そして新たな物語が始まる
幼女とお友達になった狼は、最初こそは怯えていたものの、徐々に幼女の優しさに心を惹かれていきました。
狼は幼女の傍でならぐっすりと眠ることが出来ました。
狼は幼女の作った料理なら、安心して食べることが出来ました。
狼が何よりも喜んだのは、幼女が自分に名前を与えてくれたことでした。
狼が気づかないうちに、心に何本も刺さっていた棘がひとつずつ幼女によって抜き取られていたのです。
しかし狼には、絶対に幼女には知られてはならないことが、知られたくないことがありました。
狼は幼女に嫌われたくありませんでした。
狼は幼女に怖がられたくありませんでした。
だから狼は、一生をかけて秘密にすることを誓ったのです。
赤い赤アカ赤いアカアカアカアアカ赤アか血アカ赤いあかあか赤い死赤あかアカあカあかアカ赤アカ赤い血アカアアカ赤アか血アカ赤い赤アカ赤いアカアカあかあか赤い死赤あかアカあカあ赤い赤アカ赤いアカアカア赤いアカアカあかあか赤い赤いアカ赤い赤い赤い死赤あか死の赤アカあか赤あか赤アカ
広がる赤。漏れ出た血。グチャグチャのからだ。
見下ろしていたわたしは居ない。イない。いない。いな、い。
わたしはワタしはワタシわた、わたしが私がワタシわた死、わたしがシん
「っあ」
目が覚めた。
わたしの目に飛び込んできたのはワンくんのお部屋の天井で、それに安心して少し放心状態になっていた。しばらくそうしていると、気分が悪くなって、体を起こすと汗がぐっしょりと濡れて気持ちが悪かったので、ワンくんを起こさないようにそっとドアを開けて水を飲みに行くついでに服も着替えてくることにした。
自分のお部屋に一度戻って服を着替えてから、お水を飲むために下のキッチンに行った。リビングにある時計を見ると、まだ夜中の2時を過ぎたところで、ああ、まだ朝にならないんだと思い知らされる。どうしよう、眠れない。リビングのテーブルに座って、水をちびちび飲んで気分を落ち着かせようとしたけど、どうにも治らない。
嫌だなぁ…。もうだいじょうぶだと思ってたのに。
まだお母さんが生きていたころ、わたしはよく悪夢にうなされ眠れなくて泣くことが多かった。起きてしまうと夢の内容は全く思い出せなくて、気持ち悪くなって、そのことすら怖くていつもお母さんに泣きついていた。
お母さんが亡くなってから、悪夢を見ることは少しずつなくなって、あの魔法の毛布に包まって眠ることもやっとなくなってきたところだったのに。
「はぁ…」
気持ち悪い。
わたしはワンくんのお部屋に戻って再びお布団に横になった。とにかく、明日もやることがあるんだから、ちゃんと寝て疲れを取らなきゃ。そしてわたしは布団の中にもぐって、すぐ眠ることが出来るようにぎゅっと目をつぶった。
でも、こうなると再び眠ることは出来ない。それどころか、夢での体験を無意識に体が覚えているのか、ぶるぶると体が震えてしまう。頭では怖くないのに、何かが怖くてたまらなくなる。怖いしとても気持ちが悪い。
……おかあさん。
突然わたしを覆うお布団に重みが増した。えっ、も、もしかしておおおおおおばけ…!! わたしはゆっくりお布団から顔を出して、重みの原因を確認すると、
「え」
ひょっこり顔を出したわたしのすぐ隣に、ワンくんの顔があった。ワンくんはすこし顔を出したわたしをその青のかかった灰色の瞳でじっと見ていた。わたしの枕元に体を寄せていたので、頭にもふもふとした感触がする。そしてお布団の上には、わたしがワンくんにあげたあの魔法の毛布がかけられていた。
わたしを慰めてくれているようで、思わず視界がにじんだ。
なんだか気分が少し軽くなっていくのを感じて、わたしは涙をぬぐい、お布団から出てワンくんがかけてくれた毛布を手にし、小さいころにしたように毛布に包まってワンくんのお腹にしがみついた。
「ワンくん…」
「…」
「ありがとう」
そしてワンくんのお腹にしがみついて声を出さないように少し泣いた。ワンくんはわたしを振り払うことなく、じっとそばにいてくれて、たまに顔を上げたわたしの涙と鼻水だらけの顔を出会ったときと同じように舐めてくれた。
