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女王様、狂犬騎士団を用意しましたので死ぬ気で躾をお願いします  作者: 帰初心
本編番外編(本編に関連が深いお話)
66/66

【書籍第二巻発売記念】 どうぶつのかんごしさん in さまー 後編 (バド・ラック・ハイデガー視点)

 

 診療所の一部屋は巨大な空間になっていて、そこに所狭しと犬用ベッドが並べられている。

 夏用の大部屋だ。

 見渡す限りベッドは二百ほどあるだろうか。


 並列に並べられたベッドの間を、第八部隊いりょうぶたいのお姉さんたちが点滴や氷、タオルやシーツやたらいを持って走っている。 


 吠える犬。

 うめく犬。

 要求する犬。

 いらつく犬。


 模範的な患犬など、一人もいない。 




『氷を寄こせエプロン看護師! 噛むぞ!』

『眼鏡エプロン! 首を掻け。犬ノミがいるけどな!』

『ここから出してください……第八部隊が怖いよう。おばはん犬が怖いよう』

『ねえエプロン。陛下のスカート持ってないの? あれないと暴れるよ!』

『おやつまだー?』


 わんわん!

 ぎゃんぎゃん!

 くーんくーん

 グルルルルルル………

 がう!


 いらっ。

 唐突に、やつらの肉球を全部揉み殺してやりたい発作に襲われた。

 両手に氷パックを入れたバケツを持ったまま、思わず叫ぶ。


「お前ら本能丸出しや! 動物園かい!」


 隣で回収したタライを運ぶザフトが、赤銅色の髪を揺らして首をひねった。


「バド。動物園ってなんだい?」

「……ザフトは知らんか。まあ変身人種だらけのこの大陸でそんなもんやったら即全面戦争やしな」 







 そっ……。

 そばにあるベッドの薄いシーツから、毛深い白犬の大きな前足が、俺のエプロンに触る。


『……看護師さん、アイスジャーキーが欲しいであります。新味が欲しいであります。なんかもう塩味くださいであります』

「和犬の取り繕いはどうしたんですか。アキタ副隊長」

『そんなものはくそであります。矜持で夏に勝てたら苦労はないのであります』


 ごろんと巨体を仰向けにして、降参、降参のポーズをとった。




 中央騎士団第一部隊のアキタ副隊長は和犬だ。

 「~であります」の語尾が独特な男前で、和犬社会では【忠義のアキタ】として有名な一族の出世頭らしい。


 だが実際の彼は……実にフランクというか……面倒くさがり屋だ。

 毒もしょっちゅう吐く。

 たまに一人カフェでお座りをして、騎士団をクビになりそうな発言を良くしている。


 彼は鬱陶しそうに寝返りを打って、文句を言った。

 

『診療所にしかまともな冷房がない状況をどうにかして欲しいであります。犬力発電もいい加減に巨大化して、竜力発電に切り替えれば良いであります』

「大型犬発電ではないんですか?」

『なぜ自分が徴集されそうな提案をするでありますか』


 俺は笑顔でスルーして、キシュウ副隊長の行方を尋ねる。

 ザフトが差し出したジャーキーをもぐもぐと囓りつつ、アキタ副隊長は教えてくれた。




『もしゃもしゃ。キシュウ先輩はトサ先輩についてアフガンハウンド領に行っているであります。冷房の強化の相談と、西域の帝国との国境沿いの警備が目的でありますね』

「国境沿い?」

『もしゃり。辺境騎士団だけで対応できないこともあるのであります。それにしても味噌でありますか。宰相もなぜ白味噌に拘るのか……味噌なら赤味噌。辛口が最高でありますのに』


 とぼけた話しぶりで話題がそらされた気がする。

 だが、とりあえず優先されるべきは味噌なので、入手方法について訊ねた。


『細かいキシュウ先輩のことですから、どこか王宮の涼しいところに保管してあるはずであります』


 後で連絡を取ってくれるというのでお願いして、俺は次の患者のところに向かった。  






 今度は売店のおばちゃんだった。

 白い毛皮に片目の周りだけが黒いのですぐに分かった。

 いつも元気なブルテリアのおばちゃんが、小さくなって丸まっている。


「おばちゃん。氷やで。落ち着いたら家に帰って休暇を取ってな」


 スピスピと寝ているおばちゃんの白い足を上げて、すっかりぬるくなった氷パックを入れ替える。

 この辺りの犬人は職員犬で、大人しい方が多い。

 ザフトもせっせとぬるくなった氷パックを入れ替えていく。

 

