ちゃぷたーⅢ オオカミ男、お引っ越し
「さて、と。とりあえずまーやちゃん。行きと帰りに人通りの少ない散歩コースをメモしておいたから、散歩が出来るようになったらこのルートを使って」
「う、うん。ありがとう達也さん。…博士、あのままでだいじょうぶ?」
「はっはっは。元々が大丈夫じゃないから大丈夫だって」
「イヤアアアタツーヤアアア覚えてナサアアアイ!! …あっ頭がくわんくわんシマス」
戻ってきたお父さんと達也さんは、セシルさんからちょっとした騒動になっていたことを聞き、それを耳にした達也さんが笑顔で固まり、血管が破れるんじゃないかと言うほど青筋を浮かべていた。
そして現在、博士はお部屋の隅で、天井から逆さづりの刑に処されている。もう30分は経っているので、博士の全身の血液がじわじわと頭に上っているのが想像できて、見ているこっちも何だか気分が悪くなってきた。セシルさんはというと、逆さ吊りにされた博士の横に立って、ときどきつんつんと突いてわざと揺らして地味に追い打ちをかけている。ほ、ほんとうにだいじょうぶかな…。
「せっかく最近アイツも落ち着いてきたところだったってのに、ケージから出すなんて…。どうせオヤジが余計なことして怒らせたんだ。あれで動物学者も兼任してるっていうんだから世も末だよ」
「は、はう」
「まああのバカは放っておいて! 今日からまーやちゃんがアイツのオーナーになるわけだけど…アイツの名前は決まったか?」
「う、うん。まだウルフドッグさんに良いか悪いかは聞いてないけど…」
さっそく、英語の授業中に閃いたその名前を口にして、その意味を達也さんに話すと、達也さんは笑って「いい名前だ。きっとアイツも気に入る」と太鼓判を押してくれた。達也さんはそのお名前を何枚かの書類に記入し、それを抱えた。
「そんじゃ、教授も車で待たせてるし、お家に向かおうか。セシル、お前もアイツを車に運ぶの手伝えよー」
「はーい」
「わ、わたしも!」
「タツーヤ!! 行く前にワタシを下ろしナサイ!!」
「うっせえずっとそうしてろ」
「タツウウウヤアアアア」
じたばたと身体を左右に振りながら達也さんの名前を呼ぶ博士だったけど、かんじんの達也さんは博士をいっさい見ず、先に部屋を出て行ってしまった。ほ、ほんとうにこのままでいいのかなと迷いつつも、セシルさんに背中を押され、わたしも車に向かおうとしたところで、博士が真面目な声色でわたしを呼びとめた。セシルさんはそれを無視して出て行こうとしたけど、なんだか可哀想になってしまって、先に行っててほしいと言うと、気のせいかセシルさんはちょっと不満そうな顔をした。「一緒に行きたいからここで待ってる」と言って、扉の傍の壁にもたれかかったセシルさんは、ちょっと不機嫌で、その理由がわからずもたもたしていると今度は博士が死にそうな声でわたしの名前を呼んだので、慌てて逆さの博士に近付いた。
博士は珍しく真剣な顔をしてセシルさんに聞こえないようにする為なのか、秘密のお話しをするかの様にわたしにちいさく語りかけた。
「真綾チャン、これからそう遠くないフューチャー…、アナタは不思議な体験をするデショウ」
「ふしぎ?」
「イエス、トッテモ、トーッテモ不思議。デモ、アナタなら受け止めてあげられマス。だからこそ、ワタシは彼をアナタに託したんデス。きっと、彼は最初アナタをとことん拒否するデショウ」
「…」
「デモ、諦メナイデ。信じていれば、いつか想いは絶対に伝わりマス」
そう言ってかっこよく笑った博士は、今まで耐えていたのかすぐに脂汗を吹きだして気持ち悪いと言いながら左右に揺れだした。そして最後の力を振り絞って「そして、あッ、このことかー!! と気づいたことがあったら、ワタシの元へオイデナサイ!!!」と叫んで、わたしにもう行ってよいとウィンクをした。博士の言うふしぎなことが何のことかはよくわからなかったけど、わたしのことを励まそうとしてくれたことは十分に伝わったので、ありがとうとお礼を言った。
そして、ずっと黙って待ってていてくれたセシルさんの元に戻り、再び達也さんのところに向かおうとしたけど、また博士が、今度はセシルさんを引きとめた。
