1話 王都
帰ってきた――
そう実感したのは、決して早朝の往来で目の前を人間が吹っ飛んでいったからなどではない。
ましてや、遅れて漂う酒臭さや、建物の中から聞こえる怒号などでもない。
雑に括った赤土色の頭を、イコルネはガリガリと掻く。
呆れたようにため息をこぼすものの、目の前の惨状にどこか懐かしさを感じてしまうのは、かつて自分も似たようなことをした覚えがあるからかもしれない。
王都へ足を踏み入れたのは四年ぶりだ。
ターナリア大森林とアーリ海に挟まれたこの街は、近郊で採れる魔力豊富な自然資源のおかげでとても活気がある。
絢爛豪華な王城、豪邸立ち並ぶ貴族街。昼夜問わずに賑わいをみせる繁華街や品物で溢れる港市場など――ここタルスト王国の豊かさを象徴するかのような街並みだ。
しかしその活気とは裏腹に、芳醇な魔力に引き寄せられて魔物が集まりやすい土地柄でもあり、国土の六割を占める広大な森からは、日々魔物の発生報告が絶えない。
そんな危険と隣り合わせなこの国では、騎士団や憲兵といった国に仕える兵士とは一線を画す、『冒険者』と呼ばれる職業がある。
国民から戦闘屋とも呼ばれている彼らは、魔物討伐や要人警護などの荒事を専門に請け負い、兵士たちでは手に負えない仕事の下請けとして国を支える組織のひとつだ。
冒険者という夢のあるネーミングからか、子供に人気の職業としても知られており、竜を落とした逸話や巨人を倒した伝説など、煌びやかな噂が絶えない。
だが一方で、血の気の多い好戦的な者の姿が目立ち、腕っ節に自信はあるが、騎士団に入れるほどの学がない者のなる職業としても有名なのだった。
そんな冒険者たちを取りまとめ、管理しているのが『冒険者ギルド』という組織だ。
王都だけでなく国中の街に支部を構え、国や住人から持ち込まれる様々な依頼を冒険者に斡旋するとともに、素材の買取や冒険者が起こす問題の事後処理なども一挙に担っていた。
そしてたった今、扉を突き破って人間が吹っ飛んできた建物こそ、その冒険者ギルドの王都支部である。
小綺麗な街並みが広がる大通りではなく、わざわざひとつ路地へ入った場所に建つあたり、冒険者たちの素行の悪さを何とか隠そうとしているかのようだ。
かくいうイコルネも元冒険者であり、四年前まではこの王都で生計を立てていた。
故郷へ帰る際に引退したものの、十二歳で上京してから八年も暮らした街だ。思い出もそれなりにあるし、友人もいる。
良くも悪くも雑多で賑やかな王都の雰囲気は、なんとなく自分の性に合っていて、四年ぶりに訪れた今でも『帰ってきた』と思えるほど居心地が良かった。
目の前を飛んで行き、すぐ横の壁に激突したのはガタイのいい男だった。
完全に伸びて動かなくなった体からは、強烈な酒の匂いがする。
咥え煙草で鼻の利かないイコルネにもわかるほどの酒臭さは、おそらく相当な量を飲んでいるのだろう。
ただの酔っぱらいの喧嘩で人間が飛ぶあたり、冒険者らしいというか――どこまでもガラが悪い。
イコルネは濃い赤土色の瞳を、いまだ怒鳴り声の漏れるギルドへと向ける。
赤レンガ造りの三階建てで、それなりにしっかりとした大きな建物。
しかし、ところどころ補修された跡が目立ち、入口の上にかけられた鉄製の看板は、何度も修繕を繰り返されているせいか、ひどく歪んでいる。
横には馬屋や荷降ろし場もついているが、そちらは現在進行形で補修中なのか、規制用のロープがかけられて使用禁止になっていた。
イコルネは再びため息をつき、入口へ向かう。
キィキィと蝶番を鳴らして観音開きの扉をくぐれば、中は二階まで吹き抜けのロビーだった。
板張りの床には椅子のない円卓がいくつも並び、左手側には壁一杯の掲示板がずらりと並ぶ。
掲示板に貼り出された無数の紙には『依頼書』の文字とともに絵や数字が書かれ、奥に行くほど、その数は少なかった。
イコルネがロビーを進んでいくと、ドカドカと足音を鳴らして円卓の間を歩く男と目が合う。
外で伸びている奴よりひと周りほど体の大きい男は、呂律の回らない口調でなにかを叫び散らしながら、こちらを睨む。
嫌な予感がして、足早に横を通り過ぎようとすれば、大股でやってくる男はすれ違いざまにいきなり殴りかかってきた。
昔から何かと因縁をつけられて絡まれることはあったが、酒に酔った冒険者の相手ほど面倒臭いものはない。
大ぶりで隙だらけの拳を半身になって避け、そのまま脚を軽くかけてやる。
勢い余ってつんのめった男は、見事なまでの前転をしてその場にひっくり返ると、仰向けに倒れて動かなくなった。
酔いの回った頭を打ち付けたせいか、白目を剥いてしまっている。