 くふん。

 無意識にほっと溜息を吐くおばちゃん。

 俺は頭を軽く撫でて、次に向かった。




『エプロン。高級バウ茶をくれ』

「黙っとれやじいさん。もう元気になったやろ。そこのわんこやかんの水飲んで職場戻っとけ」


 旧騎士団員で現在文官をやっているという連中は面倒くさい。

 とっとと退院————むしろ、とっとと引退すれば良いものを。

 ここが涼しいからとどかないのだ。

 むしろ、職場でも暇(探せばあるやろ!)らしく、昔話を聞けだの仕事のサービスが悪いだのひたすらうるさい。


 特に『高級な物しかわしの口に合わん』とのたまう、エアデールテリアの元家長は鬱陶しい。

 この辺りの老犬の中では中心的な人物らしく、一番偉そうだ。


(ブルテリアおばちゃんを除いて『テリア』の付く奴は、本当は面倒なのが多いわ)


「あの、この後仕事なんで」

『いいじゃないか。わしの話を聞いていった方が犬生に役立つぞ』

「あの僕は純人なんで……」


 ザフトは裾を掴んで放さないじいさんたちに、すっかり困って立ち往生していた。

 こういった連中は、診療所を茶飲み部屋と考えて、何をしても聞きやしない。

 第八部隊も流石に老犬には手が出しにくいらしく、遠巻きにしている。

 部屋が次から次へと運ばれる患者で混んでいるというのに、邪魔でしかない。


(あとで対策だな)


 俺は出来たばかりの友人を犠牲にして、あれこれと氷を入れ替え歩いた。

 一通りの作業が終わると、次は一番面倒臭い患者のところに向かう。





 

『出せー! 私をここから出せー! 仕事したい、仕事させろ、前足がふるえてたまらん!』

「ワーカー・フォン・シェパードさん! 静かにしてって言ったでしょう!?」

『うるさい。だったらここから出せ。仕事を寄越せ』


 第八部隊員の若い女性が、ガタガタ暴れる「ケージ」に向かって怒っていた。


 ケージ。

 重症とは違う、特に重大な被害を周囲に与える患者を収監、いや強制入院させるための入れ物だ。

 宰相のような個室の入院設備ろうやと違い、犬の姿のまま閉じ込める。

 頑丈な鉄格子で作られた周囲と、足下の鉄板。

 どんなに砲弾が当てられようとも壊れないように出来ている。


 ザフトはどんな凶悪犬が入っているのかと興味津々だが、俺はその様子にため息しか出ない。 

 その犬はガチガチと歯で格子に噛みつきながら、ガウガウと吠えたてた。


『ハイデガー! 貴様よくも私をこんな地獄しごとできないところに追いやったな! 早く出せ!』


 上司で宰相の右腕のシェパード主席秘書官だった。


 そして今俺に課せられた仕事は――――一見元気に見えて、実は脱水症状が進んでいる彼の脇や太ももに氷パックを当て、水を飲ませることだった。

 ザフトは気の毒そうに俺の横顔を見つめている。




 仕方なく腰をかがめる。

 すると、腹ばいになって檻をガジガジする上司の下肢が気になった。


「お姉さん、シェパード上官にゲージは止めた方がいいですよ」

「え? どうしたの?」

「……上官は恐らく股関節が悪いので、この姿勢で抗議し続けたら腰がやられます」

「あら、良く気がついたわね!」


 シェパード上官の動きが止まる。

 ザフトがどういうことか訊ねてくるので説明する。


「俺の祖国――――旧大陸の純粋な犬にシェパード上官の様に、下肢の短めな警備犬がいましてね。多分犬種は同じ名前だったと思うんですが。生まれつき股関節が弱い犬が多く生まれるんです」


 人の都合の良いように品種改良された犬は、どこかで歪みが生じる。

 古代犬人たちは社会的立場が弱く、奴隷のように「品種改良」された時代があったらしい。似たようなものだ。

 