「セシル!! ちょっとこっちオイデ! カモン! 真綾チャンには先に行ッててもらいナサイ!」
「えぇ~…」
「あの、セシルさん。わたしここで待ってるよ?」
「……はー…、いいよ。これ以上教授を待たせっぱなしっていうのも怖いし。真綾ちゃん、先行ってて」
「は、はい! じゃあまた後でね、セシルさん!」
少し不機嫌なセシルさんと博士をふたりっきりにするのはちょっと怖かったけど、ここはセシルさんの言うとおりに行動した方がいいとわたしの本能が命令したので、礼をしてから大人しくお部屋を出て、お父さんたちのところへ先に向かった。
お店の外に出ると既に、車のトランクに新たに追加された必要備品を整理していたお父さんと、そしてお店のアルバイトの人たちがばたばたと動き回ってくれていた。はう! た、たいへんだ! わたしも手伝わなきゃ!!
「おまたせ! お父さん、達也さん!」
「やあまーや。学校お疲れ様」
「お父さんも、わざわざ駆け付けてくれてありがとう!」
「これ位当然だよ。なんせ新しい家族を迎えるんだからね」
「!……えへへっ、うん! 荷物の移動、わたしも手伝うよ。」
「…うしっ! ここ段差あるから気をつけろよー。ゆっくり、ゆっくり…。あっ、まーやちゃん。セシルは?」
お店から出てきた達也さんはアルバイトの人と協力して、大きなケージを慎重に運び出していた。ゆらゆらと揺れるケージの中に居たのは、こちらも少し不機嫌そうな顔をしたウルフドッグさんだった。や、やっぱりさっきのこと怒ってるよね…あ、あうう。
「せ、セシルさんならさっき、博士がお話しがあるって呼び止められて…」
「あー、まあた余計な話聞かされてんのかー? …よし! いち、に、さんで下ろすぞ。いち、に、さんっ!!」
掛け声とともに、開かれた後部座席の後ろにケージがゆっくりと置かれた。そうすると正面からはっきりとウルフドッグさんのお顔を拝むことが出来たたんだけど、変わらず仏頂面だ。暴れはしないものの、やっぱりこの状況がお気に召さないらしい。わたしは恐る恐るウルフドッグさんに声をかけた。
「う、ウルフドッグさん」
「…」
「その、…さっきはごめんね。耳、いたかったよね」
わたしの顔を一瞬見たあと、ぷい、と顔を背けてしまった。あああ何やってんだわだじいいいい。初日なのに。お家にお迎えする日なのにいい。
明らかにずーんと目に見えて沈んでしまったわたしを見た達也さんは、わたしの頭をぽんぽんと軽く叩いて、わたしにケージの中をよく見てみるように言った。言われた通り、ウルフドッグさんの居るケージの中を眺めてみると、ウルフドッグさんの下に敷かれているものに見覚えがあった。…というか、前にもあった、よね。
「赤いレインコート、コイツずっと離さないんだよ」
「え」
「性格は素直じゃないんだろうなー。ちゃんとした毛布と取り替えてやろうとしたら、あいつすぐに唸って渡すもんかって目で睨んでくるんだ。…まーやちゃんのレインコートじゃないと、落ち着かないらしい」
「…」
顔が熱くなった。
お家に着いて、ウルフドッグさんを専用のお部屋に運んで、様々な備品やらなにやらを整えた後、ウルフドッグさんをやっと我が家に迎え入れることが出来た。一仕事終えたわたし達はウルフドッグさんのお部屋で一息ついて、柵の向こうにいるケージの中のウルフドッグさんを眺めていた。
「よし! これで、正式に迎え入れは終了です。とりあえず、まず2~3日はこの部屋でお家の雰囲気に慣れさせてやって下さい。ケージは開けっぱなしにしておいてください。柵も高くしておきましたけど、飛び越えることは普通にありますから驚くことはありません。部屋の中では自由に動き回ることが出来るようにしておいてあげたら大丈夫です」
達也さんはペットショップの店員として、ウルフドッグさんを飼育する上での必要事項をお父さんに順を追って話し始めた。忘れっぽいわたしは、達也さんの言うことをきびきびとメモに書いていった。い、生き物をお世話するんだもん。わたしがウルフドッグさんのお、おーなーになるんだからしっかりしなくちゃ!!
