恋ってなんだろう
数秒で唇が離される。少しだけ湿っていたそれが、頬に冷たい痕を残していた。美咲はうっとりと口に出そうなくらい顔をとろけさせて、私を熱っぽい目で見下ろしていた。そのおかげで私は今どういう体勢なのかを理解した。なんだか大人な雰囲気。これはまずい。
「美咲、離れて」
「……うん」
冷静に告げて、体を起こす。まだ美咲の熱が体に残ってる。布団の熱じゃなくて美咲の体の温かさ。心地のいいぬくもり。
美咲は気まずそうにもじもじと体を揺らしている。でも、その首元には赤い手の痕が目立っている。あれは、私がつけたんだ。そう思うと体が一気に冷えていくのを感じた。だめなんだ、私は、人を好きになんてなっちゃいけない。私は、美咲を殺してしまう。
美咲にキスされた首元に手をやる。そこだけやけに熱がこもっていた。私も、美咲の首元にキスしたい。いや、かぶりつきたい。そして肉を引きちぎって、血を流しているところが見たい。おかしい、この感覚は忘れていたはずなのに。だめ、だめ!
「じゃあ、ご飯にしよっか」
お母さんのその一声に、美咲が「そ、そうですね!」と焦ったように便乗する。すっと私の心が落ち着いていくのを感じた。早く美咲に遠くに行ってほしかった。
「わたし、今日はいいや。部屋で着替えとく」
「え、愛彩食べないの?」
「うん、食欲無いから」
心配そうに顔をのぞき込んでくる美咲から、私は視線をそらす。やけに二の腕がかゆい。いつのまにかおもわず掻いてしまったみたいだ。痛い……。
「大丈夫だから、美咲は食べておいで」
できるだけ優しく声をかけると、渋々美咲はお母さんと部屋を出て行った。一人残された部屋は空気が冷たくて、いつも通りなのに、いつもより一人きりな感じがして嫌だった。一人でいることには慣れたつもりだったけど、脳裏をよぎる美咲の顔が、私の孤独感を加速させる。
でも、私は今日、美咲の首を絞めて殺そうとしたんだ。
私は布団に寝そべって自分の二の腕を掻いた。傷が開いて血が服に滲んでいるのを感じても、掻くのをやめられなかった。本当にだめなやつだ、私は。もう恋なんかしないって決めたのに。自分は変わったと思って、美咲を気にしちゃったりして。
「だめだ」
私はパジャマを脱いで制服に着替え始めた。Yシャツを着て、その上に紺色のブレザーを羽織る。学校に行ってない期間は長かったけれど、お母さんはいつだって制服をきれいに保ってくれていた。クローゼットに並びかけられている数着のビニールのかかったYシャツがそれを物語っている。おかげでクローゼットから独特の清潔感を象徴するような香りがする。気分が落ち着かないにおい。
長らく放置していた時間割票を取りだして、クローゼットにしまわれている鞄に教科書を詰める。この感覚、久しぶり。ていうか重すぎる。姿見の鏡の前に立つと、そこには気の強そうな女子中学生の姿があった。うん、似合ってはない気がする。制服の上から二の腕に触れると、まだ少し痛んだ。Yシャツに血がついていないといいんだけど。
部屋を出て、リビングへ降りた。二人はまだ食事の途中だ。私は少し小さな声で告げた。
「学校に行ってくる」
「あら、美咲ちゃんと一緒に行けばいいのに」
「美咲はきちゃだめ。お母さん、美咲を家から出しちゃだめよ。美咲も、わかった?」
反抗的な目をしていた美咲も、しゅんと俯いてしまった。それでも、美咲が今外に出るのは危険だ。お母さんも不思議そうな顔をしていたけど、「まあ、わかったわ」と頷いた。私たちの事情を追求しないのは優しさだろうか? 彼の触手を見てしまったんだ、美咲が普通でないことくらい分かるだろう。美咲を閉じ込めておくことに罪悪感はあるが、いつまたあの黒服たちが出てくるか分からない。
でも、ずっと家に置いておくわけにもいかない。早くなんとか対策を見つけないと。
少し早足で学校に向かうと、思ったよりも早く学校へ着いた。陸上部が息を切らせて走っている。ホームルームは8時30分からだというのに、時計は8時前を刻んでいた。まあいい、行きたい場所もあったし。
私は荷物を教室に置くことなく向かったのは、図書室。まだ暖房が入れたてなのか少し肌寒いが、担当の先生はすでに来ていた。
「あら~あんまり見ない顔ね」
「まあ、あんまり学校来てませんから」
「そうなの~。ゆっくりしていきなさい。読みたい本があるの~?」
私は言いにくそうに答える。
「……恋愛、ですかね」
「あらあらあら~! いいわね~、今ちょうどフェアしてるわ」
こっちにおいで、とマイペースにゆらゆら歩く先生の後を追う。なんだか魔女みたいな人だなと思った。不思議な空気感。私が学校に来てないって言っても反応を示さなかったし、普通の教師ではないみたい。天然っぽい。
「これこれ~」
図書館の入り口から入って右側に、自由に座って本が読める空間がある。机と椅子が多く陳列
されているが、今はまだ誰もいない。その前に、一つの丸い机があり、そこには『恋がしたくなる季節~恋愛の秋~』なんて大きな看板が立てられて、ひたすら恋愛の小説なんかが並べられていた。どピンク。ピンクまみれ。正直この学校なら恋愛に困って小説に浸る人なんていないと思うのだが、この先生は意気揚々と一冊一冊を私に向けて紹介してくる。
「これは~、野球部男子とマネージャーの恋愛~」
「これは~、ヤンキー彼氏とまじめ彼女の秘密の恋~」
「これは~、つんつん彼女とでれでれ彼氏の恋~」
属性特化過ぎてついて行けない紹介を聞き流しながら、私は一人で並んでいる小説を眺めていた。正直どれにもあまり惹かれはしなかったが、とりあえず普通の恋愛ものッぽいタイトルを見つけて手に取る。
「あら~、それは運動部の女の子が片思いしてる同じ部活の男の子と恋愛するお話~」
うん、普通だ。現実でも十分にあり得る。この学校ならいくらでもだ。ふっと窓から陸上部の様子を眺めてみれば、またいいタイムでも出たのか男女が手を取って喜んでいる。もう一冊くらい、と思って気になるものをとってみる。
「あらあら~。それは幼なじみの男の子に恋している強気な女の子が、親友に幼なじみの男の子にラブレターを渡すように頼まれちゃうお話~」
そういえば紫苑に渡されたラブレターをスカートから取り出してなかった。状況がかぶりすぎてる。紫苑とは親友じゃないけど。あれと親友にはなりたくない。
手に取った二冊の本と、目の前に広がる本を眺める。どれもこれも、男と女の普通の恋愛。普通、どれも普通。私とは違う。きゅっと胸が締め付けられる。
「その二つでいい~?」
「はい」
普通の恋愛の本を二冊、手渡した。やっぱり私のような恋をした話なんて無い。女の子同士の話もない。学校では、教えてくれないよね。異常なんだもんね。美咲も、施設に居た頃の私みたいに、みんなから悪く言われてしまうかもしれない。一人きりで孤独な気持ちを膨らませて、それがいつしか人への絶望へと変わる。そんなの、だめだ。美咲には幸せになってほしい。私と恋愛なんて考えないで、もっと、普通の恋愛をしてほしい。
朝の日差しが、図書館の薄いカーテンの向こうから差し込んでいる。こちらにおいで、とでも言うように。その向こうで、人知れず一組のカップルが、キスをしていた。
恋って、なんだろう?




