ポケットにミルクキャラメル
スーパーは、このマンションから徒歩5分。超便利だ。
住宅街をダラダラと歩きながら、何気なくイージーパンツのポケットに手を突っ込んだ。その時、昨日の夜……じゃなくて正確に言うと今日、病院の廊下であのおばあさんに貰った小さな箱が手に当たった。何だろ……とポケットから出して見ると、ミルクキャラメルの箱だった。ああ、懐かしい。
最後に食べたのはいつだったか思い出せないけど、幼稚園の頃、食べたっけ? と箱をスッと引いて開けると、いくつか食べたらしく、隙間があった。
お腹が空いていたので、早速銀色の包み紙を剥いて口に入れた。
口の中で転がすと、甘い香りが口いっぱいに広がった。さっきまで頭の中がぼんやりしていたけど、どこかホッとしたような気持ちになった。空腹に甘い物って、こんなにも人を安心させるんだ……。
空腹の時に、食料品を買いに行くと無駄なものを買ってしまうから、何か口に入れて買い物をするようにしていると、お母さんが前に言っていた。でも、そんな事をしなくても買うものはいつも同じようなものだから、余計なものはきっと買わない。
菓子パン、インスタントラーメン、お弁当、冷凍食品のスパゲティ、レトルトカレー、たまにバナナやリンゴを買う。
たぶん、今日買うのはすぐに食べられる、いつもの唐揚げ弁当とのり弁当。ない時は、魚が入った弁当とか丼物を買う。お母さんは弁当をいつも完食しない。残りは私が後で食べることになる。昨日のお母さんが残した、たらこスパゲッティも食べた。やっぱり勿体ないし、三角コーナーの生ごみが臭くなるのがイヤだった。
これからどんどん暑くなるし、週二回燃えるごみの日があっても、三角コーナーのごみはすぐに臭くなる。そんな事を考えてばかりの私って、何だか主婦っぽい。
レジを済ませ、レジ袋に弁当二個と、明日食べる菓子パンを入れる。急いで出て来たので、エコバックを忘れてしまった。仕方がないので5円を払ってレジ袋を買った。勿体ないな。次は気を付けないと。
帰り道、口の中にまたキャラメルを入れた。二個目のキャラメルはホッとした、というより、俗にいう「罪悪感」ってやつ? 甘い物でまたおでこのニキビが悪化するような……。だけど、甘い物でニキビができるって本当なのかな? 直接関係ないってテレビで誰かが言ってたっけ。ああ、そんな事どうでもいい。それより、お母さんは起きてるだろうか。
ソファに膝を抱えて、お母さんは座っていた。
「起きてたんだね。体、大丈夫?」
「うん……」
「もう夕方だよ。すごいね。二人とも良く寝たよね」
「ごめんね……明日香……」
謝った後、やっぱり泣く。でも、私はいつものように振舞うしかない。
「いいよ。それよりもご飯食べよう」
そう言うと、ダイニングテーブルに買って来た弁当を並べた。
「ごめん……食べたくない……」
「少しだけでも食べてよ」
「でも……」
「食べないと駄目だよ。昨日も殆ど食べなかったじゃん!」
しまった! ちょっと口調きつかったかも、と焦る。
「ごめんね……わがまま言って」
ちょっとギクシャクした感じになった。思わずイージーパンツのポケットに手を入れると、あのミルクキャラメルの箱に触れた。
「あっ、そうだ、これ懐かしくない?」
思わず、お母さんの横に座って、ミルクキャラメルの箱を見せた。
「……そうだね……明日香が小さい頃、よく食べたね……」
やつれた横顔の口角が、ちょっと上がった様に感じられた。
「食べる?」
ミルクキャラメルの箱を引いて開けて、一つ取り出してお母さんにあげた。お母さんはゆっくりと銀色の紙を剥いて口に入れた。
「久しぶり……うん、甘くて美味しい」
そう言って少し笑った。私はお母さんが笑うと、凄く安心する。
