キーワードは謎の言葉(河川敷殺人事件)
「犯人はあんたよ!」
天佑響子は,金髪短髪の男-安井与志樹を指差した。
いきなり,本当にいきなり指を指された安井は,まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。
「え? え? なんで?」
「とぼけても無駄よ。犯人はあなた以外には考えられないんだから」
「いやいや,だからなんで俺しか考えられないんだよ? 探偵さん,推理を聞かせてくれよ」
響子は大きくため息をついた。推理-それは探偵の専売特許であると同時に,存在意義である。
しかし,それは響子にはとっては全く意味のない「お飾り」である。
「あんた,犯人のくせに往生際が悪いわね。仕方ないわね。推理してやるわ」
最初に,犯人を名指しする。次に,推理を後付けする。それによって,最後には自白を誘発させる。
これこそが天才探偵・天佑響子の唯一無二の推理スタイルである。
20××年。日本の完全犯罪率-認知犯罪のうち,犯人逮捕にいたらない犯罪-の比率が急増する,いわゆる「完全犯罪ブーム」という現象が巻き起こった。
完全犯罪ブームの火付け役は,完全犯罪集団アポリアという犯罪者集団だった。
アポリアの構成員が一体何人いるのか,そもそも誰が構成員なのかは誰も知らない。なぜなら,アポリアが実行した,窃盗・強盗・殺人というありとあらゆる犯罪は,全てが完全犯罪だからである。アポリアは捜査機関に対して,決して尻尾を掴ませせることがなかった。
アポリアは若者を中心に,絶大な人気を誇っていった。
犯罪者を祀り上げるとは全くもって狂った風潮である。しかし,完全犯罪というものは如何せんカッコいい。しかも,アポリアが完全犯罪によって葬った者の中には,指名手配犯,不倫タレントなど,世間から疎ましく思われている者も含まれていた。そのため,アポリアはダークヒーローとしても尊敬を集めていたのである。
このことは,日本の治安に大きな問題を生じさせた。アポリアを信仰する者による模倣完全犯罪が起こるようになったからである。アポリア自体の犯罪だけでなく,これらの模倣犯による犯罪が,この国の完全犯罪率を引き上げ,完全犯罪ブームを引き起こしたのだ。
急増した完全犯罪に対して,警察組織はお手上げだった。警察組織が犯罪を検挙する方法は,証拠収集,それに基づく自白の引き出しである。
十分な証拠がなく,自白を引き出すべき容疑者もいない完全犯罪に対しては,警察組織の取りつく島がなかった。
そのため,政府は,警察組織とは別に,完全犯罪と対峙するための組織を作ることにした。
それが,日本探偵学校である。
大学にも専門学校にも分類されないこの特殊な組織は,英語の頭文字をとって,通称JDSと呼ばれる。
JDSでは,選抜された生徒に対して,推理力を鍛えるための英才教育が施される。限られた証拠を結びつけて事件の像を描き出し,自白がなくとも容疑者を絞り込む能力,それが推理力である。
完全犯罪を崩すための優秀な推理力を持つ人材を育成し,全ての完全犯罪を解決し,ひいてはアポリアを壊滅させることが,JDSの任務であった。
天佑響子はJDSの第1期卒業生だった。
在学時,響子の成績は芳しくなかった。
もっというと,ビリだった。
しかし,国からの援助によって「天佑響子探偵事務所」を設立し,プロとして活動するようになってからは,響子はすぐに頭角を現し出した。
響子には,推理力はなかったが,それを補って余りある最強のチート能力が備わっていたのである。
響子のチート能力,それは,偶然犯行現場に居合わせてしまう,という異能力だ。
「えーっとね…たしか,あんたは2日前の夜にね…」
響子が頭を抱えながら,安井の前をうろうろと歩く。
推理をしているのではない。
思い出しているのである。
2日前の夜,目を覚ました響子は河川敷で横たわっていた。
冬至を目前に控えた真冬である。冷たい風が吹き荒ぶ中,風邪を引いてしまうに違いないのに,なぜ響子はそんなところで横になっているのか,と疑問に思うだろう。
しかし,響子はその疑問に答えることができない。なぜなら,響子自身,なぜ自分がこんなところに横たわっているかについての記憶がないからである。
「ここはどこかしら?」
目の前の風景に,響子は一切見覚えがなかった。周りに人工物が一切ないことからすれば,ここは山奥かもしれない。川のせせらぎと虫の鳴く声が競い合うように響き合っている。
「痛っ…」
起き上がろうとした響子の背中に,細かい砂利がチクチクと突き刺さった。酔っ払っていたとはいえ,よくもこんなところで眠れたものだ。