 俺は幼い頃、親父に連れられ西国を色々と見て回った。

 仕事中毒で、幼子の飯すらまともに用意してくれない親父だった。

 だから自分の食い扶持を確保するために、あちこちで媚びを売ったり、各地でバイトをしていたものだ。


 親父の金持ちのスポンサー? たちの飼い犬の世話を毎日手伝っていたこともある。

 その際に犬の体や扱いについて一通り学ばされた。

 そして恐ろしく駄目犬なダシバと出会ってからも、愛犬協会の会長に付いて、犬の世話の仕方は大方学んだつもりだ。


「お座りが崩れています。腰が痛い証拠ですよ。とりあえず上官が逃げないよう説得しますから、広い部屋に移してください」

「そうね……たしかにハイデガー君の言うとおりだわ。大人しくしてくださいよ、シェパード卿」

『……ああ』


 結局。

 少し考え込んでいる様子の上官は、大人しく氷パックを受け入れてくれて、大きな個室おりに移動させられた。


 ゆったりとしたクッションで横になった上司に、キシュウ副隊長の味噌を探しているのだと説明すると、

『食堂の冷蔵庫にキシュウ一族の白味噌が残っているかもしれない。少なくとも、とりあえず味噌汁にふさわしい食材が揃えば、あの人は文句を言わないだろう。食堂に話を通しておくから、少し待て。お前は第八部隊の手伝いに専念しろ。その方が良い』

 と協力を申し出てくれた。




 ――――ちなみに。

 ダシバがお座りをきちんと出来ないのは、単にだらしがないだけだ。




◇◇◇◇




「リーゼの前でだけ、良いわんこのふりをしている」

 

 犬人の連中を見ていると、常々思うのがそれだ。

 唯一の飼い主であるリーゼロッテに相手にされたくて、戦争やら侵略やらとやらかしてしまう、とんでもないすつらだが。

 実際はただ寂しいだけ。

 そして、アピール方法が犬によって違うだけなのだ。


 だが、決定的に嫌われたいわけではない。 


 やつらは基本的に頭が良い。

 普段から犬の本能がむき出しのように見えて、少女に怖がられぬよう、犬の凶暴さを露骨には見せないよう工夫している。


(どこかのピットブルは微妙やけど)


 和犬のように同じ犬に対しても本音と建て前が伝統芸になっているのは例外として。

 彼らはたった一人の少女に気に入られたくて、どこまでも尽くしてしまう。

 

 「気の毒だな」と思うと同時に、彼らの寂しさを全て受け入れた妹の強さを実感する。

 あんなに不器用で、のろまで。

 人との距離感を上手に作れないあいつだが、同じ苦しみを持つ犬をどこまでも懐深く受け入れる。


 俺は兄として……自身こそ寂しがりやのあいつの近くにいて、出来る限りのことをして支えてやると決めたのだ。




 そう考えていたら、窓の向こうの芝生の果物を冷やすタライの中に――――ダシバが浮かんでいた。


 でぶでぶしい毛皮を水面に浮かべている。

 どうやら第八部隊が冷やしていたバウスイカを勝手に囓ろうとして、皮の固さに面倒くさくなって途中で止めて、そのまま一緒に浮かんいるようだ。


 周囲の第八部隊が「なぜこいつがここにいる」という顔をしてチラ見をし、必死に無視をして仕事に戻っていった。


(必ずそばにいる。という意味ではダシバには勝てんわな) 


 あいつはいつでもリーゼのそばにいる。

 どんなに迷惑を掛けようが、どんなに邪険にされようが、必ずふらりと現れてリーゼのそばにいる。

 本当にどうしようもない犬だが……リーゼと共に在る同士として、こんなに心強い犬もいない。 

 





 きゅんきゅん。

 子犬たちが集まったスペースに点滴を運んでいく。

 様子を見ると男の園児たちが多い。


 何やら互いに格好良い毛皮になりたくて『刈りっこ』という、互いにバリカンで剃る恐ろしい遊びが流行ってしまったらしい。

 毛皮は暑さも防ぐもの。それを下手に刈ってしまえば熱中症になりやすくなるのも当然だ。

 保育園では、刈られた毛と倒れ伏した男の幼児たちが先生たちに発見され、阿鼻叫喚の嵐になったらしい。

 それぞれが個性豊かなハゲを披露し、全員が頭にたんこぶを作っていた。

 