「そうそう、キャラメルでね、明日香のグラグラの乳歯が抜けたっけ……」
「あっ、そうだったね! 思い出した。小っちゃい頃、食べてて歯に引っ付いて、歯が取れた時、びっくりした!」
「ガムやキャラメルで乳歯が抜けるなんて、半信半疑だったのよ。でも本当に抜けるのね」
「もしかして歯が抜けるようにわざと食べさせたの?」
「ちょっとね」
「なんかおかしいと思った! やたら食べていいよって言うから!」
二人でゆっくり話すなんて、久しぶりのような気がする。最近のお母さんは、話しかけてもどこか上の空だった。元気がないのは仕方がない。すぐには回復しないのは分かってるから。
今はこんなお母さんだけど、元々すごく頑張り屋さんだ。お父さんが生きていた頃は、5時に起きて毎朝お弁当を作ってくれた。特別料理が上手で得意という訳じゃないけど、私とお父さんの好みが違うから、味付けをそれぞれ変えて工夫してくれていた。それでコンビニのパートにも週に4回行っていて、学生のバイトの人がいきなり休んじゃったりすると、代わって働いたりするから、よく「無理なら断らないと」と、お父さんに言われていた。でもお母さんはそれが出来ない人だった。「役に立てている事が嬉しい」とかよく言っていた。
お父さんが脳梗塞で倒れたのは一年前。そのまま意識が戻らず一カ月後にあっけなく死んじゃった。
ちょっと前まで一緒にいたのに、会社の健康診断も異常なしだったって笑ってたのに、信じられなくて……受け入れられなかった。でも、お母さんは少しずつ毎日の生活を取り戻そうと、必死に「今まで通り」の生活を心がけた。そして、泣いてばかりいた私を、「いつまで泣いてんの!」と叱った。
だから二人で頑張って生きていこうとしていたけど、お母さんはかなり無理をしていたみたいだった。いつも通り、笑って明るく振舞って……でも、段々様子がおかしくなって来た。急に泣き出したり、自分を責めだしたり、夜はずっと眠らずにリビングにいた。ソファに蹲って。
心療内科の先生は、ゆっくりと見守っていきましょうって言うけど、どうなっていくんだろ……。きっかけとかは、きっと誰にも分からないのかもしれないけど……。
「珍しいね。キャラメルを買ってくるなんて」
「ううん、貰……」
貰った、と言いかけたのをやめた。
「うん。何となくね……」
病院でお母さんが処置してもらっている間、知らないおばあさんに貰った。とか言うと、また昨日……じゃなくて今日の事を思い出して悲しい気持ちになってしまうのかもしれない。今はなるべく病院の話をするのは避けよう。
「お母さんの子供の頃は、キャラメルってすぐに歯に引っ付いて、美味しいけど厄介なものだったけど、最近のキャラメルは歯に付かなくなったよね」
「そう? 昔も今もそんなに変わらないんじゃないの?」
「そうかしら?」
「あっ、でも小さい頃は口の中に10分くらいあったけど、今はもう五分もしないうちに無くなっちゃうような……」
「すぐに噛むからじゃない? 明日香はよくキャラメルをガムみたいに噛んでたわ」
「うん。柔らかくなるとすぐに噛んじゃう」
「お母さんはずっと舐めちゃう。噛むのが勿体ない気がして」
「それってセコくない?」
「貧乏性だからね」
そんな他愛のない話しで笑った。
その時、あのおばあさんに感謝した。このミルクキャラメルがなかったら、お母さんとこんな時間を過ごせなかったのかもしれない。
箱にミルクキャラメルはいくつ入っていたのか……私とお母さんは話しながら全部食べてしまった。買って来た弁当を食べるのは、少し後になりそうだ。
それよりも、今日は学校を休んじゃったけど、明日は行かないとマズいかな。三年生になってから休みがちだったし……でも、明日になってから決めよう。そうしよ……。




