第2話 銀の従者と、光のない瞳
シンデレラが、王子が手にするガラスの靴を履いたその瞬間、
物陰からそれを見守っていたねずみは、思わず小さくガッツポーズをした。
「やった……!やっと、あの子が幸せになる」
苦労の連続だったお嬢の笑顔を見て、ねずみは誇らしげに家の外へと駆け出した。そこには、あの一夜を共にした懐かしい「かぼちゃの馬車」チームが勢ぞろいしていた。
「さあ、あの子を私たちの馬車で宮殿へ送りましょう!」
魔法使いは涙ぐみながら、最後の手向けと言わんばかりに魔法の杖を振った。
かぼちゃは、再び黄金色に輝く豪奢な馬車へ。
トカゲは、銀の刺繍を揺らす麗しい従者へ。
子ねずみたちは、凛々しくいななく白馬たちへ。
そしてねずみは、堂々たる体格の御者へと姿を変えた。
誇らしげに胸を張り、主役の登場を待つ。けれど、いくら待っても、あの子は現れなかった。
耳を澄ますと、遠ざかるひずめの音が聞こえる。
「……あの子は、王子の馬車でお城へ行ったのね」
しばらくして魔法使いが、ぽつりと寂しげに呟いた。
ねずみの御者は、行き場を失った鞭を震わせた。
胸の奥がちくりと痛む。
けれど、彼は自分に言い聞かせるように、ぎゅっと目をつむった。
「……そうか。幸せになるなら、それでいい。いいんだよ」
ねずみはそっと白馬を撫ぜ、目を閉じた。
風が吹いた。
ひずめのリズミカルな音が聞こえる。
ねずみが、次に目を開けたとき、そこはもう、あのお屋敷の前ではなかった。
まるで違う世界にいた。
空がマーブル色に輝き、不思議な形の花々が風に揺れている。
ねずみを含む馬車一行は、見たこともないほど広く、ただただ静かな異世界の草原にいる。
「かぼちゃの馬車」一行は、元に戻るわけでもなく、馬車のままでもなく、そこにいた。
それから、数年。
「……よし、いい焼き色だ」
店主のオーラムがオーブンを開ける。溢れ出したのは、甘く、どこか懐かしい、かぼちゃケーキの匂いだ。
恰幅のいい腹を揺らし、彼は黄金色のパイをカウンターに並べた。
かぼちゃは、この世界では大柄で太っちょの男性の姿になっていた。彼が見つけた生きる道は「料理人」だ。食べられて種を運んでもらうという、かぼちゃ本来の生存本能を、彼はこの町の日常の中に馴染ませていた。
「……ケッ。相変わらず、鼻が曲がりそうな匂いさせやがって」
店の隅、一番日当たりの悪い特等席で毒づいたのは、白髪混じりの男――元ねずみだ。
彼は御者時代よりもずっと老けた姿となり、酒場の居候として、一日中溜息をついている。
「あの子は、お城で、幸せなのか」
届くはずのない問いが、彼の頭を白く染めていた。
そこへ、鉄の擦れる音と共に扉が開いた。
「……マスター、いつもの。それと、強い酒を一杯」
入ってきたのは、この世界の城に仕え、退役を明日に控えた老騎士だった。
オーラムは黙って、焼きたてのケーキを差し出す。老騎士はそれを一口食べると、驚いたように目を見開いた。
「……不思議だ。この匂い、私が若き日に一度だけ、この町の外の『深い森』で目撃した、あの奇跡の匂いに似ている」
ねずみがピクリと耳を動かした。
「あの森の奥で、一夜だけ光り輝く馬車が走り抜けるのを見たのだ。あり得ぬことだが、馬車からは甘い香りがした。あれは黄金に光っていたのに。……マスター、あんたのケーキを食べると、いつも、あの日の胸の高鳴りを思い出すんだよ」
老騎士は楽しそうに笑い、懐から古びたくすんだ「銀の鈴」を取り出した。
「森に落ちていたものだ。あんたにやるよ」
騎士は遠い目をして続けた。
「俺はあの日、城での御前試合に負けて、国に帰ろうとしてたんだ。だけど、あの黄金の馬車をもう一度見たくてな……負け犬とののしられても、この町にしがみつくことにしたんだ」
「あんたは勇気がある、留まるのは勇気だ」
ねずみが言う。
老紳士が笑う
「……そうか、勇気か。試合に負けたことで戦場では後方になり、生き延びることができた。妻と子供を持つこともできた。……全部、あの日のおかげだ」
ねずみはその鈴を手に取った。
それは間違いなく、かつて自分たちが付けていた、あの馬車の鈴だった。
「ありがとよ、またいつか」
老騎士はグラスを飲み干すと、代金のコインを置いて、軽やかな足取りで出ていった。
「……いつか、か。なぜ鈴を置いていった?」
オーラムがねずみに問いかける。
「鼻が利くんだろう」
「匂いか」
「まあ、わかるやつには、わかるんだろうよ」
二人は老騎士が出ていった扉を、いつまでも静かに見つめていた。
「……なあ、かぼちゃ、この世界の森は……あっちと繋がってやがんのか?」
「……さあな。だが、種は風に乗って、どこへでも飛んでいくものさ」
そこへ、銀の刺繍を輝かせた美青年――アルが、盲目の令嬢の手を引いて店に入ってくる。
彼は若々しい笑顔の裏に、トカゲ特有の鋭い視線を隠し、懐にある「ある物」を確かめた。