『あ、バドだー』


 一人の幼児がベッドから飛び降りて、とことこと歩いてくる。

 あちこちピンピンに立った毛皮が、ゆっくりと昼寝することができなかった証拠となっている。

 確かレオンベルガー大臣の息子の……名前忘れたわ。 

 ハゲし散らかしたぬいぐるみのような体をとりあえず抱き上げて、「どうした」と聞いてやる。


『あのね。さいきんダニエルとプラトンがけんかばかりするんだ。だからおれまぜてほしいのにまぜてくれないんだよ! ずるいよね!』

「ん? どういう話だ?」

「恐らくアントン様のダニエル君だね。彼は伯父のゴルトン大導師に心酔しているから、純人教の差別的な視点で竜人を見てしまのだろうな」


 一時期は大規模な殉教すら企てた、旧ユマニスム王国の純人教徒たち。

 彼らは変身人種を受け入れたのではなかっただろうか。 


「犬人は大丈夫なのに?」

「ダシバ様がいるからね。あくまでも『ダシバ様を愛するリーゼロッテ女王陛下の家来』だから付き合っているだけさ。他の変身人種への態度は以前とあまり変わらないよ」

「……面倒やなあ」


 人種間の融和が出来る日は、まだまだ遠い。

 



 しみじみしていると、わらわらと男子園児の子犬たちが集まってくる。


『バドだ! 遊んでー!』

『きゅうたいりくのあそびをおしえてくれるっていったじゃん!』

「ああ、また今度な。ちゃんと母ちゃんの言うこと聞いて毛を刈らなくなったら教えてやる」

『絶対だよ!』

「はいはい」

 

 足の甲に乗っかった子犬たちを、足だけで持ち上げて、ほれほれと揺らしてやると喜んだ。

 ザフトは感心している。


「……つくづくバドはすごいね。純人で王族でもないのに犬人たちに好かれている」

「あ? この平凡な顔でモテる訳がないやろ。この大陸は妙に顔が良い奴が多すぎるせいで、すっかり俺はブサイク扱いや」

「……いや、そっちじゃなくてさ」


 もごもごと口ごもったザフトにいぶかしげな視線を送り、俺はうとうとし始めた子犬たちを、看病に来ていた親御さんに渡して仕事に戻る。

 彼らは感謝して、見舞いでもらったというワンジンやワイコン。

 そしてバウスイカを分けてくれた。






 庭先に出て、野菜と果物をタライに移す。

 夕方には食堂から『味噌』と『味噌汁』の材料が送られてきて、ゴールデンレトリバー宰相も機嫌よく飯を作るだろう。


『眼鏡エプロン! わしの話を聞け!』


 後方では『おい黒眼鏡!』『赤毛エプロン!』『わしはすごいんだ! 聞け!』と、次から次へと自分を呼ぶ声がする。

 殆どが老犬どもの声だ。

 バリバリに仕事をする第八部隊のお姉さんたちは怖すぎて、呼び止められないらしい。

 ザフトはすっかり呆れている。


「さすがにおじいさんたちに付き合いきれないよね」

「やつら家でも居場所がなくて、昔の職場に契約雇用で来てるくらいやからな」


 このままでは、全然仕事が終わらない。

 明日も明後日も……ずっと第八部隊の所属になってしまいそうだ。

 むかつく先輩は多いが、宰相秘書官室の仕事はけっこう好きだ。邪魔をされてはたまらない。

 早くファラオドッグ上官たちの元に戻るべく、俺は決断をした。




「ダシバ。お前に決めたで」


 俺はたらいに浮かんでいた、デブシバの脇を両手で持ち上げた。

 ぽたぽたと毛皮から落ちる水。

 流石は駄犬……。

 濡れた茶色い毛皮以上に、贅肉が重い。

 

