ちゃぷたーⅣ 幼女、不思議な薔薇を手に入れる
「やちゃん、…真綾ちゃん」
「……はう…?」
誰かに揺さぶられて、ぼんやりと目を開けると、視界が何かでにじんでぼんやりしていた。わたしの肩を優しくゆすって起こしてくれたセシルさんは、少し心配そうなお顔をして、まだ頭のはっきりしないわたしを心配そうにのぞきこんでいた。右手で目を軽くこすってみると、手には水滴がついていた。あ、あれ…?
「うなされてたよ。怖い夢でも見た?」
「はう、よく、おぼえてない…」
目をぱちぱちとさせると何故だか涙がぽろぽろと溢れてきて、不思議に思いながら拭っていると、セシルさんが目を悪くするからと、袖でやさしく拭き取ってくれた。
「…そう。…真綾ちゃん、何か手に握ってんの?」
そう言われてわたしは左手を見ると、無意識に片手で何かをぎゅっと握りこんでいた。そんなに怖い夢を見ていたのかなと思ったけど、手の中に何かある感触がして、ゆっくり開いてみると、そこには何故か白い薔薇の蕾があった。は、はう? どうしてこんなところに薔薇の蕾が?
そしてわたしの手に握りこまれていた白薔薇の蕾を見たセシルさんは珍しく目を丸くして、すごくびっくりしていた。じっとこの蕾を見つめたかと思うと、ゆっくりとまぶたを閉じて、わたしの手を握って再び白薔薇の蕾を握りこませた。セシルさんの綺麗な手に覆われたわたしの手の中で蕾がつぶれちゃうんじゃないかとどきどきしたけど、セシルさんが少し眉を寄せてつらそうな表情をしていたことが気がかりだった。
「…」
「セシルさん? …どうしたの?」
「…何でも、ない。オレ、今日の朝ごはん当番だから。先に下行って作ってくるよ」
「う、うん…?」
そう言って、セシルさんはわたしの頭を撫でてお布団から立ち上がりお部屋を出て行ってしまった。ぽつんと残されたわたしは、セシルさんによって閉じられた手をもう一度ゆっくりと開くと、
「あ、あれぇ?」
赤い薔薇の蕾があった。…さっき白かったよね? ね、寝惚けてて見間違えたのかな。い、いやいや、そもそも何でこんなところに薔薇が…。ようやく覚めてきた頭を回転させて、もんもんと考えていたけど、どうしてもわからなかった。さっきの様子だと、セシルさんが置いてた訳じゃなさそうだし…。
考えても考えてもわからないので、とりあえず顔を洗いに行こうと立ち上がった。あ、そうだ。ワンくんはよく眠れたのかな…。
柵に近付いて、ワンくんが居るお部屋の隅を見てみると、ワンくんはこっちに背をむけて小さくなっていた。規則正しく背中は上下していて、耳をすませると静かな寝息が聞こえてきた。よかった。昨日はよく眠れたみたい。何より嬉しかったのが、昨日わたしがあげた毛布にワンくんがくるまって眠っていたことだった。
さてと、はやく顔洗ってお花に水をあげにいって、ワンくんのごはんづくりしないと! それにしても…、
「これ、どうしよう」
手の中にある赤い薔薇の蕾をどうするか、しばらく考えた。
「おはようまーや。今日もいい天気……おや?」
「おはよーお父さん!」
「可愛らしいものがあるじゃないか。どうしたんだい?」
お庭のお花にお水をあげていると、いつものようにお父さんが朝のあいさつをして、ガーデンに設置してあるテーブルの上にあるグラスに気がついた。
「綺麗な赤薔薇の蕾だね。でも蕾だけかい?」
「う、うん。グラスにお水いれてぷかぷかさせてみたら可愛いなぁって…」
「おやおや、ガーデンの薔薇が咲き始めるのは来月だっていうのに。待ち切れなかったのかい?」
「え、えへへへへ」
何となく、朝起きたら手の中に蕾がありましたー! とは、お父さんに言いにくかった。相談しようと思って口を開こうとしたら、何故だかやっぱり止めておこうと気持ちになるのだ。ど、どうしたんだろう、わからないことがあったらすぐにお父さんに相談するのに。
小さなグラスに少しの水と色とりどりのビー玉を入れて、そのなかにぽとんと赤い薔薇の蕾を入れてみた。茎や葉っぱの部分が無いため、育て直すことは難しかったので、そのまま捨てちゃうのもなんだか勿体ないし、せめてと可愛らしく飾り立ててみた。朝の光に照らされて、グラスの中のビー玉がテーブルに反射してキラキラと光り、蕾の可愛らしさをよりほほえましいものにしている。はうー。不思議な蕾だけど、なんだか雰囲気があっておしゃれだなあ。
「もしかしたら、咲くかもしれないね」
「はう?」
「愛情をこめて育てれば」
「そ、そうかな!」
「もちろん。庭の薔薇も楽しみだね。今年はどれだけの色の薔薇が見られるんだい?」
「えっとね、今回はちょっと珍しいのも挑戦してみたんだよ! 赤でしょー、青にピンク、白いの黒いのにー…、……」
…なんか、……デジャヴ? 突然黙りこんでしまったわたしに不思議そうな顔をしたお父さんが声をかけてくれて、慌てて何でもないよ! と返事をしたけれど、薔薇が満開になったときのことを想像すると、どこかでその光景を見たような感覚に襲われた。…何だろう?
