ちゃぷたーⅣ 幼女、腹をくくる
「と、いうことデー、真綾チャン! 今日から真綾チャンが、あのボーイのご主人サマデース!! フー!!! オメデトウ、オメデトウ、コングラチュレーーーーショーーーン!!!」
博士はただただ楽しそうに手を叩いて、くるくると高速回転しているのに対して、わたしは全く状況がつかめないながらも何故か思わず立ち上がり、そのまま立ちつくしてしまった。はう? えっとつまり、…ん? 隣にいる達也さんは呆れて何も言えないと頭を抱えているし、明石屋のおじさんも頭上にはてなマークをぽんぽんと浮かべている。
そして今度はビシッと回転を止めた博士は、立ちすくんだままのわたしの肩をつかんでゆっくりとお話しを始めた。
「真綾チャン。あのボーイは今心身ともに疲れ果て、さッきタツーヤが言っていた通り、メンタル面のケアが必要デース。もちろん保護施設に預けるも良しデスガ、ワタシとしては身近に救える手段があるのナラバ活用してイキタイ。そこで白羽の矢が立ッたのが真綾チャン、アナタなんです」
「は、はう!? どう、どうして? わたし、そんな、ケアなんてすごいこと出来ないよ? ぺ、ペットだって一度も飼ったこともないし」
パニックになったまま口を動かしたせいですごくどもってしまった。こんなに落ち着きがないわたしになぜそんな大役を任せようと思ったのか。でも博士はにっこりと笑って話を続けた。
「問題アリマセン。真綾チャンはそのままでいいんです。そのままの真綾チャンであのボーイに接してあげてクダサイ。というか真綾チャンでないと無理デス。…確かに、ウルフドッグの飼育はトテモトーテーモ難シイ。ハウエヴァー、ウルフドッグを初めてのペットとして飼育し、彼等との交流に成功した人タチが居るのも事実デス」
い、いったいどこからそんな自信が!! 博士はわたしがその成功者のひとりになれると思っているのだろうか…。そんなことを突然言われても、ど、どうしたらいいのか…。そ、それにわたし一人が決められることじゃないし、お父さんと話し合わなきゃ…って、何でお父さんがここにいるのか、どうして達也さんがそんなに困っているのか、その訳が今やっとわかった。
「お、お父さんは賛成なの!?」
「うん。朝、庭で言ったじゃないか。新しい試みをちょっとってね。それなりに広い柵と檻を用意してあげたかったから、その下見をしていたんだよ」
「え、ええ!?」
あまりにも唐突すぎる展開にわたしは驚きを隠せなかった。もう一体何から話したらいいのかわからなくなって口をパクパクさせていると、そんなわたしの代わりに達也さんが博士とお父さんにお話ししてくれた。
「ほらな。まーやちゃんだってこういう反応するんだ。これが普通だよ。第一、まーやちゃんは一度アイツに襲われかけたんだ。そういう体験をした子に任せようだなんてどうかしてる」
「ハン。タツヤ、お前は何事においても慎重すぎるんデス。こういうことは一度ドカーンとぶつけてみたら何とかなるモンデス」
「おまえのあたまもどかーんとぶつけてみたらなんとかなるんだろうな? …大体許可が下りないだろ。いくらなんでも無茶すぎる」
「モウ国の許可も取ッてキマシタ」
「は!? いつの間に…! むしろ何で許可が下りたんだよ…おかしいだろ!」
「ワタシの手にカカレバ!! こんなものチョチョイノチョーーイ!!!」
達也さんと博士が言い争う中、わたしは説明しにくい気持ちでいっぱいになっていた。ほ、ほんとうにわたしがあのウルフドッグさんをお世話するの? もっと、それこそ達也さんや明石屋のおじさんみたいにしっかりした大人のひとの方があのウルフドッグさんの為にもいいんじゃ…。
…わたし、じしんないよ…。
「まーや」
すっかり俯いてしまったわたしにお父さんが声をかけた。顔を上げるとお父さんがいつもの優しい笑顔で、わたしの身長に合わせて屈んでわたしの両手を取った。大きな手が、すっぽりとわたしの手を包んだ。
「そんな不安そうな顔をするものじゃないよ」
「でも…」
「なにも、お父さん達はまーやひとりに全てを任せようというんじゃないよ?」
「え?」
「ここには動物に詳しい達也くんも、気さくな明石屋さんも、何でも出来る博士も、お父さんだって居るんだ。それに、君にはセシルくんという強い味方も居るだろう?」
