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神のサイコロ Another  作者: Kiyo
第二幕 人間賛歌

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22/22

第1話 雨の日の選択

 天気予報は外れることがある。


 降水確率十パーセントでも雨は降るし、九十パーセントでも降らないことがある。


 残りの十パーセントをどう考えるか。


 そこには性格が出る。


 柳瀬瞳は、晴れる可能性を考える。


 山口詩織は、雨が降る可能性を考える。


 伊東和幸は、空を見てから考える。


 そして三人とも、天気を変えることはできない。


     ◇


 小学五年生の六月。


 瞳は遠足の前日、リビングで荷物を詰めていた。


 母親がテレビの天気予報を見ている。


「明日、雨みたいよ」


「そうなの?」


「午後から大雨だって」


「午前中は大丈夫なんでしょ?」


「そうみたいだけど」


「じゃあ楽しめるね」


 瞳は笑った。


 リュックにお菓子を入れる。


 水筒。


 タオル。


 帽子。


 雨具は入れなかった。


「カッパは?」


「いらないよ」


「でも降るって言ってるわよ」


「荷物が重くなるし」


「瞳」


「大丈夫だって」


 母親はため息をついた。


 結局、雨具をリュックの底へ押し込んだ。


 瞳は少し不満だった。


 せっかく軽くしたのに。


     ◇


 翌日。


 遠足は予定どおり行われた。


 目的地は郊外の自然公園。


 午前中は曇りだった。


 気温もちょうどいい。


「ほら、雨降らないじゃん」


 瞳は友達に言った。


「午後からだって」


「午後には帰るし」


 昼食を終えた頃だった。


 風が変わった。


 木々が大きく揺れる。


 空が暗くなる。


 教師が空を見上げた。


「予定を早めて戻ります!」


 児童たちが集まり始める。


 そのとき、瞳は気づいた。


 少し離れた遊歩道に、低学年らしい男の子が立っていた。


 泣いている。


「先生、あの子」


「え?」


「あそこ」


 教師が振り返る。


 男の子は一人だった。


 別の学校の児童らしい。


 瞳は駆け出した。


「ちょっと、瞳!」


 教師の声が追いかけてくる。


 男の子は瞳を見ると、さらに泣いた。


「お母さんがいない」


「大丈夫。先生呼んでくるから」


「怖い」


「じゃあ一緒に行こう」


 瞳は男の子の手を握った。


 その瞬間。


 雨が落ちてきた。


 最初は数滴。


 次に、滝のような雨。


「うわ、すごい!」


 瞳は思わず笑った。


 だが男の子は笑わなかった。


 足元の土が流れ始めていた。


     ◇


 同じ日の午後。


 詩織は別の小学校で、校外学習の準備をしていた。


 行き先は市内の歴史資料館だった。


 朝から天気予報を確認していた。


 大雨。


 雷。


 突風。


 注意報まで出ている。


(絶対に危ない)


 詩織は母親に言った。


「今日、休みたい」


「どうして?」


「雨が降るから」


「先生が判断するでしょう」


「でも途中で降ったら?」


「バスで行くんだから」


「道路が冠水するかもしれない」


 母親は困った顔をした。


「そんなこと言ってたら、どこにも行けないわよ」


 詩織は黙った。


 それでも不安は消えなかった。


 学校へ着くと、担任が予定変更を告げた。


「午後の見学は中止します。午前中だけ行って帰ります」


 教室に不満の声が上がった。


「えー!」


「つまんない!」


 詩織だけが安心した。


(よかった)


 しかし、午前中の見学が終わった頃、雨は予報より早く降り始めた。


 バスの窓を激しく叩く。


 道路には水がたまり始めていた。


 運転手が無線で何かを話している。


 教師の表情が変わった。


「道路が通行止めになったそうです」


 児童たちが騒ぎ始めた。


 詩織の心臓が跳ねた。


(だから嫌だったのに)


