キス
二人きりで、純白のシーツがかけられたベッドに腰掛けている。おしりが沈み込んで、温かい布団に包まれるのが心地いい。でも、ベッドの快適さよりも、私は目の前でこちらを見つめている美咲に心を奪われていた。目を潤ませて、何かを求めるように私の首に腕を絡ませる。柔らかそうに膨らんだ唇が控えめに動き、「し、て」と口にした。
私は自分を押さえつけた理性のふたを少しだけ開いて、そこからあふれ出た欲望の並みに身を任せる。彼女の細い首元。かぶりつきたくなる滑らかなそこへ、私は手を伸ばした。肌に触れる、美咲が少しくすぐったそうに身をよじった。「ん……」となめかしい吐息が漏れる。私は指の一本一本でその首筋を味わうように、這わせた。何度か美咲野からだが跳ねる。そして、餌をじらされた子犬のようにこちらを見つめてくる。
私は、彼女がしてほしいことをしようと思った。きっと、彼女はもっと私に触ってほしいのだ。愛してほしいのだ。
口に唾液がたまる。私は、気持ちの向くままに、腕を彼女の首元においた。そして、その細くて白い首を、ぎゅっと、握りしめた。
「あっはっ」
美咲の身体がひときわ大きく跳ねる。苦しそうに、必死に息を吸い込もうとするその様子がひどくエロティックで、私の欲望はどんどん膨らんでいく。強く、指を首へ食い込ませる。美咲の首の肌の向こう。骨や筋肉を感じ取って、その一つ一つを握りつぶそうとしていく。
「ああ……」
美咲の意識が遠のいていく。そこで、私は自分が何をしているのか理解した。
勢いよくまぶたを開いた。私は隣で寝ていたはずの美咲の首元を握りしめていた。目をつむったまま苦しそうな吐息を漏らす彼女から、私は手を離そうとした。夢だった、さっきまでのは夢だったのだ!
微かに美咲が目を開いて、色のないうつろな瞳で何もない空間を見つめながら、私の名前を何度も呟いている。手を離そうとしたとき、美咲がそれを拒むようにして手を押さえつけてきた。すさまじい力だ、今度は私の手首が握りつぶされそうだった。体を痙攣させながら、意識を失いながら、命を溶かしながら、首を絞めてと訴えてくる。
「美咲離して!」
必死になって手を離そうともがく。美咲の瞳の色が変わった。赤い、血の色よりも真っ赤な赤だ! 美咲の背中から触手がうぞうぞと空中を這うように揺れながら伸び上がってくる。その触手が、私の手を掴もうとしてくる。
「やめて! お願い!」
私は悲鳴を上げた。瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれる。お母さんだ。一瞬顔をこわばらせたものの、躊躇うことなく美咲を抱きしめて私から思いきり引きはがした。美咲が不思議そうな顔でお母さんを見る。
「あやの、おかあさん?」
「……そうよ。私は、あの子のお母さんよ。あなたは、みさきちゃんでしょ。落ち着いて」
最初こそ硬い口調で静かな怒りと恐怖を込めた言葉だったが、お母さんは美咲の名前を優しく呼んだ。そして、その恐ろしい背中を抱きしめる。強く、触手を押さえつけるように。
美咲は、不思議そうに口を半開きにしてお母さんを見ている。
「あやのお母さん、私のこと、好きなの?」
「ええ、みさきちゃん。好きよ」
お母さんの言葉は、私の胸に大きな風穴をあけるくらい、強い衝撃を与えた。朝起きたときよりも強く胸が痛む。動悸が速くなって、吸っても吸っても酸素が入ってこない。美咲とお母さんが見つめ合っている。それがなんだか許せなかった。恐怖がいつの間にか消え去って、私の体の震えは止まっていた。
「そっか」
美咲がそうやって呟いた頃には、瞳の色はもとの茶色に戻り、触手は消えていた。そして、少し痛むのか、私が掴んでいた首元をさする。私は言葉が出なかった。
「落ち着いた?」
「……たぶん、はい」
だめだ、二人が見えない。私はどうなってしまったんだろう。おかしい、なんでこんなに、胸が苦しいんだろう。無性に二人の間に駆け込みたい気持ちがある。嫌だ、こんな気持ちは抱いてはいけない。とまれ、とまれ、心臓。この動悸が続くくらいなら、止まってしまえ!
「愛彩……、ご、ごめんね」
いつもの美咲。私の肩に手を回して、顔を近づけてくる。キスする気? そう思って私は顔をそらした。
「愛彩?」
「落ち着いたなら、よかった。謝らなくていいから」
むしろ私が謝りたいわよ。
そらした顔を美咲に戻して微笑む。不安そうな表情をしていた美咲がぱあっと明るくなって、衝動のままに私に抱きついてきた。勢いのままに私は布団の上に押し倒されて、美咲に体をこすりつけられた。美咲の肩越しに見るお母さんはやれやれといった具合に首を振っている。でも、私の感情は少しも動かない。いま、美咲に何をされてもなんとも思わない。
「ね、ね! 愛彩!」
「ん?」
「キスしていい?」
さすがに、は? と驚いて言った。美咲は焦ったように答える。
「く、口にじゃないよ! ほ、ほっぺとか、首とか! あ、でも首にはなんか変な意味があったような……」
「キスする位置に意味なんてあるのね」
美咲は恥ずかしそうに頷く。あとで聞いてみよ。
それから黙って、私は美咲に頬を差し出した。美咲と目が合う。いいよ、と頷く。
本当は、いいよなんて思ってない。やめておいた方がいい。これ以上進んではいけない。
美咲は、顔を真っ赤にして、目を閉じた。そっちから言ったのに、照れるんだ?
変な美咲。かわいい美咲。なんだか心が和やかになる。美咲の唇が私に触れる。
漫画で見るような、ちゅって音はしなかった。ただやさしく、やわらかい唇が触れる。押しつけてこない。熱が伝わるほどに触れてくるだけ。鳥の羽でなでられたような感覚。なんだか、すごくどきどきした。