「…だ……だけど…」
それでも不安は消えない。たしかに、皆が居れば怖くない。でも、きっといっぱい、いっぱい迷惑をかけることにもなる。そんな時のことを思い浮かべてしまってぎゅっと目をつぶっていると、わたしは握られた両手が緩やかにぽんぽんと叩かれたのを感じて目を開けた。
「まーやは傷だらけの狼を放っておけないでしょう?」
わたしはお父さんが言った言葉に大きく目を見開いた。
お父さんはゆっくりと立ち上がって、わたしの頭を撫でた。
「お母さんも、新しい家族が加わって庭が賑やかになると喜ぶはずだよ」
「……ほんと?」
「もちろんだよ」
お母さんが、喜ぶ。
わたしが黙って考え込んでいる間に、お父さんは難しい顔をしたままの達也さんに向かい合った。
「達也くん」
「…」
「確かに僕達がやろうとしていることは無茶で無謀で、あるいは無責任とも言えるかもしれない。同情的で偽善だと非難する人もこの先出てくるだろう。でもね、自分達で助けられるというなら助けてあげたいんだよ。うちは飼育環境にも専門家にも困らないしね」
「そうデース!! ミス白附の残した華麗なイングリッシュガーデンさえあればケ・セラ・セラデース!!」
「オヤジちょっと黙ってろ」
「ホワーーッツ!?」
達也さんは明石屋のおじさんを呼んで何か頼みごとをして、おじさんがそれに頷き、ぱたぱたと部屋を出て行った。わたしは自分がどうしたいのかわからずに途方に暮れていた。ウルフドックさんを助けてあげたいとは思ったけど、こんな形になるとは思ってもいなかった。わたしにウルフドッグさんを任せようと言う人が現れるなんて想像もしていなかった。
「まーやちゃん」
「は、はい」
怒った顔のような、でもどこか諦めた顔のような表情の達也さんは、だらりと背もたれに身体を預けてわたしに顔を向けずにお話しを始めた。
「俺はさ、正直に言って反対なんだよ。いくら俺がペットショップで働く人間だ専門家だって言われても、実際にウルフドッグを扱った経験はゼロだ。完全にサポート出来るわけじゃない」
「…」
「でも、あのバカオヤジと教授が言いだしたら、あの二人の暴走は俺に止められないんだよ。言い負かしたことがないんだ」
そして達也さんはわたしの方を振り向き、わたしの目をじっと見つめた。
「それでも、まーやちゃんがアイツを引き取ることが本当に嫌なら、俺は全力であの二人を言い負かす。絶対にまーやちゃんにアイツを任せはしない。これはペットショップ店員として、動物を扱う立場にある人間の義務だ」
そこで達也さんは口を一文字にして一拍置いた後、わたしの肩をゆっくり掴んで「ここからは、“伊達達也”個人のことばだから」と前置きを置いた。達也さんの表情はけわしいけれど、さっきよりもゆとりのあるものになり、雰囲気の変わった達也さんがこれから何をお話しするのか少しドキドキしていた。
「俺だってさ、嫌なんだよ。ただでさえ日本では物珍しいアイツを保護施設に送った後、ゆっくりと時間をかけてメンタル面の回復が出来たところで、もうその頃には十分にアイツは年を取ってる。そこから里親を探すのは正直に言って不可能に近いんだ。元気になったところで、結局ひとりぼっちじゃ、意味無いんだよ」
「達也さん…」
ずっと厳しかった顔をしていた達也さんが、表情をヘラリと崩して、いつものように緩い笑みを浮かべて照れ臭そうに頬をかいた。
「まーやちゃん、アイツを本気で助けてやりたいって気持ちがあるんなら、俺が全面的に協力するよ。…悔しいけどさ、教授の言った通り、皆で協力すれば何とかなる気もするんだ」
と、ということは…。
遠まわしだけれど、達也さんは博士たちの提案に賛成ということになるのだろうか。そうわかった途端、博士が勢いよく達也さんに乗りかかって喜びの声をあげ、達也さんは喜び興奮する博士を振り払おうと必死になっていた。
わたしはその光景を見てさっきまで不安でいっぱいだった心がぽかぽかと暖かくなっていくのを感じた。ウルフドッグさんが隣にいる日常を思い浮かべると心配でいっぱいだった胸が喜びと楽しみであふれていくのがわかった。
わたしはどうしたいのか、ほんとうは最初から決まっていたのかもしれない。