そういえば、セシルさん、博士とのお話しから戻ってきてから何だか様子が変。今も、壁にもたれかかりながら、柵の向こうにいるウルフドッグさんをぼんやりと眺めてる。な、なにか言われたのかな…。わたしはちょっと心配になってセシルさんを見ていると、視線に気づいたのかセシルさんがこっちに気付いた。不自然に目があったのでえへへ…と笑ってごまかしていると、何が面白かったのか手を口に当てて小さく笑っていた。え、ええええ。ま、まあいいや。なんだかいつものセシルさんに戻ったみたい。
「まーやちゃん」
「は、はいっ」
お父さんへのお話しは終わったのか、今度はわたしに達也さんが話しかけた。わたしは今から何を言われるのかどきどきしながら、背筋をピーンと正した。
「そんなに固くならなくていーよ。むしろ、オーナーとして余裕と自信があるところをアイツにちゃんと見せるべきだ」
「はい!!」
「う、うーん。まあいいか。さて、これからまーやちゃんが中心になってアイツの面倒を見ていく訳だけど、まーやちゃんも知っている通り、あいつは虐待されていた可能性がある。そこで、まずはまーやちゃんとアイツの信頼関係、そしてまーやちゃんが傍に居ることでアイツが「この人と一緒なら安心出来る」って思えるよう、出来るだけあいつと過ごす時間を多く取ってやってくれ」
「はい」
「家族の内誰か一人でも居る日を除いて、コイツがひとりになっちまう時間帯はウチで預かっといてやるから、スケジュールは逐一報告すること。学校が終わったらすぐに迎えに来てやること! まずはとにかく、コイツの心を癒してやることに集中してくれ」
「わかった!! じゃなくて、わかりました!!」
わたしがまずやるべきことは、ウルフドッグさんの傍に出来るだけ居てあげること居てあげること…。とメモに目立つように赤ボールペンで書いておいた。そして達也さんはそれからも重要なことをつらつらと話して、困ったことがあればすぐに連絡してきてもいいと言ってくれた。本当に親切だ。何度お礼を言っても足りない。
わたしが達也さんという存在の有難さに打ち震えていると、達也さんはセシルさんを呼んだ。
「セシル、教授は忙しい人なんだから、お前がまーやちゃんのサポートに徹しろよ。…って言われなくてもお前はやるか」
「当然じゃないですか先パイ。真綾ちゃんのサポートはオレ以外あり得ませんよ」
「……お前の言葉って何でかイチイチ重いんだよなあ」
そして達也さんはわたしたち家族全員に向き合い、真剣な顔に切り替えて、「それでは、色々大変だとは思いますが、我々も協力致しますので一緒に頑張りましょう」と頭を下げた。それを見てわたしも慌てて頭を下げたけど、お父さんはにこやかに笑って、セシルさんはいつも通りだった。…わたしがおかしいのかなあ…。
こっそりウルフドッグさんを見ると、ウルフドッグさんはもう目を閉じていてわたしたちには無関心だった。む、むむう…。