 ダシバは何も考えていないつぶらな瞳で、こちらを見上げている。


「わう?」

「たまには役に立ってもらわんと」

「……バド。ダシバ様をどうするんだ」


 不安そうなザフトに俺は哂った。


「任せておけ。俺とこいつの付き合いはまあまあ長い。そしてリーゼよりは【使い方】を分かっとるわ」


 その時の顔は――――。

 後日ザフトに「あれは本当に悪い男の笑みだった。流石は女王陛下の義理の兄だね」と褒められるような、実に悪辣な顔だったそうだ。





「ダシバ! 行け! 向こうにおやつのジャーキーがあるで!」

「わん!」


 ダシバは出動した。

 腹にはザフトが軍務局から借りてきた、歴史ある黒い腹巻きを身に着けて。


 目標は老人犬たちが占拠するベッドの一角。

 わざとあちこちにジャーキーを置かせてもらった。


 ちなみに腹巻の背中には大きく、白いインクである言葉を書いてある。




【リメンバー・わんこハーバー】




 まっしぐらにダシバはベッドを襲い、ジャーキーを食べまくっていく。

 駄犬の襲来に驚いた老犬たちは、ベッドから転がり落ちた。


「きゃん!」

『なんだ!? リメンバー・わんこハーバー? わしたちの戦争時代のスローガンじゃないか!』

『わし、あの頃はあの腹巻を巻いて特攻をしたもんじゃ……なぜか生き残ってしあったが』

『仲間が国のために儚く散ったものだ……』

「なあ、じいさんたち」


 俺はすっかり混乱したじいさんたちの前に立つ。

 

「駄犬ですら、愛国心のために腹巻つけて走ってるんやで。それなのにじいさんたちはただ茶を飲むために診療所にいる。ちょっとは自身の状況に疑問に持たないんかい」

『…………』


 ジャーキーを食べ終わったダシバは、他にも落ちていないか必死にくんくんうろついて、腹巻のプロパガンダを見せつけている。

 呆然とする老犬もいれば、四肢に力を入れて立ち上がる老犬もいる。


 特にダシバの出っ腹のせいで、少し間延びした【リメンバー・わんこハーバー】を見て、雷に打たれたように動かない、エアデールテリアのじいさん。

 俺は彼の前に歩み寄った。

 

『わしは……』

「今、ここは戦場やで。見てみい。担ぎ込まれてくる仲間をな」


 俺の言葉にじいさんたちは周囲を眺める。

 第八部隊のお姉さんたちが、担架で運ぶうめく犬達。


 はっとするじいさんたち。 

 だんだんたるんだ毛皮に緊張と精神力が戻っていく様子を見て取った俺は、駄目押しの一言を告げる。


「老兵よ! 仲間を一人でも助けるために立ち上がれ! だが戦死は犬死だ。陛下が悲しまれる。貴公らの真の経験と実力を、第八部隊予備戦力として戦場を勝ち抜き……生き残るんや!」

『『もちろんじゃ!』』 


 無駄に元気のあった老犬は途端に走り出し、セントバーナード先生に仕事をもらいに殺到する。

 目を丸くした先生は、こちらの親指のジェスチャーを見ると笑って頷いて、了解してくれた。


 ――――邪魔をする偽患者はみな戦力せわするがわに。


 俺の読みは当たった。

 大部屋のベッド回転数は上がり、効率的に患者が冷房に当たれるようになったのだ。


 そしてダシバは――――部屋の隅で大きくなった腹を抱えて転がっている。

 うん、普通にダメシバだ。


 


 後ろで呆然と見ていたザフト。

 

「なんというか……バドは扇動家だね。まるで大導師を見ているようだったよ」

「奴と一緒にしないで欲しかったわ。経験上、人の矜持をくすぐるのが上手い連中をよく見て来たから、やり方が分かるだけや」

「へえ」


 あまり深く聞いて欲しくなかったので、さっさと会話を区切る。

 すると、扉が開いてたくさんの食料がやってきた。






 荷台を引いているのは、朝ザフトが抱えていたオールドシープドッグよりも更に大きく、もふもふした顔の見えない茶色犬。

 

『バド~! 依頼があった食材を持ってきたで~!』

「チャウチャウ君、助かったわ!」

 

