第18話 青薔薇と月影の王女
私しかいなくなった庭園に、いつまでもいるのは盤面的にもよくない。
ここに誰かが来るとは思えないけれど、もし見られたら……どのような噂が立つだろうか。
(……考えれば考えるほど、悪い方向しか浮かばないわね)
そう思って椅子から立ち上がると、どこに行くわけでもなく庭園から通路に出る。
本来なら、サフィーと共にルシアンを追うべきなのだろうけれど、ここで……彼を傷つけてしまった私が行くのも気が引ける。
それに……グロリアンサ侯爵家の魔法の力で先を読まれて、余計に面倒なことになりそうだ。
「私はサフィーとは違って、感情に任せて動ける勇気がないもの」
とはいえ……何もしないでいるというのも、心が痛む。
なら、リゼを安全な場所へと匿ってくれているアルフォンスと合流して、ここで起きたことを話すべきだろうか。
「オフィーリア……様?」
「……あなたは」
いつから、そこにいたのだろうか。
通路の先に——。
「あ、はい。エステラ・ルチア・フォン・エスペライザ……です」
「……そうだったわね。栄えある隣国、陽の陰る国の月影、エステラ王女殿下に挨拶を申し上げますわ」
「月影だなんて、オフィーリア様は……隣国の歴史にも詳しいのですね」
「あら、当然じゃない。リューネベルク公爵家の令嬢として、隣国の王女様に失礼なことはできないもの」
……嘘。
以前の人生で、エステラが貴族学校に留学してきた際に、レクトールの指示で彼女のことを調べた。
隣国が、かつて持っていた強力な魔法……影と支配。
(過去には、その力で周辺諸国を支配しようとしたけれど、ある時から貴族との間に子ができにくくなって、王家の血を残すために平民の血を混ぜて、魔法を失った……だったわね)
それはきっと、恐ろしい力を持っていたが故の、呪いだったのだろう。
どのような魔法だったかまでは、歴史の闇に埋もれてしまって調べることはできなかった。
当時、レクトールにそのことを伝えた際、興味がなさげに……こう呟いたのを覚えている。
「……まぁ、予想通りか」
何が予想通りなのかはわからない。
けれど、あの目は……私を見ていなかったのだけは確かだ。
「……あ、あの、オフィーリア様? 私、失礼なことをしてしまいましたか?」
「あぁ、いえ、ごめんなさい。少しだけ考え事をしていたの、エステラ王女殿下が失礼なことをしたわけではないから、安心してちょうだい」
「……よかった。あの、できれば……私のことは、その、エステラと気軽に呼んで欲しいです」
「そう? ならそう呼ばせてもらうわね。なら、私のことは……オフィーリアでいいわ。隣国の王女殿下に様づけされるのは、気まずいもの」
瞬間、僅かにうつむいていたエステラの顔が上がり、目が大きく見開かれる。
「……オフィーリア。あぁ、憧れのあなたに名前を呼ぶ権利を頂けるだなんて、私、嬉しいです」
「憧れだなんて、エステラ……あなた、レクトールから何か聞いたのかしら?」
「あ、はい。レクトール殿下からは、とても聡明で……グランツェルには欠かせない、太陽に並ぶべき月だと聞いていて、その……私は、エスペライザでは、ただの置き物みたいなものだったので——」
興奮しているのか、どこかたどたどしく。
そして、聞き取りづらいほどに細い声で、自分の身の上を急に語り出す。
(……あなたに関しては、もうある程度知っているけれど、こうして本人から改めて聞くと、思うところがあるわね)
「——それで、私、私……その、魔法が使える貴族様たちがいる他国に、憧れがあって、その」
「エステラ? 少し……落ち着きなさい」
「え、あ……ごめんなさい」
彼女が、エスペライザの外に憧れを持っているのも知っている。
けれど……その気持ちは叶うことはない。
(だって、あなたは留学が終わって、エスペライザに戻る際に……行方不明になってしまったから)
「気持ちは嬉しいけれど、私に憧れても得するようなことはないわよ? それに……」
「……それに?」
「魔法の力を失った隣国で、力に頼らずに王家の務めを果たそうとしているあなたの方が、私は凄いと思うわよ?」
本来ならば、隣国の王女の行方がわからなくなってしまったら、国際的な問題になってもおかしくはない。
当時、これといって騒ぎになることもなく、まるで、初めからそこに存在していなかったかのように、忘れ去られてしまった。
「……オフィーリア様」
けれど、今……目の前にいるエステラはどうだろうか。
たしかに目の前に存在している。
少しだけ、存在感が影に溶けたかのように気薄に感じるけれど、ここに生きている。
「オフィーリアよ。……そんな目で見ないでちょうだい」
だからといって、羨望の眼差しを送られても困る。
あなたは私ではないし、オフィーリアにはなれないのだから。
「レクトールから聞いた話で、私に憧れを抱くのは勝手だけれど……エステラ、あなたはあなたらしく。自分の思うように生きた方がいいと思うわよ?」
「私の思うように……ですか?」
「えぇ、だって……私はあなたのことを何も知らないもの、あなたも私のことをちゃんと知らないでしょう? だから、そう。まずはお友達から……始めませんこと?」
本来なら、隣国の王女と交流を図るべきではないのだろう。
けれど……なぜか、今の彼女を見ていると放っておくことができない。
まるで、以前の人生で利用され、首を落とされた私を見ているようで、危うさを感じてしまっている私がいるから……。
「わ、私が、オフィーリアとお友達に、ですか? 本当に……?」
「えぇ、実はね? 近いうちにスコルピナ子爵家のご令嬢とお茶会をする予定があるの……それで、できればでいいのだけれど、そこにエステラ? あなたも来てもらえないかしら……ほら、顔見知りの人がいた方が私も安心できるから、ね?」
けれど、サフィーのように距離を縮めようとはしてみたけれど、何故だか……言い訳みたいになってしまう。
これではまるで、エステラを……レクトールのように駒として利用しているようで、心苦しいけれど、本当にこれでいいのだろうか。
「……わ、私で良ければ、どこにでもお供いたしますわ」
「そんなに堅苦しく考えないでちょうだい。日程が決まったら、私の専属を通して連絡を入れるから、しばらく待たせてしまうかもしれないけれど、待っていてね?」
「はい……はい! では、その……私、校長先生の元へ行かなきゃいけないので、あの……」
「あら、そうなの? 予定があるのに、長々と話してしまって悪かったわね。慣れない国で大変だと思うけれど、がんばるのよ?」
「あ、はい……ありがとうございます」
小走りに通路を去っていくエステラを見送ると、私もアルフォンス達と合流するために歩き始める。
(……エステラのおかげで、少しだけ気が楽になったわね)
庭園であったことを、どこまでアルフォンスとリゼに伝えようか。
長い通路で一人、落ち着いた思考の中で情報の整理を始めるのだった。