念のため、咥えていた煙草を口元へ近づけると、立ち上る煙は大きく揺らぎ、きちんと呼吸はしているようだ。この程度なら、放っておけばそのうち起きるだろう。
煙草を咥えなおして男の元を離れると、円卓からこちらの様子を眺めていた数人が口笛を吹く。
「なかなかやるなぁ、兄ちゃん」
「あんな綺麗に転がるの初めてみたぞ。細いなりして喧嘩もなかなかいける口かよ」
「いいねぇ、将来有望じゃねーの」
「まぁだが、その小汚ねぇ格好は良くねぇな」
「あぁ確かに。綿のボロ服なんか、ここらじゃ浮浪者くらいしか着てねぇよ」
「いくら汚れ仕事の冒険者っつっても、もう少しマシな服買った方がいいぞー」
げらげらと笑い出した彼らも酒を飲んでいるようで、無駄にでかい声で言いたい放題だ。
イコルネはうんざりした表情を浮かべ、彼らを無視して通り過ぎる。
歩きながら何気なく視線を落とすと、自分の服が自然と視界に映りこんだ。
所々ほつれた質の悪い麻のシャツに、汚れ染みが浮き出たズボン、穴があく寸前まで擦り切れた靴。
酔っ払いに言われたことを気にしている訳ではないが、確かに見られたものではない。
羽織るローブだけは辛うじて小綺麗なものの、厚くしっかりと織り込まれた艶やかな黒い生地と、縁にあしらわれた金糸の刺繍。それらがボロ服とのちぐはぐさを強調してしまっている。
昔パーティメンバーと揃いで作ったローブなのだが、いっそ着ていない方が目立たずに済んだかもしれない。
諦めたように首を振り、イコルネはこれ以上絡まれないよう視線を落として足を速めた。
向かった先は、ロビーの突き当たりにある受付。
簡素な軍服のような制服を身につけたギルド職員が、カウンターに座っている。
そこへ近づき「あの……」と声をかければ、短い赤毛の女性が顔を上げ、にっこりと笑顔を見せた。
「ようこそ、冒険者ギルド王都支部へ」
「登録したいんだけど……」
「冒険者登録ですね」
彼女は手際よく書類を用意しながらチラリとこちらへ視線を向ける。
「当ギルドでの登録は初めてですか?」
「いや、前にもここで冒険者をやってた」
「では再登録ですね。以前の登録を引き継げる場合がありますので、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「イコルネ・ターリア」
「ターリアさんですね、お調べしますので少々お待ちくださ……ん? もしかして《ただ前へ》のイコルネ・ターリアさん!?」
唐突に声を上げた女性職員が、ガタリと椅子から腰を浮かす。
イコルネの頭から足の先までを視線でなぞると、何かに気づいたように目を見開き、慌てた様子でカウンターから離れていった。
奥の書類棚から分厚い冊子を引っ張り出してきた彼女は、戻ってくるなりパラパラとページをめくる。
そして、目当てのページを見つけたのか、目を見開きながら勢いよく顔を上げた。
「やっぱり! その顔! そのローブ! Bランクパーティ《ただ前へ》のイコルネさんよね!?」
「え……そう、だけど」
興奮する彼女は焦ったように言葉を続ける。
「あの、私、ニコル・アンソン! 元冒険者で、あなたと同期なのよ! 駆け出しの頃に何度か顔を合わせてるんだけど、覚えてない?」
「あー……そう、だっけ……?」
曖昧な返事を返すと、ニコルは気まずげに笑う。
「えっと、まぁ、ほとんど話したこともなかったし仕方ないわ……。でもほら、あなたたちのパーティって同期の中でも相当目立ってたじゃない? ランク昇級の最年少記録を次々と打ち立てて、たった半年でBランクになって……あとは、依頼の達成率も凄かったし」
指を折りながら自慢するように並べていく彼女へ、今度はイコルネが気まずげな視線を向けた。
冒険者になりたての頃、手当たり次第に依頼を受けまくっていたのは事実だが、そこまで目立つようなことをしていたつもりはない。
だがニコルは、そんなイコルネの様子などお構いなしに話し続ける。
「うちのパーティ、当時は《ただ前へ》を目標に頑張ってたのよ。何とか追いつこうとして、パーティ構成を真似たこともあったの。……それなのに、Aランクも夢じゃないって時に、イコルネさん突然引退しちゃったでしょ? みんな不思議がってたし、私、結構ショックだったんだから」
そう言って上目遣いにこちらを見る彼女は、不服そうな表情の端に、懐かしさを滲ませていた。
しかし、当のイコルネは彼女のことを全く覚えていない。
昔から人を覚えるのが苦手な上、そもそも王都で暮らしていた時でさえ、パーティメンバーと世話になった人くらいしか、顔と名前が一致していなかったのだ。
正直、会話したかどうかも怪しい同期のことなど、自分が覚えているはずもなかった。
「えーっと……なんか、ごめん……?」




