋のキノコがたっぷりと詰め込まれている。
立ち上る真っ白な湯気。
その匂いに誘われるように、店の扉が静かに開いた。
「こんばんは。……いい匂いに導かれて、来ちまったよ」
やってきたのは、近所の石工の親方だ。祭りの準備で喉を枯らしていた彼も、今は落ち着いた顔でカウンターに腰を下ろす。
「旦那、今日はエールじゃなくて、温かいワインを頼むよ。……それと、その旨そうなカボチャを少し分けてくれ」
「へいよ。……祭りの疲れは取れたかい、親方」
ねずみが、シナモンを効かせたホットワインを差し出す。
「ああ、おかげさまでな。……今年のパレードは、うちのガキがまだ話してるよ。『黄金の馬車に乗ったんだ!』ってな」
ねずみは照れくさそうに鼻をこすり、窓の外に目をやった。
軒先では、仕事を終えた白馬たちが、冬毛に生え変わり始めた体を寄せ合って休んでいる。彼らもまた、お祭りの主役という大役を終え、今は静かな日常を謳歌しているようだった。
ワインを飲み、少し顔が赤くなった親方が、おもむろに話を始める。
「ねずみの旦那。……実は少し困ってる……城壁の広場に立てる王様の石像を作れって依頼が来たんだが、これがどうにも進まねえ」
仕事が終わったオーラムが厨房から出て、親方の前に座った。
「進まない? ……石が足りないのか、それとも腕が鈍ったのか」
「バカ言え!体つきも、マントのひだも、剣の柄まで完璧に彫り上げた。……だがな、顔が彫れねえんだよ」
親方はワインを一気に煽り、情けない声を上げた。
「この街の誰に聞いても、役人に聞いても、誰も王様の顔を見たことがないって言うんだ。……ずっと城の奥深くにいらして、姿を見せない。……そんな男の顔、どうやって彫りゃいいんだよ。形はできてるってのに、一番大事なところが空っぽなんだ」
酒場に、奇妙な沈黙が流れた。
ねずみは無意識に、カウンターの下にある「古い鞭の柄」に触れた。
「……誰も見たことがない、か」
オーラムが静かに呟く。
彼らがかつていた世界では、王や王子は常に中心にいた。
けれど、その「顔」がどんなだったか、今となっては霧がかかったように思い出せない。見ていたのは常に背中か、あるいは足元だけだったからだ。
「……親方。案外、その王様も、自分の顔を誰にも見られたくないのかもしれないぜ」
ねずみが、おどけるように言った。
「顔がないなら、いっそ、この街で、一番幸せそうな男の顔でも彫っときゃいいんじゃねえか?」
「はは、違いない! ……だが、そんなことしたら俺の首が飛んじまうよ」
親方は少しだけ笑い、オーラムが出した絶品料理を口に運ぶ。
その時、いつものようにアルと令嬢が入ってきた。今日の彼女は、ふかふかの毛織物のショールを肩にかけていた。
親方は令嬢の穏やかな微笑みを見て、ふと息を呑む。
「……なあ、旦那。……不思議だよな。あのお嬢様の顔を見てると、なんだか、彫るべき顔のヒントがあるような気がしてくるんだ」
アルの視線が、鋭く親方を射抜いた。
だが、親方はそれに気づかず、「明日もまた石を叩くか……」と力なく笑って店を後にした。
「……ねずみ。……王様の顔、か」
「……よせやい。俺たちは今、カボチャと馬の世話で忙しいんだ」
二人は顔を見合わせ、それ以上は何も語らなかった。
窓の外では、木枯らしが「顔のない石像」が待つ広場へと吹き抜けていった。




