第01話 聖女と悪女の出会い
「そなたが、メアリ・オルコット――当代の聖女殿か?」
名を呼ばれ、メアリは振り返った。
声の主を目にした瞬間、思わず息を呑む。
「レ、レミリア様……」
レミリア・ヴァルハート。
ヴァルハート公爵家の第三令嬢。
すらりと伸びた長い脚に、細身ながら隙のない立ち姿。
切れ長の瞳を長いまつげが縁取り、艶のある黒髪は複雑に編み込まれ、頭上に巻き上げられている。
男性貴族のような装いに剣を帯びたその姿は、凛として、それでいて、どこか柔らかさがあった。
公爵令嬢、という言葉から思い浮かべる華やかさとは、少し違う。
だが、美しかった。
剣術にも秀で、並の兵士では相手にもならない――そんな噂まである人物だった。
「お、お初にお目にかかります、レミリア様」
メアリが慌てて跪こうとすると、レミリアが片手を上げて制した。
「よせ。学園でそのような挨拶は無用だ」
この学園では、身分にかかわらず生徒は平等である。
そう聞かされてはいたものの、メアリは建前にすぎないと思っていた。
「私はレミリア・ヴァルハートだ。よろしく頼む」
レミリアはそう名乗ると、品定めするようにメアリを見つめた。
「メアリ・オルコットと申します。よろしくお願いいたします」
「早速だが、聖女殿。そなたの力について聞きたい」
「わ、私の力、ですか?」
「不作の作物に実りをもたらし、病を癒す力があると聞いた。本当か?」
「はい。故郷の村で、枯れかけた麦を回復させました。それから、病に伏せていた村人を何人か……」
長雨の影響で、収穫を諦めかけていた麦畑。
メアリが祈りを捧げると、萎れていた穂は再び起き上がり、数日のうちに実をつけた。
病で寝床から起き上がれなかった村人も、メアリの祝福によって快復した。
その話を聞き終えると、レミリアは眉間にわずかなしわを寄せた。
「やはり、そうか」
レミリアは、考え込むように腕を組んだ。
「それは困るな」
「困る……のですか?」
予想もしなかった言葉に、メアリは目を瞬いた。
人々を飢えから救い、病を癒す力だ。
誰もが祝福し、喜んでくれた。
それを「困る」と言われたのは、初めてだった。
「わからんのか」
レミリアはため息をついた。
「呆れたたわけだな。そなたは」
「た、たわけ……ですか?」
「そうだ」
「なぜでしょう?」
「そなたは今後、聖女として各地を巡るのだろう」
「はい。そのように聞いています」
「不作の土地では作物に実りをもたらし、病が流行れば人を癒す」
「それの、何がいけないのでしょう?」
飢える人々を助ける。
苦しむ人々を救う。
それは、聖女となった自分の使命なのだと、メアリは信じていた。
だが、レミリアは冷ややかに言った。
「誰も努力しなくなる」
「え……?」
「土を改良する。ため池を造る。日照りに強い作物を他国から取り寄せる」
レミリアは指を折りながら、淡々と並べた。
「試すべきことはいくらでもある。だが、領主は金を惜しみ、農民にはその余裕がない」
「それでは……」
「そして、いざ飢饉になれば、聖女を呼べばよいと考える」
レミリアは、メアリをまっすぐに見つめた。
「失政の尻拭いを、そなたの奇跡に押しつけるのだ」
「民に安寧をもたらすのは、聖女の役目ではないのですか?」
「そなたは、そう教えられたのか?」
「違うのですか?」
レミリアは一瞬、悔しそうに目を伏せた。
馬鹿にされている、とは思えなかった。
この方は本気で、何かを伝えようとしている。
メアリが改めて問いかけようとした、その時だった。
「聖女様」
背後から声をかけられ、メアリは振り返った。
第一王子を先頭に、数人の貴族子弟が立っている。
その姿を見たレミリアが、楽しそうに口元を歪めた。
メアリは、その笑みを見逃さなかった。
第一王子をはじめ、彼らとは入学の折に一度、挨拶を交わしている。
「何か問題でもございましたか、聖女様」
王子は気遣うような笑みを浮かべ、優しく問いかけた。
「いいえ。何もございません」
メアリは恐縮しながら答えた。
王子や高位貴族の子息たちから、こうして丁寧に話しかけられることには、いまだ慣れない。
王子はレミリアをちらりと見たものの、声をかけようとはしなかった。
レミリアのほうも気にした様子はなく、涼しい顔で彼らを眺めている。
「おい、レミリア」
貴族子弟の一人が、不機嫌そうに声を上げた。
レオン・ヴァルハート。
ヴァルハート公爵家の嫡男であり、レミリアの兄である。
けれど、その声に兄が妹へ向ける親しみはなかった。
「聖女様に、失礼なことを言ってはいないだろうな」
「はて。天候について話していただけですが」
レミリアはにこやかに答えた。
「兄上方こそ、ずいぶん聖女殿にご執心のようで」
「無礼だぞ、レミリア」
レオンが声を荒げる。
「なに、これほど大勢の殿方に取り囲まれては、聖女殿もさぞお困りであろうと思っただけです」
レミリアの笑みが、さらに深くなる。
「聖女様だ」
レオンが訂正した。
「そうですか。それは失礼を」
口では詫びながらも、レミリアに反省した様子はない。
「では、聖女殿。またいずれ」
そう言い残し、レミリアはその場を去っていった。
「まったく、なんと無礼な女だ」
レオンが吐き捨てるように言う。
第一王子たちも、眉をひそめながら去っていくレミリアの背中を見送っていた。
――あれが、レミリア・ヴァルハート様。
美しく、無礼で、誰よりもまっすぐにメアリを見た人。
そして。
――聖女の役割。
その言葉だけが、メアリの胸に強く残った。




