深夜の救命救急センター
この作品は、あるシナリオコンクールに応募した作品を小説で表現したものです。
残念ながら最終選考で落ちてしまいましたが、どなたかに読んでいただきたくて投稿させていただきました。
よろしくお願いいたします。
バシャバシャと顔を洗った。
ゆっくりと顔を上げて鏡を見たら、すっごく疲れた顔の私……ブスだ。おでこのニキビ、化膿してるし……最悪だ。前髪で隠そう。あっ、前髪伸びて来たから明日切ろうかな……自分で。でも、今はそんなことはどうでもいい……。
「あれ? なんかここのトイレ綺麗になってない?」
なんてひとりごとを呟きながら、救命救急センターのトイレを見渡した。三カ月前に来た時はもっと臭くて暗かったのに……そういえば前、なんか工事っぽいことしてたっけ……ああ、それもどうでもいいことだった。とりあえず、お母さんのところへ行かないと。そろそろ処置が終わっている頃かもしれないし。
トイレから出て廊下を歩くと、7メートルくらい先に公衆電話がある。そこで話しているおばあさんが、こちらを見て手招きをしているのが見えた。
あのおばあさんは、お母さんが運ばれた時、もう既にいた感じだった。何だろ? 私だよね、他に誰もいないし……でも今は誰とも話したくないな。そうだ、こういう時は知らないフリだ、と、公衆電話とは反対側へ身体を向けた。でも、おばあさんはしつこかった。
「ねぇ、お嬢さん……ちょっとこちらへきてくれない?」と小さく叫んだ。
いまどきお嬢さんって? たぶん、いや絶対私のことだよね。お嬢さん、なんて初めて呼ばれたような気がする。いやいや、そんな事より、ちょっと深刻な感じだから無視すんのはまずいかな……。
「ちょっとちょっと、ねぇ、助けてください」
助けてくださいとか言われると、益々逃げたくなる。助けてほしいのはこっちの方だ! とかいう気はないけど、とにかく今は勘弁してほしかった。だってここは救命救急センターだよ。でも……。
後ろの方から徐々に近づいて来る足音。背中に気配を感じた。ゆっくりと、顔だけ向けたら、おばあさんは私のすぐ後ろにいた。ドキッとした。
「電話の途中なんだけどね、すぐに終わるから、ちょっと来てくれない?」
ますます深刻な感じだった。
「本当にすぐだから」
「私、いまそれどころじゃ……えっ!」
今度は私の腕を掴んできた。そんな事いきなりされたら、もう逃げられない。
おばあさんの腕を振りほどいて「ばばぁ、離せよ!」とか言えたらいいかもしれないけど、そんなこと言える訳ない……。
「なんですか?」
私は静かに諦めた。ここは「諦めが肝心」かな? 本当は「逃げるが勝ち」の方を選びたいところだけど。こんなに近くで助けを求められると……仕方ないか。
おばあさんに、公衆電話のところまで連れていかれ、私は受話器を耳に押しやられた。
「えっ、な、何ですか?」
「電話の向こうの、娘が言う住所をこの手帳にひかえてほしいの。お願いします」
と、開いた小さな手帳とボールペンを渡された。
電話の向こうからは、「ちょっとお母さん、大丈夫? 言うよ」と少しキツイ、というかハキハキした口調の女性がゆっくりと住所を言い始めた。
「はい……豊に東西南北の北……はい、豊北区、野原の野にこざとへんに祭で野際町、1丁目33番地グランドパレス201号室……はい……代わります」
手帳にその住所を書くと、おばあさんの娘って人は、「どなたか存じませんが、母が勝手言ってすみません……」などと話し続けていたけど、私は結構そそくさとおばあさんに代わり、おばあさんも「じゃあね、また」と、割とさっさと電話を切った。そしてその後、私に大げさなくらいお礼を言った。
「本当にありがとう……急いで出てきて、携帯電話も老眼鏡も忘れちゃってね」
「いいえ……字が汚くてごめんなさい」
「いいのよ、そんなことないわ……」
目を合わすのが苦手な私は、視線が下に行ってしまう。すると、おばあさんは本当に急いでいたらしく、靴下の柄が左右違っていた。右が白地に紫の花柄で、左が紺色と水色のチェックだった。ショートヘアの白髪はちょっと乱れ気味だったし、どこか乙女チックな襟にフリルが付いたラベンダー色のワンピースも、上から二番目のボタンが留められていなかった。
「あら、私ったら、だらしないわね」
私の視線に気付き、慌ててボタンを留めた。
「まぁ、靴下もだわ! 恥ずかしい! 全然気が付かなかったわ……どう? やっぱり目立つ? どうしようかしら、靴下は脱いだ方がいいわね……」
「はぁ……」
「でも裸足になっちゃうか……」
「はぁ……」
「お嬢さん、高校生?」
「い、いいえ。中学生です」
この流れで、このおばあさんと話し続けるのが嫌だった。そう思っていたら、タイミングよく私を呼ぶ看護師さんの声がした。
「小谷さん?」
この声は、低学年の頃に通っていた耳鼻咽喉科の受付のおねえさんの声とよく似ている。低い割にはよく響く声だ。
「小谷真紀さんのご家族の方は?」
「呼ばれてるんで、それじゃあ……」
「何かお礼を……」
「いいえ、いいです!」
と逃げるように行こうとしたら、手に何か小さな箱のような物を渡された。
「お礼なんてもんじゃないけど……」
「えっ……」
何を貰ったのか確認もしないで、私はそのままそれを、イージーパンツの前ポケットに入れて看護師さんの声がする方へと向かった。
廊下で看護師さんから、お母さんが今どのような状態なのか、どのような処置をしたのか、などの説明を受けた。この説明は前に運ばれた時と同じような説明だったので、何となく聞いていた。
「大丈夫? ひとりで来たの?」
「はい」
「点滴が済んで休んだら、すぐに帰れるからね」
看護師さんは、大きなマスクに目だけが出ている。
そのせいか、心配そうな看護師さんの目がやたらと刺さる。
「はい……」
「どなたか迎えには来れない?」
「大丈夫です。ふたりで帰りますから」
強がってる訳じゃない。でも、誰からも心配されたくなかった。可哀想に……とか、そういうのが、嫌だった。
「そう。じゃあ処置室に行こうか」
「はい……」
と、看護師さんの後を付いて歩いた。その時、明日は……正確に言うと今日、学校へは行けるかどうか考える。お母さんが心配だし、寝てないから無理かも……ま、いっか、行かなくても……ちょっとなげやりな感じ?
処置室に入る前、どこからか視線を感じた。振り返ると、あのおばあさんが私の方をじっと見ていた。目が合うと、ニッコリと微笑む。そして、唇だけ「ありがとう」と言っていたような? 私も「いいえ、さよなら」とか、挨拶しなきゃ駄目かな? でもちょっとだけ頭を下げて、そのまま、やっぱり逃げるみたいに急いで処置室に入った。