 ごく初期に暑さで倒れた同僚で親友のチャウ・チャウ・チャウチャウ君だ。

 犬人の中でも珍しい、旧大陸の西方なまりをもつ犬人は、割と早く復活して、王宮中の手伝いに駆けまわっていた。

 今回は食堂でお手伝いをしていたらしい。




 次々と集まる食材。

 ワウルメ、ワス、ワウロッコリー、バウイモ。

 美味しい出汁が取れるバウメまでが荷台に乗っている。

 フラッドハウンド料理長が、とりあえず味噌汁に入れたら美味しいものを用意してくれた。  


 そして白味噌。

 アキタ副隊長がキシュウ副隊長は連絡が取れなかったらしく、代わりに食堂にいたキシュウ一族の人に持ってきてもらったそうだ。


「よし。これで宰相が味噌汁作って満足してくれれば問題ないな」

「本当に今日は一日が長かったよ……」


 外を見ると、夕日になっている。

 赤い日差しが大部屋の隅、腹這いで寝ているダシバのしっぽに差し込んでいた。

 快い疲労感だ。 




 意気揚々と荷物をもって地下入院施設に向かった俺たち。

 しかし。

 準備万端に白い割烹着を着て、大きな簡易コンロと子供一人余裕で入る寸胴鍋を用意して待っていた麗しき宰相は――――流麗な眉を顰めて否定をしてくれた。


「この味噌ではない」

「「はあ!?」」


 後から荷物を抱えて来たザフトとチャウチャウ君が、声を上げる。

 俺は確認した。


「でも、キシュウ一族の白味噌っていったらこれしかありませんよ」

「白味噌だと誰が言った。キシュウといえばバウ醤油の元になったという、キシュウワンザンジ味噌だろう」

「ワンザンジ……なんですか、それ」

「なめ味噌の一種だ。普段は白いゴハンに掛けるものらしいな」


 ちょっと待てや!


「味噌汁なら普通、溶かすタイプのものを使いませんか」

「私はリーゼ様に『私の味噌汁』作って差し上げたかったのだ。ならば食堂で食べられるような予想できるものではなく、オリジナル味噌汁で勝負したいだろう ————分かったら早く持ってこい」


(今日の宰相のわがままは、本当にひどくないか!?)


 チャウチャウ君が人の姿になって(彼は人の姿になるともっさりした前髪で顔が見えない少年になる)、そっと耳打ちをしてくれた。


《バド。あれや。リーゼロッテ様に会えない禁断症状もあるけどな。最近まで宰相がしていたリーゼロッテ様の洋服を番号順に整理してしまう仕事をニューファンドランドたちに取られたらしくてな……家庭犬として自信が喪失しているんや。大目に見たってや》

《激しくどうでもいいな!》




 ……まあこいつら犬だから?

 犬だから、どうしようもないけども――――。

 

 ――――でもな!?

 

「俺に迷惑やー!!」


 拗ねた犬なんて迷惑やー!


「あ?」

「わ、バカっ! 純人君、バドを避難させろ!」

「ああ!」 


 思わず堪忍袋の緒が切れた俺は、二人に抱えられて地上に搬出された。






「はあ、はあ、はあ」

「うーんさて、どうすんの? ワンザンジ」

「今から探すのかあ」


 必死に怒りを呼吸で紛らわす俺を横に、二人は顔を突き合わせて悩んでいる。 

 すると。

 大部屋の方からキシュウ副隊長の怒鳴り声が聞こえてきた。


「てめえアキタ! 早速倒れて仕事を俺に全部放り投げやがって!」

『和犬の中でも毛皮が自慢だったアキタ一族としては、順当な倒れ方で仕方がないのであります』

「ぜんっぜん、ぴんぴんしているじゃねえか」

『うっ、めまいがするのであります重症であります。口の中まで火照っているのであります。キリタンポは早すぎるので、とりあえず臨時保管庫のアイスを食べるのであります。エプロン君頼むであります』

「殺す」

『忠義に厚く、か弱いアキタ一族の手足は繊細なのであります!いたたたたた!』


 本来は爽やかなイケメンのはずなのに、恐ろしく顔を歪めてキレたキシュウ副隊長が、巨大なもさもさ犬を絞めようとする。


 とりあえず延々に続きそうな二人の喧嘩を、俺たちは止めた。

 そしてワンザンジ味噌の在り処について尋ねる。




「ああん? ワンザンジ味噌? ……そういえばそんな約束も宰相としていたな。困ったな。物は実家にあるんだよな~あ、確か……これだ」


 彼はなんと、荷物の中にワンザンジ味噌を入れていた!

