13-10
ーー父親はいない
母の言葉を聞いた瞬間、葵の思考は止まった。
いきなりすぎて、意味が理解できなかった。
――どういうこと?
――ただ名乗り出ないだけじゃなかったの?
――いないって、そんなはずない。
今まで当然のように、どこかに父は存在していると信じていた。
会えない理由があるだけで、自分もいつか父を知る日が来ると思っていた。
なのに、父そのものが「存在しない」と突きつけられた。
頭の中で何度も繰り返し言葉をなぞってみても、現実の輪郭はぼやけたまま。
理解しようとするほど、逆に心が拒絶してしまう。
「奇跡の子」――母のその言葉は、祝福のようでいて、葵には重すぎた。
簡単には教えてくれなくても、パパのことを少しでも聞けたらなんて、友達と笑って話していたのに
自分だけは違う世界に立たされている気がする。
夜になっても胸のざわめきは消えない。
“どうして私はここにいるの?”
“私って普通の子じゃなかったの?”
その思いが引いては寄せる波のように、静まるはずの夜をかき乱していた。
葵は答えの出ない問いを抱えたまま、誰にも打ち明けられずにいた。
友達に「父がいない」と告げる勇気はなかった。
言った瞬間、普通の世界から自分だけが切り離されてしまう気がしたからだ。
そんな時、テレビの報道で「奇跡の子」として健太の名前が流れた。
画面に映る彼の姿は、遠い存在のようで、同じ立場にいる唯一の人でもあった。
――健太なら、分かってくれるかもしれない。
――この話を共有できるのは、健太しかいない。
迷いながらもスマートフォンを手に取り、震える指でメッセージを打ち込む。
「ねえ、少し話せる?」
送信ボタンを押した瞬間、胸の奥で凍りついていたものが、わずかに動き出した。




