芙美さん
心療内科の先生のアドバイスで、朝、お母さんは散歩をし始めた。
今日は「一緒に行こうよ。つきあって」と誘われたので、近所の緑地公園をふたりで歩いた。
「座らない? 明日香」
「疲れた?」
「そういうわけじゃないけど、ちょっと話したいの」
たぶん、高校の事を話すつもりだろう。あれからお母さんは少しでも仕事をしようと、あれこれ求人を見ていた。今の状態で働くのは、まだ無理だと先生も言っていたのに……。
でも、伯父さんが夏休みの間だけでも店を手伝ってほしいとお母さんに言ってくれたから、取り敢えず、今は仕事を探すのはやめたようだ。安心したけど、どこか前よりも私に対して遠慮? 距離? なんだろ……何かのタイミングを計っているような気がして……。
「ねぇ明日香、これからの生活のこと心配してる?」
「えっ? 全く心配してない訳じゃないけど……」
「お父さんの保険もあるし、暫くは大丈夫よ……」
「うん、分かってる」
親不孝だってことも分かってる。でも、このままの気持ちでどこかに入学しても、途中で辞めて、またお母さんをガッカリさせてしまうんじゃないかと思ってしまう。
「明日香が生まれたときね、お父さん、この子は将来どんな学校へ行ってどんな仕事をするのかなって……」
「親はみんなそういうこと話すもんだよね」
「まあね……でも、お医者さんや弁護士さんになってほしいとか、そんなことじゃないのよ。ただ……」
言葉に詰まっていた。お母さんの唇が何かを言うとしては辞め、を繰り返しているのが分かった。
「ただ……高校へは行ってほしい」
「……」
「このままだと、明日香にとって学校って場所が、辛いだけの場所になるような気がするの」
「そうだね」とか、言いたいけど……。
「人間関係がきついなら、今は通信とかあるじゃない? 色々な学び方がある筈でしょ……ん?」
「……うん……」
それ以上は言えなかった。
ホントはね……。
勉強が、もう無理で……。
友達つくるのも、無理で……。
お父さんがいない、この生活も無理で……。
「帰ろうか……学校遅刻するよ」
「うん……」
「あっ、また一緒に散歩しようね、いい?」
「今度はもっと遠くまで行く?」
「そうね、河原の方とか」
この町は、前の町に比べて近所に公園や神社があって、とてものどかな雰囲気。そこが気に入ってお父さんはこの町に越してくると決めたんだろう。それはきっと、全部私の為。それなのにゴメン、私はこの町がそんなに好きじゃない。
休みの日、夏休みにお世話になるお店の二階を掃除しにやって来た。お母さんも一緒に来る筈だったけど、診療内科の先生にグループセラピーとかいうのを勧められて、出かけて行った。前も誘われたようだけど、知らない人と会って話すのが嫌らしく、断っていた。でも今回は、積極的に行く事を決めたようだ。私の為? それなら無理しないで欲しいけど、お母さんはお母さんで前へ進もうとしているんだよね。
「おい、明日香―休んだらどうだ?」
伯父さんが下から呼んでいる。
「もう終わったからー降りてくね」
思ったほど汚れてはいなかった。おじいちゃんとおばあちゃんがお店をやっている頃、この二階はお店の在庫置き場兼、ちょっと疲れた時に横になる場所だったようだ。
でも、伯父さんがこの店を継いでからは、伯父さんが住んでいた。
「上に住んでる方が便利なのに、何で他に部屋を借りたの?」
六畳と四畳半が繋がった和室で、古いけど綺麗だった。
「そりゃあ楽だけど、ずーっとここから表に出なくなっちゃって……ちょっと仕事と分けたいなって思ってさ」
「ふうん……」
と伯父さんが入れてくれたアイスティーを飲んだ。いつもはオレンジジュースだけど、今日はアイスティーにしてもらった。
「このアイスティー美味しい! ペットボトルのやつと全然ちがう」
「おいおい」
ちょっと呆れて笑う伯父さんとは、前よりも話すのがおっくうじゃなくなっていた。
「あの……この店、素敵ですね」
カウンターの一番隅に、女性のお客さんがいたらしい。気配を消していた? 気づかなかった。うちのお母さんと同じくらいか、ちょっと上くらいかな?
「ナポリタンも美味しかったし、コーヒーも! 母の言う通り」
伯父さんと私は、顔を見合わせて言った。
「ひょっとしてトシさんの?」
「あらやだ、マスター! 顔が似てるからすぐに分かっちゃうか。えっと、娘の芙美です。いつも母がお世話になっています」
似ているのは顔だけじゃない。話し方もよく似ていた。
「去年、この辺に越して来て色々散策したのに、駅裏にこの店があること全然気がつかなかった。母に感謝だわ」
この人もお喋りなんだろうな、と思っていたら、読んでいる文庫本の続きを読み始めた。ずるずる話が始まるんだろうなと覚悟していたから、何だか調子が狂った。
「そういえば今日はトシさん来なかったですね? モーニングの時間帯には必ず来てたのに」
「ああ、風邪ひいちゃって」
「えっ、昨日は元気だったのに」
「ああ、病院とかで拾っちゃったんじゃないのかな……」
よく喋るから、口から菌が入った? そんな失礼なこと考えてしまった。
「そうだ、ビシソワーズってお持ち帰りできます?」
「はい。トシさんにですか?」
「そうです。食欲がないみたいなんで」
仕事ばかりしている人だってトシさんが言ってたけど、そんな感じしないな、とか思ってたら、いきなりスマホが鳴った。芙美さんは素早く出て、部下らしい人になにやら指示を出し始めた。ハキハキとした口調が、あの夜に電話で話した時と同じだった。
「そっか……はい、それじゃあ確認だけしに行くわね、はーい」
と通話が終わると同時に席を立った。
「ビシソワーズ、やっぱりいいです。ちょっと急ぎの仕事が……」
「それじゃあ届けますよ。なぁ明日香、行ってくれるよな」
「えっ? ……う、うん」
思わず頷いた。嫌だって言える雰囲気じゃなかった。芙美さんは助かるわ、と言いながら身振り手振りでマンションの場所を教えてくれた。
「ああ、グランドパレス201ですね」
「そうだ、病院で住所書いてくれた子だよね? ああ何か初めて会う気がしなかったのは、声を聞いたことがあるからなのね」
本当かな。でも実は私も少しだけそう思った。