響子の最後の記憶は,自宅付近の行きつけのバーで,若いバーテンの男性に対して絡み酒をしていた,というものである。バーテンの凛々しい横顔に見とれながら,バーボンのロックをグイッと飲み干したシーンが記憶の中にあるラストシーンだ。
響子の自宅のアパートの周りに,川はない。
となると,酔いつぶれた響子は,何らかの理由で自宅アパートまでは帰らず,何らかの方法で遠くの河川敷にまで移動し,何らかの事情があって河川敷で眠ってしまっていたのであろう。その「何らか」を思い出そうとしてはみるものの,アルコールの後遺症のひどい頭痛がそれを阻害する。
そのとき,川の向こう岸に2人の男性の人影が見えた。
2人は川の方向,すなわち,響子のいる方向へと歩いてきている。
川幅は約5メートル程度である。
付近には男性の一方が持っている懐中電灯を除いて照明がなかったため,2人は対岸で横になっている響子の存在には気が付かないようだった。
2人の言い争う声が聞こえてくる。
「俺はてめえを絶対に許さないからな」
「なんだ? 逆恨みか?」
「てめえのその態度も気に食わねえんだよ!」
ああ,なるほど,と響子は納得する。響子がこの河川敷に来てしまったのは,例の「偶然」だったのである。
「お前,さっきから何なんだ! 偉そうにしやがって」
「偉そうなのはてめえだろ。てめえ,自分の立場分かってんのか!?」
短く刈りそろえた,如何にも柄の悪そうな金髪の男が,ロン毛の男の胸倉を掴んだ。ロン毛の男が腕を振り払おうと足掻く。
「てめえ,俺のピンキーに手を出そうとしただろ!」
「はあ? お前何言ってるんだ? ピンキーは俺のものだ!」
ん? ピンキー? 何だそれは? どうやら目の前で繰り広げられているケンカは,「ピンキー」たるものを巡るものらしいが,サッパリ意味が分からない。
そのとき,金髪の男が,ポケットから何かを取り出した。地面に置かれていた懐中電灯の光を反射し,それは鈍く光った。
「…お,おい。お前…それは何だ? それで何するつもりだ?」
「殺してやる……」
金髪の男が握り締めているものは,ナイフだった。心臓が止まりそうな衝撃的な光景であるが,響子はいたって冷静だった。この光景は,響子にとって見慣れたものだからである。
「お前,自分が何やってるか分かってるのか!?」
「分かってるさ。ピンキーのため,てめえには死んでもらう」
響子が刮目する中,事態は最悪のシナリオに向かって刻々と進行していく。
「お前,いい加減にしろ!」
ロン毛が,金髪の腕を掴み,ナイフを振り払おうとした。
「てめえ!」
2人が揉み合いとなる。
「痛っ!!」
そう叫んだのは,金髪だった。
揉み合いの中でナイフによって自身の左腕を切りつけてしまったのだ。
それでも,未だに包丁は金髪が掴んだままだった。
「ふざけんな! 殺してやる!」
次の光景が予想できた響子は,思わず目をつぶった。見慣れたシーンであるとはいえ,この瞬間だけは見慣れない。目をつぶって数秒もしないうちに,予想通り,ロン毛の悲鳴が響子の鼓膜を震わせた。
「悪いな。これもピンキーのためなんだ」
目を開けた響子が目撃したのは,ナイフを川に投げ捨て,その代わりに懐中電灯を拾い上げ,一目散に駆けていく金髪の後ろ姿であった。
川沿いではロン毛が仰向けで倒れている。
しばらくして起き上がった響子は,ナイフの捨てられた位置だけ把握すると,そそくさとその場を辞去した。
「えーっとあんたが犯人である証拠はね…」
響子は,2日前に「偶然」目撃してしまった犯行場面を思い出す。
そのとき目撃してしまった金髪の男こそが,今目の前にいる安井である。
「名探偵コ◯ン」など,行く先々でやたらと殺人事件に巻き込まれる探偵はいるが,犯行場面そのものを目撃してしまう探偵は,世の中で響子しかいないはずだ。
人が死ぬ場面を無理やり見せつけられるだなんて,あたかも凶々しい呪いにかかっているかのようだが,その能力が探偵という職業と組み合わされば,右に出る者のいない最強のチート能力である。
響子には,犯人が誰かを推理する必要などない。
予め,犯人が誰かを知っているのだから。
とはいえ,犯人が安井であることが紛うことなき事実であっても,一応「推理」で追い詰めない限り,安井は自白してくれないだろう。
響子は犯行場面で目撃した情報から,「推理」で用いることのできそうな事実を拾い上げた。
「あんたは,河川敷で被害者と揉め事になった。そして,激昂したあなたはポケットからナイフを取り出した」
「へえ,探偵さん,そのナイフが今回の殺人の凶器だとでも言うのかい?」
「ええ,そうよ」
「一体そのナイフはどこにあるって言うんだ? 殺害現場のどこにもナイフは落ちてないぜ」
響子と安井は,今まさに犯行現場の河川敷にいる。
響子は川べりまでゆっくりと歩を進めると,川幅の中央付近を指差した。
「ここ。ここに落ちてるわ」
