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第19話 南西部の太陽と、運命の黒い豆

 馬車が峠を越えた瞬間、視界が一気に開けた。

 目の前に広がるのは、どこまでも青い海と、斜面に広がる豊かな農地。海特有の潮の香りと東部とは違う、カラリとした陽気な風が忍の頬を撫でた。


「あっ、海だ……! それに、なんだかすごく活気があるね」


「南西部は公爵家が治める交易の中心地だからな。東部より少々……騒がしい連中が多いのが難点だが」


 アレックスが少しだけ不機嫌そうに眉を寄せる。彼にとって、この地の領主とはあまり馬が合わないらしい。

港近くの市場に差し掛かると、東部では見かけなかった色鮮やかな果物、刺激的な香りのスパイス、

異国の布を広げる商人たちが目に飛び込んできた。

 そしてーー忍の嗅覚が、潮風に混じる**「ある独特な匂い」**を捉えた。


「……っ!? この、ちょっと蒸れたような……でも香ばしい発酵の匂い……どこ!?」


 忍は無理を言って馬車を止めてもらうと、匂いの発生元を突き止めようと左右に顔を振る。


(……この匂い、絶対に“何か”が眠ってる!)


忍は馬車の中から飛び出した。


(……あ、あっちだ!)


忍は匂いを頼りに港の倉庫街へと走り出した。


「またか、忍! 待てと言っているだろう!」


 アレックスが慌てて後を追う。人ごみの中で小さな体を見失わないように目を凝らす。

 焦るアレックスなどお構いなしに忍は一直線にそれに向かった。

 匂いを追って忍が辿り着いたのは、潮を被った古びた倉庫の軒先だった。そこには、赤茶色の液体が染み出した古い樽が置かれ、その傍らには麻袋から溢れた**「小さな黒い粒」**が散らばっていた。


「これ……これ、大豆じゃない!? けど、この樽の匂い……醤油のなり損ないみたいな……!」


 忍が狂喜乱舞して黒い豆を握りしめていると、背後から地響きのような豪快な笑い声が響いた。


「ハッハッハ! なんだ、その小さな珍客は。そんな『塩漬けの腐り豆』が珍しいのか?」


 振り返ると、そこには南方系特有の彫りの深い顔に太陽のように眩しい笑顔を浮かべた、褐色肌の体格のいい男が立っていた。パッと目を引く茜色の髪は男の豪快な雰囲気によく合っていた。

 アレックスと同年代か少し年上に見える男は、豪華なマントを羽織っているが、前を大胆に肌蹴させ、野性味溢れるオーラを放っている。彼こそが南西部の領主、レオナード・サウスウェル公爵だった。


「レオナード……相変わらず品のない格好だな」

 

忍に追いついたアレックスが忍を隠すように前に立ち、冷ややかな声を出す。


「よお、アレックス。堅物のお前がわざわざ南まで来るとはな。……で、その腕の中に隠してる可愛い天使が、噂の『厨房の暴君』か?」


「暴君って言うな! ……それより公爵様、これ、腐ってるんじゃなくて『発酵』してるんだよ! この豆、どこにあるの!? この汁、もっとたくさんある!?」


 アレックスの腕の中を抜け出した忍は物怖じすることなく言い返す。

 それどころか忍はレオナードの服を掴んで詰め寄った。


(……この子供、怖いもの知らずすぎるな)


恐れることなく自分に物申す忍にレオナードは、面白いと口元に笑みを刷く。

アレックスの周囲の空気が一気に氷点下まで下がった。


「……忍。あまりその男に近づくな。レオナード、お前は忍の教育に悪い」


「はっ、独占欲の塊みてぇだな。いいぜ坊主、その豆なら南の山の方でいくらでも獲れるが、食えたもんじゃねえぞ? 渋くて硬くて、煮ても不味い」


「もったいない! これがあれば、世界が変わるのに!」


 忍の頭の中には、すでに**「自家製味噌」と「本物の醤油」**の設計図が出来上がっていた。

 米、そして大豆もどき。

 ついに揃った日本の味の源流に、忍の料理人魂がこれまでにないほど激しく燃え上がる。

 忍はキラキラとした瞳でアレックスを振り返ると、


「アレックスさん、僕、当分この地に泊まり込みで研究したい! この豆を全部使いこなして、僕の世界の調味料を再現してみせる!」


「……却下だ。旅は中止、すぐに東へと戻るぞ。……レオナード、この豆と樽、すべて買い取る。今すぐ私の領地へ運べ」


「おいおい、商談は成立だがな、アレックス。その坊主が面白いもん作るってんなら、俺にも一口噛ませろ」


「誰が嚙ませるか!さっさとどこかへ行け!!」


「ここは俺の領地だ、だれが聞くか!」


「なにをっ」


「やるか?」


二人の空気がバチバチと火花を散らす中――


「はぁ~っ、やれやれ、着いた途端にこれでは、この年寄りの身が持たぬわ……」


クリスティナの呆れた声が響いた。


「……おばば様……」


「道の往来で何をしておる。先ずは、頭を冷やさぬか、アレックス殿……それから、レオナード殿」


「これはクリスティナ様、いつわが領へお越しで?」


「いつでもよい。それよりもじゃ、その喧嘩を売りまくる性格はどうにかならぬのかぇ?」


「そういわれましても、何分にも性分でして」


「そうじゃったな、お主は生まれたときから癇が強うて、気に入らぬとよく泣いていたものじゃ。ほれ、覚えておるか?あれは……」


「ク、クリスティナ様、反省し、改めるよう努めますので……」


ニヤニヤとしていたレオナードが慌てて話しを遮る。

クリスティナが満足げに頷いた。


「クククっ、わかればよい。そうじゃ、ここで会うたのも何かの縁、レオナード殿、主の館で世話になろうかのぅ。忍、こやつのところなら好きなだけ研究できるぞ」


「本当⁉……けど、宿泊予定の宿はいいの?」


「問題はない。レオナードがどうにかしてくれるじゃろうし、アレックス殿も異存はあるまいて」


「「えっ⁉」」


 独占欲に燃えるアレックス、面白がるレオナード、そして豆に夢中な忍。

 南西部の熱い太陽の下、新たな波乱と「究極の調味料作り」が幕を開けた。

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