 背中に引っ掛けた兵糧袋から、缶詰に混じって味噌壺が入っていた。


「これは持ちが良いし、おかずになって便利だからな。携帯食としては抜群なんだ」

「少し分けてもらえませんか?」

「ああ、構わないが……量は少ないぞ?」


 渡されたが、片手の手のひらに載るくらいの量しかなかった。

 

「困ったな……」

『なんじゃ、なめ味噌か。ならばわしらの見舞い品にたくさんあるわ。老犬の間では人気のおかずだからの』

 

 エアデールテリアのじいさんが声を掛けてくれた。彼らはキシュウやシコクといった和犬たちと仲が良いらしい。 

 次々と味噌をくれるじいさんたち。

 みな、人に感謝される仕事をして達成感に満ち溢れていた。


『喜ばれるのは、いいもんじゃ』






 再び地下に戻って、ふて寝している宰相に味噌を渡し、この件を告げる。

 麗人はそうか……と味噌壺を持ち上げ、感慨深そうにしていた。 

 そして居住まいを正して、わがままを謝罪してくれた。


「悪かった。私だけがご主人様に喜ばれたくて……どうやらやり過ぎたようだ」


 そして、味噌汁の仕込みを始めた。

 ————ただし、味噌は白味噌も全部混ぜて。


「これは関係者一同で作った味噌汁ということにしておこう。明日、リーゼ様が視察と見舞いに来てくださる。その際にふるまうとしよう」


 彼の麗しい笑顔に、嘘はなさそうだった。







「皆様、お見舞いに参りましたよ」


 すっかり落ち着いた大部屋に、リーゼが見舞いにやってきた。

 途端に良いわんこになる犬達。

 時折きゅーんきゅーんと甘えたように鳴く犬が混じるくらいで、大人しくベッドで伏せている。


 笑うしかない。




 丁度同じタイミングで担ぎ込まれてきたサモエドやチワワの惨状に哀しみつつ、リーゼは皆を慰撫して回った。

 慰められた宰相は、普段よりも黄金色の毛の輝きが違う。


 一通りセントバーナード先生に全国の熱中症の事情を聴いた後。

 診療所のみんなで味噌汁という名のごった煮を食べることになった。

 地下で入院かんきんされていた犬も、一応差し入れとして頂ける。


(なにせチャウチャウ君が運んできた荷台の食材も、子供たちの親が暮れた野菜も全部いれたからな。もう味噌汁と言って良いのかも分からんわ)


 

 鉄格子の向こうには、白い割烹着にお玉をもった美形。

 彼が一つ一つのおわんに、超巨大な寸胴鍋からすくい取っていくごった煮。


 最初に渡されたリーゼは、熱いごった煮を代わりに冷まそうとする宰相を断って、ふーふーとお椀に息を吹きかけた。

 塩分のしっかり入った味噌汁を一口飲んで、ふふふと笑う(笑顔は当社比)。


「お出しもお味噌も色々混ざっていると聞いていますが、とても美味しいです。皆さんの合作の御馳走ですね」


 と、嬉しそうに評価した。


 犬たちはみんな満足げだ。

 流石のゴールデンレトリバー宰相もホッとした顔をする。

 誰も彼も、美味しいご飯を食べて赤みが差した、健康そうなリーゼロッテの頬を見て、嬉しそうに眺めていたのだ。



 



 俺は時々診療所を手伝うようになった。

 セントバーナード先生は、第八部隊に転籍する? と軽くほのめかしてきたけれど、自分は流石に体力がないので断った。


 将来やりたいことはまだはっきりしていない。

 だけど妹が喜ぶだけでなく、みんなが喜ぶ仕事というのもいいものだなあと、最近ようやく思うようになったのだった。




とりあえず書籍二巻発売記念の番外編はここまでです。

https://www.enterbrain.co.jp/product/mook/mook_bungei/213_other/17238101.html

本屋さんやネットでお見掛けしましたら、よろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
[一言] 自分は猫派なんですが、このお話はとても犬らしさが出ていてシュールで面白かったです。 一番好きなのは一番猫に近い感じがする、マゾマットボルゾイです。
2020/10/07 16:55 退会済み
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