 バスは近くの公共施設へ避難した。


 誰もけがをしなかった。


 だが、帰宅できたのは夕方だった。


 詩織は家に帰るなり泣いた。


「怖かった……」


 母親が抱きしめた。


「無事でよかったね」


 詩織はうなずいた。


 そして心の中で思った。


(最初から行かなければよかった)


     ◇


 和幸は、その日、友達と釣りに行く約束をしていた。


 学校が休みだった。


 朝の空は明るかった。


「今日、雨らしいぞ」


 父親が言った。


「えー、マジ?」


「午後から大雨だって」


「最悪じゃん」


 和幸は窓の外を見た。


 雲はある。


 でも青空も見える。


「今は晴れてるけど」


「午後からだって」


「じゃあ午前中だけ行く」


 父親は少し考えた。


「川には近づくなよ」


「分かってる」


 和幸は自転車に乗った。


 友達二人と合流する。


 目的地は町外れの池だった。


 釣り糸を垂らす。


 十分。


 二十分。


 三十分。


 何も釣れない。


「つまんねえ」


 和幸はぼやいた。


 友達が笑った。


「まだ始めたばっかだろ」


 そのとき、浮きが沈んだ。


「来た!」


 和幸は竿を引いた。


 魚が跳ねる。


「でかい!」


 友達が叫ぶ。


 和幸は夢中でリールを巻いた。


 釣れた。


 今までで一番大きな魚だった。


「やったあ!」


 和幸は飛び跳ねた。


 写真を撮る。


 友達に自慢する。


 もう一匹釣りたくなった。


 空が暗くなり始めていた。


「そろそろ帰ろうぜ」


 友達が言った。


「あと一匹!」


「雨降るぞ」


「すぐだって!」


 和幸は竿を投げた。


 十分後。


 雷が鳴った。


「うわっ!」


 和幸は竿を置いた。


 雨が降り始める。


 あっという間に土砂降りになった。


 三人は慌てて自転車に乗った。


 帰り道。


 和幸の自転車が滑った。


 転倒した。


「痛ってえ!」


 膝を強く打った。


 自転車の前輪も曲がっていた。


「最悪だ……」


 和幸は泣きそうになった。


 さっきまで人生最高の日だったのに。


 今は人生最悪の日だった。


     ◇


 瞳は男の子と一緒に、遊歩道を戻ろうとしていた。


 しかし、雨で視界が悪くなっていた。


 教師の姿が見えない。


「こっちだよね?」


 男の子は答えなかった。


 泣いていた。


 瞳は少し焦った。


 それでも笑顔を作った。


「大丈夫。絶対戻れるから」


 道が二つに分かれていた。


 右は舗装された道。


 左は林の中へ続く細い道。


 瞳は右へ進もうとした。


 だが、男の子が首を振った。


「こっちから来た」


 左を指していた。


「本当?」


「うん」


 瞳は迷った。


 舗装された道のほうが安全そうだった。


 けれど男の子は、左が正しいと言う。


「じゃあ、そっちに行こう!」


 瞳は左へ進んだ。


 五分後。


 道はぬかるみに変わった。


 雨水が足首まで流れていた。


 男の子が転んだ。


「痛い!」


 瞳は手を引いた。


「頑張って!」


 そのとき、背後で大きな音がした。


 土砂が崩れた。


 さっきまで歩いていた道が、茶色い水に飲み込まれた。


 瞳は動けなくなった。


 初めて、笑顔が消えた。


(怖い)


 心臓が激しく鳴った。


 男の子が泣き叫ぶ。


「帰りたい!」


 瞳も帰りたかった。


 母親に会いたかった。


 それでも、男の子の手を離さなかった。


「大丈夫……」


 声が震えた。


「絶対、大丈夫だから」


 それは確信ではなかった。


 そう信じたかっただけだった。


     ◇


 詩織は帰宅後、ニュースを見ていた。


 市内で土砂崩れが起きたという。


 行方不明者がいるらしい。


 詩織は青ざめた。


(やっぱり外は危険なんだ)


