ちゃぷたーⅢ 幼女、オオカミ男を目撃
それからもわたし達は手分けして里親探しを続けていたんだけど、時計の針が7時を回ったところで、セシルさんが目を通していたファイルから顔を上げてわたしに声をかけた。
「真綾ちゃん、そろそろ先生が帰ってくる時間だし、今日は終わりにして明日また来よう」
「は、はう!? もうそんな時間!? …あっ、わたしが晩ごはん作る日だったの忘れてた…。は、はううう」
「帰ってからオレも手伝うから大丈夫だよ」
「ありがとおおお」
本当に今日はセシルさんに頭が上がらない日になってしまった。ひとつのことに集中すると別の事が抜けてっちゃう悪いところ直さなくちゃ。
とりあえずは今日はここら辺にしておこうと達也さんと明石屋のおじさんも切り上げることにしたみたい。
ただ、お家に帰る前にどうしてもウルフドッグさんに会いたいと達也さんにお願いすると、達也さんは先にウルフドッグさんの様子を確認しに行って戻ってきてから快くいいよと言ってくれた。わたしはセシルさんにちょっとだけ待っててほしいとお願いすると、セシルさんはしばらく黙ってたけど「行っておいで」と返事をしてくれた。きょ、今日はお願いすることが多い日だなあ。わたしは急いでウルフドッグさんの居るお部屋に向かった。
「あそこまで必死になってるまあやちゃん、俺初めて見たわ」
「…」
「あの子さあ、人に迷惑かけるのすごく嫌がる子だろ? 人に言われたことはちゃんとこなすし、わがままも滅多に言わないし。セシル、お前との約束破ったっつっても、これが初めてなんじゃないのか?」
「…」
「そこまでするってことは、なんか運命的なものを感じちゃったのかねえ…あいつに。…っ!? いってええええ!!! 何するんだよ! 今わざと俺の足踏んだろお前!!」
「嫌いなんですよね」
「はあ!? 何が!」
「運命って言葉。オレ、世界で一番嫌い」
お部屋の真ん中にポツンと置かれた大きな檻の中には、きちんと手当されたウルフドッグさんが小さい寝息をたてて眠っていた。起こさないようにそっと近寄って顔をよく見てみると、難しく眉を寄せていて、心やすらかに眠っているとは言いにくい。大きな体を限界まで縮みこませて眠る姿は、雷に怯えてだんご虫になっていたわたしみたいだった。
あれ…。ウルフドッグさんの下に敷かれてる赤いのって、わたしのレインコート? ウルフドッグさんは大きな手で、わたしのレインコートを握りこんでいた。あれ、ちょっと可愛いかも。え、えへへへへへ。に、にやけちゃうよぉ。
わたしはひとりウルフドッグさんを見てデレデレしていると、かすかにウルフドッグさんのまぶたがぴくぴく動いた。あ、お、起こしちゃったかな。そしてウルフドッグさんがゆっくりとまぶたを開けると、吸い込まれそうな深い灰色の瞳が現れて、わたしの姿を映した。
「お、おはよ!」
「…」
「けが、痛くない? だいじょうぶ? あのね、さっきは本当にありがとう…わたし、ほんとうに雷が苦手で…。思わず耐えきれなくなっちゃって、……え?」
わたしのほっぺたに誰かが触れている。横を見ると、大きくて傷だらけの手が、わたしのほっぺを優しく、でもどこか震えながら撫でていた。この手、どこかで…。その腕の先を見ると、ウルフドッグさんのいる檻の中につながって、い、て…。
「……は、はう!!?」
檻の中の光景にわたしはすっごく驚いて、目をごしごしとこすってもう一度見ると、もうそこには灰色の瞳でわたしをぼんやりと見つめ続けるウルフドッグさんしか居なかった。
「あれ? あれ? …いま、…あ、あれえ?」
まだ寝惚けてたのかな。気のせいだったのかな。もうわたしのほっぺを包み込んでいた大きな手も無くなっていた。でも、暖かい感覚がまだ残ってる。
確かに今さっき、この檻の中に、ウルフドッグさんじゃなくて…―――男のひとが、居た。
妙なわだかまりを抱えたまま、わたしはセシルさんと手をつないでお父さんの待つお家へと歩いた。
本当にさっきのは何だったんだろう。あの後、ウルフドッグさんに自分が見たものをお話ししたけれど、ウルフドッグさんはとことん興味無さげでわたしに顔を背けてそのままぐーぐーと眠ってしまった。わかったことといえば、あのウルフドッグさんがなかなかに気難しい性格であることぐらいだった。
本当にあの男のひと、誰だったんだろう…。一瞬だったから顔もぼんやりとしか覚えてないんだけど。あんな一瞬で檻に入って出て、なんてまず無理だと思うし…。うーんうーんうーんうーーーん。
「―――…やちゃん。真綾ちゃん」
「はうっ!! な、何? セシルさん」
いつの間にかわたし達はお家の前に着いていてた。わたしは頭のなかでぐるぐるとあの男の人について考えていたので、セシルさんがわたしを呼んでいたことに気付かず、お家を通り過ぎようとしていた。こ、これはいくらなんでもまぬけ過ぎる…。
「どうしたの、ぼーっとして。…もしかして風邪でも」
「う、ううん。ごめんね。ちょっと考えごとしてただけなの」
「…ふーん」
セシルさんは再び前を向いて、玄関の鍵を開けて中に入ろうとノブを掴んだけれど、いつまでたっても扉が開かれることはなかった。どうしたんだろう。不思議に思ったわたしはセシルさんの名前を呼ぶと、セシルさんはわたしの顔を一度見て、ドアノブから手を離し、わたしの両肩を優しく掴んだ。セシルさんはわたしの目をじっと見つめて、ゆっくりとその口を開いた。
「真綾ちゃん」
「は、はい」
「あの犬の飼い主、絶対に見つけてあげようね」
わたしの目をまっすぐに見つめるセシルさんは真剣で、わたしはちょっぴりびっくりしてしまったけど、それ以上にセシルさんがあのウルフドッグさんの為にここまで熱心になってくれたことがとても嬉しかった。
「うん!!! がんばる! セシルさんも協力してくれてありがとう!!」
「じゃあ、今日は一緒にお風呂入って一緒に寝ようね」
「へ!?」
「ダメ?」
「だだだめというかそれはその」
わたしももう4年生になったんだし、とおことわりしようとしたけど、セシルさんは素敵な、とっても素敵な笑顔で、わたしの肩をがっしりと強くつかんだ。
このせしるさんこわい。
「一緒に、お風呂入って、一緒に、寝ようね」
「あ、あう…」
「ね?」
「……は、はひ」
今日、セシルさんをとっても怒らせてしまったのを一瞬で思い出した。