うなされたわたしに気づいて、わざわざ柵から出てきたのかなぁ。セシルさんが知ったら怒りそうだ。
だんだん余裕が出てきて気分も安らいだわたしは、突然の睡魔に襲われてワンくんのお腹のもふもふに甘えて眠ってしまった。
誰かがわたしの名前を呼んだ。
ぴちち、と鳥の鳴く声が窓の外から聞こえる。
わたし、あの後そのまま眠っちゃったんだ…。ワンくん重かっただろうなぁと起き上がろうとしたけど、何かに巻きつかれているかのように体が動かない。ゆっくりと目を開けると、目の前にぼんやりと黒いものが見えた。あ、ワンくんだ…あれ、でもなんか、へ、ん…。
光景を、疑った。
誰だ、このひと。
真っ黒な髪。そしてわたしをすっぽり抱きしめる大きく、けれど痩せ細った体と筋肉質で太い腕。向こうでゆらゆら揺れているのは何だ。真っ黒なしっぽに見えるのは気のせいなのか。何よりも目を疑ったのが、その頭にある、耳。人間の耳じゃない。獣の、いや待って。
ワンくんの耳にそっくり。
「………」
わたしは全身の血の気が引いていくのを感じた。だ、誰なの。へんしつしゃ、どろぼう。わんくんはどこにいったの。なんでわたしこのひとと寝てるの。なんでこのひとわたしのことだきしめてるの。
パニックになった頭はとにかくこのひとから離れろとわたしに命じたので、ぎっちりした腕から抜け出そうとするけど、まったく動かずそれどころか力が強まって、わたしは男の人の胸元に顔を押し付けてしまった。わたしは体がこうちょくしてしまって動くことが出来ない。
「あ、あ、あ、あの、あ」
「…うッせーな…」
頭上から聞こえたかすれ気味の低い声は、同じ男の人であるセシルさんとは全く違ったものだった。乱暴とも言えるぐらいきつく抱きしめられたわたしはもう頭がショート寸前だった。
「は、は、はうううううああああ!!!」
「うッ!!?」
わたしは人生で一番の勇気を振り絞って、男の人のみぞおちに渾身の一撃をお見舞いした。痛みに悶える男の人の力が弱まった隙に、もぞもぞと急いで腕から抜け出して、距離を取って男の人を再び見ると、やっぱり耳が、耳と、しっぽが。
男のひとがげほげほと咳き込んで、でもすぐに落ち着いてきたのか、少し距離をとってへたりこむわたしを鋭い目で睨みつけた。ひ、ひいっ!!?
「てンめぇ…」
「は、はう!?」
「オメーが離さねーから一緒に寝てやッてたンだろうが!! なンだよこの仕打ちは!! こンのボケ!! アホ!!」
「は、……は?」
「大体ピーピーいい歳して泣きやがッて!! すがりついてきたのはそッ……ち……」
わたしと男の人の間に、沈黙が走った。
男の人はしまったという表情をして、自分の姿を見下ろしたあと顔を真っ青にしていた。わたしは男の人の怒鳴り声にびっくりしていたけど、確認しなければならないことがあった。
「……」
「……」
「……ワンくん?」
「!!」
男のひとの耳としっぽが、わかりやすい程に跳ねた。わたしはとっていた距離を一気に縮めて、ぐわしと男のひとの顔をつかんだ。わたしに顔を近づけられた男の人は顔を真っ青にして心なしか少し震えていたけど、そんなことを気にする余裕はわたしにもなく、間近で瞳の色を確認した。
青のかかった灰色の、瞳。
ワンくんそっくりの獣の耳と、しっぽ。
「ワンくん。……あなた、人間なの?」
そうわたしが言った瞬間、ワンくんは目を見開いて、わたしを勢いよく突き飛ばした。ころんと後ろに倒れたわたしは、急いで起き上がり目の前のワンくんをもう一度見ると、
「い、いや…。さすがにもう無理があるよ…」
ウルフドッグさんになったワンくんはしょぼくれた表情をして、うなだれていた。
しかし、ある日、まぬけな狼は幼女に自分の秘密を知られてしまいました。
狼が幼女に知られたくなった秘密、
それは、自分がオオカミ男だということだったのです。
「幼女とオオカミ男のお話」 to be continued