 母親がテレビを消した。


「もう見なくていいよ」


「でも……」


「今日は疲れたでしょう」


 詩織は黙ってうなずいた。


 その夜、翌日の天気予報を何度も確認した。


 晴れだった。


 それでも安心できなかった。


 予報は外れることがある。


 今日、それを知ってしまったからだ。


     ◇


 和幸は父親に迎えに来てもらった。


 車の中で、ずっと文句を言っていた。


「せっかく大物釣ったのに」


「だから早く帰れって言っただろ」


「分かってるよ」


「自転車も修理だな」


「最悪……」


 父親は苦笑した。


「魚はどうした?」


「逃がした」


「なんだ、もったいない」


「でも写真撮った!」


 和幸は急に元気になった。


 携帯電話の画面を見せる。


「ほら、でかいだろ!」


「おお、本当だ」


「すごいだろ!」


 父親は笑った。


「さっきまで落ち込んでたくせに」


「だって魚はすごかったもん」


 和幸は写真を眺めた。


 膝は痛い。


 自転車も壊れた。


 それでも魚は大きかった。


 嬉しいことと、嫌なこと。


 どちらも本当だった。


     ◇


 翌朝。


 瞳は病院のベッドで目を覚ました。


 左腕に包帯が巻かれていた。


 救助されたのは、日が暮れる少し前だった。


 教師と消防隊が二人を発見した。


 男の子も無事だった。


 母親がベッドの横に座っていた。


「瞳!」


「お母さん……」


 母親は泣いていた。


「本当に心配したんだから」


「ごめんなさい」


 瞳も泣いた。


 怖かった。


 本当に怖かった。


 もう二度と、あんな思いはしたくなかった。


 それでも、しばらくしてから尋ねた。


「あの子は?」


「無事よ」


「よかった……」


 瞳は目を閉じた。


 そして小さく笑った。


「助けられてよかった」


 母親は娘の手を握った。


「でもね、瞳」


「うん」


「人を助けるときは、自分も安全じゃないと駄目なの」


 瞳は黙った。


「あなたがいなくなったら、お母さん、どうしたらいいの」


 瞳は初めて考えた。


 自分が正しいと思ってしたことが、誰かを悲しませることもある。


 男の子を助けたいという気持ちは、嘘ではなかった。


 けれど、その気持ちだけで正しい道を選べるわけではなかった。


     ◇


 数日後。


 瞳のもとに一通の手紙が届いた。


 助けた男の子からだった。


 まだ上手ではない字で、ありがとうと書かれていた。


 その下には、二人が手をつないでいる絵が描かれていた。


 瞳は何度も読み返した。


 母親が尋ねた。


「嬉しい?」


「うん!」


「また同じことがあったらどうする?」


 瞳は少し考えた。


「今度は先生を呼ぶ」


 母親は笑った。


「そうしてね」


 瞳もうなずいた。


 あの日の出来事は、瞳にとって幸運だったのだろうか。


 それとも不幸だったのだろうか。


 男の子は助かった。


 瞳はけがをした。


 母親は泣いた。


 そして、感謝の手紙が届いた。


 どれも同じ一日の出来事だった。


     ◇


 詩織は雨の日を避けるようになった。


 和幸はしばらく釣りに行かなかった。


 瞳は雨具を必ず持つようになった。


 三人の人生は、少しだけ変わった。


 だが、その変化が未来のどこにつながるのかは、まだ分からない。


 ある日、瞳が選んだ道が誰かを救うかもしれない。


 ある日、詩織が避けた道に幸福が待っているかもしれない。


 ある日、和幸が喜びに任せて進んだ先に、取り返しのつかない出来事が待っているかもしれない。


 それでも三人は、また選ぶ。


 そのときの自分が、正しいと思う道を。


 空には雲が流れていた。


 雨が降るかどうかは、誰にも分からない。


 ただ、雨が降ったあとにどうするか。


 その選択だけは、人間の手の中にあった。


【第2話 幸運の種 へ続く】

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