響子は安井の顔色を覗き込む。紛れもない事実を指摘されたというのに,安井は不敵な笑みを浮かべていた。
「探偵さん,適当なことを言わないでくれよ」
「は?」
「ここから見てもそこにナイフが捨ててあるかどうかなんて全然分からないぜ。適当なこと言って俺を騙そうったってそうはいかないからな」
「適当じゃないわよ。阿達! 川に潜って凶器を引き揚げて」
響子は,助手に声を掛けた。
ワトスン君役にしてはそれなりに賢く,あまりにも高身長でイケメンな助手の阿達茂は,探偵からの命令に眉を顰めた。
「響子さん,無理です。ここの川の深さは3メートル程度あります」
阿達のイケボは,低いがよく通る。
「素潜りしなさいよ」
「無理です。スーツが濡れてしまいます」
「服は脱げばいいじゃない」
「セクハラで労働基準監督署に訴えますよ」
響子は舌打ちをする。
ナイフを発見できないことが主に不服だが,鍛えられた細マッチョの阿達の裸体が見れないことも若干不服だった。
「探偵さん,仮にナイフが見つかったとしても,そのナイフと俺との結びつきが証明できない限り,俺が犯人だという証拠にはならないはずだぜ」
安井の言うことは確かに正論である。
響子は,再び2日前の記憶を辿った。
「あんたは被害者と揉み合いになった。そのときにあんたは,ナイフで自分の左腕を切ってしまった」
安井の表情に,初めて動揺の色が見えた。
「…お,おい,何言ってんだよ」
「阿達!」
響子の指示を待つまでもなく安井の元に歩み寄っていた安達が,安井の左腕を掴むと,セーターの袖をまくり上げた。
甲の側に,肘と親指を結ぶような角度で,腕に10cm程度の赤い線が走っているのが露見した。
「たしかにありますね」
「阿達,よくやったわ。あんた,これがあんたが犯人である証拠よ。犯人以外の腕に,揉み合ったときの傷が残っているわけがないからね」
安井は素早くセーターの袖を元に戻すと,後ずさりをしつつ,震える声を出した。
「…いや,これは違うんだ。これは揉み合いのときについた傷なんかじゃない。料理をしているときに,大根と間違えて切ってしまったんだ」
「は? 大根と間違えた?」
「い…色白なんで…」
響子は助手に加勢を求めた。
「阿達,どう思う」
「たしかに色白ではありますが,さすがに人間の腕と大根を間違えることはないと思います」
「…いや,俺,あまり視力が良くないんだ。だからつい…」
響子と阿達がともに見せた怪訝な表情にもかかわらず,安井はとぼけ抜くことを決意したようだ。なかなか手強い相手である。
このままでは埒があかない。何か次の一手を繰り出さなければ。
響子の頭の中にはある単語が浮かんでいた。
響子には一切意味の分からない謎の単語である。この単語が何なのかは理解できていないが,唯一たしかなことは,この単語が今回の事件において重要な位置を占めているということである。この単語を口に出すことによって何が起こるかは分からない。
しかし,頼れるのはもうこの単語しか残されていない気がする。
響子は,パルプ◯テの呪文を唱えるつもりで,その単語を口にした。
「ピンキー」
その途端,明らかに安井が固まった。
「ピンキー。あなたはピンキーのために被害者を殺したのよ」
静寂が河川敷を包んでしばらくした後,安井がその場に膝をついて崩れた。
「そうか,探偵さんには全部お見通しってわけか…」
下を向いていたため安井の顔色を窺うことはできなかったが,涙が砂利を濡らす様子だけは確認できた。
安井はついに自白を始めた。
「…そうだ。俺がやったんだ。あいつは最悪の男だったんだ。あいつ,俺の大事なピンキーに手を出したんだ。ピンキーのために,俺はあいつを殺さざるを得なかったんだ」
安井は握りこぶしで地面を叩いた。
「くそっ! ピンキーのために俺は絶対にあいつを許せなかったんだ…俺の気持ち,探偵さんも分かるだろ?」
「ええ,もちろん」
もちろん,響子の相槌は適当である。
「だろ? ピンキーに手を出されて嫌な気持ちにならない奴なんていないよな?」
「ええ,ピンキーは大事な人だもんね」
「人? ピンキーは人じゃないぞ?」
「え? あ…失敬。言い間違えたわ」
危ない。適当な相槌が足を引っ張るところだった。
てっきり,ピンキーは安井にとって大事な女性なのかと思ってしまった。それが違うということは,ピンキーとは何なのか。
本当は今この場で聞きたい。ピンキーとは何なのかを。
しかし,それを聞いてしまえば,せっかくの「推理」が台無しである。
「うう…ピンキー! ピンキー!…」
安井が泣き叫ぶ。
「ごめんな。ピンキー…ピンキー…」
安井は立ち上がると,空に向かって雄叫びを上げた。
「ピンキーーーーーーーー!!!!」
いや,だからピンキーって何なの!?