セシルさんが「朝ごはんが出来た」とわたし達を呼んでいたので、とりあえず朝ごはんを食べようとお父さんが言った。わたしはキラキラと光るグラスを持って、お父さんとお家に入ることにした。
「そういえばセシルくん、今日は早瀬くんが家に来てくれるそうだよ」
「は?」
「…えっ! 凛さんが!?」
セシルさんお手製のサンドイッチを美味しく頂いていると、お父さんが新聞を開きながらそう言った。
「オレ、そんな話聞いてませんけど」
「そうだろうね。なんせ決まったのは昨日だから」
「凛さん、今日お家に来てくれるの? わー! どうしてどうして?」
わたしは、憧れのお姉さん、早瀬凛さんに会えることに興奮して、ニコニコと笑うお父さんに尋ねた。お父さんは新聞を綺麗に畳んで、新しくコーヒーを淹れようとしたけど、その前にセシルさんが空になったお父さんのカップにコーヒーを注いだ。そのことにお礼を言ってから、お父さんはコーヒーに角砂糖を1つ、2つ、3つと落としながら話し始めた。
「大学のお昼休みに、借りていた本を図書館に返しにいくときに、たまたま早瀬くんに出くわしてね、ウチに新しい家族が加わったことを話したんだ」
「何で話したんですか…」
「ん? …それでね、アメリカに留学中の妹さんが、動物についての研究をしているそうなんだ。そのこともあるから、何かと役に立つんじゃないかって協力を申し出てくれたんだよ。それで、今日お招きしたんだ」
隣で何やら表情をゆがませてうなだれているセシルさんが少し気になったけど、凛さんに妹さんが居たということに一番驚いた。セシルさんは凛さんとよく一緒にいるけど、あまりわたしに凛さんについてお話ししてくれないので、今までわたしと同じひとりっこなのかなと思っていたのだ。
クールで口数も多いとは言えない凛さんだけど、勉強でわからないことがあったらいつも優しく丁寧に教えてくれるし、たまに凛さんが作ってきてくれるお菓子はとっても美味しくて、それにそれにとっても綺麗な美人さんで、…はうううう凛さんの良いところについて言いだしたらキリがないよう。
「良い機会だし、まーや」
「はう?」
「今日はワンくんのごはんを色々研究してみる予定なんでしょう? 早瀬くんに手伝ってもらったらどうだい?」
「え!? そ、それはこの上なく嬉しいけど、でも良いのかなぁ…。お客さまなのに…」
「彼女、妹さんに付き合ってペットフードに関しても勉強してるって言ってたよ? 一緒にごはん作りは申し訳ないと言うなら、アドバイスだけでも貰ってごらん?」
「…う、うん!」
セシルさんはわたしたちがお話ししている間、頬杖をついて深いため息をついていた。そして少し雑にサンドイッチを口に含んで、もごもごと少し機嫌を悪くした声色でお父さんにおそらく、ぐ、ぐち? を言った。
「ほんと、先生は…」
「ん? なんだいセシルくん?」
「わかっててやってますよね」
「何のことだい?」
わたしが凛さんがやってくることにうきうきどきどきしている傍らで、お父さんとセシルさんはよくわからないお話しをしていたけど、今は全く気にならなかった。
はぁ…凛さんとお料理…、ん? い、いやいや!! アドバイス! ごはん作りの工夫をちょっと聞くだけだよ! 調子乗ってお願いしすぎちゃだめだ落ち着くんだわたし…。…はあ、凛さん……。
凛さんはお昼にお家にやってくるということなので、その前に軽くお家のお掃除もすませちゃおうと皆でお話しして、わたしは朝ごはんを済ませたあと、お庭に出てワンくんのごはんの準備をしていた。少しでも食べてくれるといいなあと考えつつ、朝は軽めにと、フードボウルにお水と栄養剤の入ったゼリーを用意しながら、ふと隣に置いておいた薔薇の蕾の入ったグラスを見た。
すると後ろからセシルさんがやってきて、わたしの空いているほうの隣にすとんと座った。朝から少し気がかりだったことを、セシルさんに聞いてみることにした。
「ねえセシルさん」
「なに?」
「この薔薇の蕾なんだけど、朝起きて見た時は白い蕾じゃなかった? わたしが寝惚けてただけかなぁ」
いったん作業を止めて、グラスを持ちセシルさんに蕾を見てもらったけど、セシルさんは笑って、「赤だったよ」と言った。そっか、じゃあやっぱりわたしが寝惚けてただけだったんだねとわたしが言うと、セシルさんは綺麗に整った眉を少し下げて、わたしに尋ねた。
「真綾ちゃんは、白薔薇の蕾の花言葉を知ってる?」
「? ううん、知らない。どんな花言葉なの?」
「いいや、実はオレも知らないんだ」
「はう? えー気になるなあ。今度調べておくね」
「……うん」
セシルさんは緩く笑って、わたしの肩にぽてんと頭を預けた。気分が悪くなったのかなと心配になったので体調が悪いのか尋ねてみると大丈夫と返ってきた。「しばらくこのままでいさせてほしい」とセシルさんがお願いしたので、低い位置にあるわたしの肩でいいのかなと思ったけど、黙ってセシルさんのしたいようにさせてあげた。たまにわたしのほっぺをくすぐるセシルさんのサラサラとした髪が風になびいてくすぐったかった。
「真綾ちゃん」
「なぁに? セシルさん」
「お願いだから、…ずっとオレのそばに居てね」
セシルさんの声は、どこまでも弱々しくて、わたしは何故だか少し、かなしいと思った。




