第1話 青い薔薇のオフィーリア
きらびやかな大広間には、選りすぐりの奏者たちが奏でる優雅な旋律が満ちていた。
磨き上げられた床。天井から降るようなシャンデリアの光。
宝石をまとった貴族たちは、誰もが上品な笑みを浮かべている。
——けれど私には、そのすべてが葬送曲のように思えた。
(……ねぇ、これはいったいなんの冗談なのかしら?)
本来なら、私がいるべき場所に知らない女がいる。
私のために仕立てられたはずのドレスを、その女が身に着けている。
「……ねぇ。王太子殿下の隣にいらっしゃる、あのお方はどなたなのかしら?」
「どなたって……殿下のお隣に立つのは、オフィーリア・ローゼ・フォン・リューネベルク様以外にありえませんわ。……あら、本当ですわね。あれはいったい?」
誰かが気づいて、王太子の隣にいる女へ視線を向ける。
「では、オフィーリア様はどこに?」
「あの月光のような銀の髪に、薔薇色の瞳だ。探せばすぐに見つかるはず」
異変に気づいた貴族たちが、私を探し始める。
(これは見つかるのも時間の問題か……)
そう思った瞬間、私のドレスを着た女と目が合った。
「……笑った?」
見間違えだと思った。
いや、違う。そう……思いたかった。
けれど現実は、どこまでも冷ややかで……あの女は確かに、私を見下している。
(あの子、私から王太子を奪えたと本当に思っているの?)
今のあなたが着ている夜空を模して作られた濃紺のドレスは、彼が私への愛を見せつけるために作られたもの。
あなたがつけている青薔薇のヘッドドレスは、リューネベルクを象徴し、決してあなた如きがつけていいものではない。
それは、ただの飾りではない。
リューネベルクの名を背負う者だけに許された、誇りそのものだった。
(黙って去ってあげようと思っていたけど、さすがにこれは、我慢ができないわね)
ドレスだけならまだ、辛うじて耐えられた。
王太子が私の気を引くためのおふざけだと、無理矢理な理由をつけることもできた。
けど……ここまで来てしまったらもう、不可能だ。
(ここで感情的になるのは……違うわね)
私がここにいると気づかれる前に、扉から出ようとした時だった。
「オフィーリア、君と兄上の婚約披露というおめでたい場なのに、どこに行くつもりだい?」
背後から、聞き慣れた声がした。
王太子ではない。
けれど、私にとって決して無視できない声だった。
「……アルフォンス、あなた。この状況でよくもまぁ、私に話しかけようと思ったわね」
私に似た髪色と瞳を持つ女を幸せそうに抱き寄せているのは、レクトール・アウグスト・フォン・グランツェル王太子。
その双子の弟であるアルフォンス・レオンハルト・フォン・グランツェルは、悪びれもせずに私の退路を塞ぐように立っていた。
黄金の獅子のような髪に、切れ長の琥珀色の瞳。
その瞳が、逃げようとする私を映している。
「ひどいね。俺はただ……辛そうにしている君を見ていられなかった、だけなのに」
「本当に良心があるのなら、ここは声をかけないで行かせるべきじゃ、ないかしら?」
「……青薔薇のオフィーリアが、背を向けるなんて似合わない。そう思わないかい?」
「あら? 青薔薇はあちらにいるじゃない。私はただの負け犬のオフィーリアよ?」
自分で自分を負け犬と呼ぶのは、実に滑稽だ。
「君は、兄上のためにどんな汚れ仕事だってやってきた。そんな君を負け犬だなんて……俺は言えないよ」
「いいのよ別に。だって……あの方の隣にいるのは、私に似せた偽物でしょう?」
「……あのさ。あの時も言ったけど、オフィーリア。兄上……いや、レクトールではなくて、俺じゃ……ダメなのか?」
「……遅いわよ。なにもかもね」
「けど、俺はっ……君のことを本当に……心の底からっ!」
せっかく、静かに去ろうと思っていたのに、声を荒げられてしまったら……すべてが台無しだ。
誰かが私を見つけて指を差した。
偽物と私の区別もつかない愚か者が、驚きの声を上げる。
私を見下す女の唇が、愉悦に濡れて、三日月の形に歪んだ。
「随分と親しげだな、オフィーリア……いや、偽物の公爵令嬢」
その声に、大広間の空気が凍った。
振り向かなくても分かる。
レクトール・アウグスト・フォン・グランツェル。
私の婚約者であり、今夜、私を偽物に置き換えた男。
「あら、殿下? あなたが最愛だと謳い、飾り立てた婚約者を偽物だなんて……随分な言い草ね?」
「偽物の分際で偉そうな口をきく女だ。私とオフィーリアの婚約披露の場で、私の弟と密会とは……なるほど、そういうことか」
静かになった会場で、二人の足音が近づいてくる。
(偽物の方から近づいてくるなんて、いい度胸ね)
どんな顔をしているのか見てやろうと、振り向きざまに女の顔を睨みつける。
「レクトール様……怖いです。あの方、ずっと私を睨んで……」
銀の髪の下からわずかに見える、どこにでもいそうな地味な茶色い髪。
瞳もよく見れば、薔薇色の下に素の色が透けて見える。
「我が最愛のオフィーリア……怖がらないでいい。もう誰にも君を傷つけさせはしない」
顔立ちも、白粉で白く見せているだけで、輪郭が似ている以外はまがい物だ。
けれど、王太子の隣に立っているという事実だけで、あの女は本物にされていた。
「皆の者、聞け! ここにいる女は、長きにわたり本物のオフィーリアに成り代わり、その名を利用し、私の名を騙ってきた。さらに、リューネベルク家の権威を笠に着て、我が国の民を苦しめてきたのだ!」
「兄上! オフィーリアが……あなたが王太子の座を得るために今までしてきたことをお忘れかっ!」
「黙れ……愚かな弟よ。私は知っているのだぞ? お前が偽物を使い、オフィーリアを幽閉し、王になるために、自身の意に沿わぬ者を暗殺してきた事実をな」
感情的にならず静かにしていれば、あなたまで巻き込まれずに済んだのに、どうしてそんな馬鹿なことをするのか。
惚れた弱みなら、それこそ……レクトールの言うように愚かでしかない。
(あなたのその愚直なところは好きよ? ……でもね)
私は公爵令嬢で、あなたたちはこの国を治める王の血筋。
長い付き合いで情はあれど、青い血の役割を忘れたのなら、それはもう獣だ。
「そこまで仰るのでしたら、証拠は……あるのですか?」
「……当然だ。オフィーリア、例の青薔薇の毒を」
「は、はい……レクトール様」
偽物の女が、髪に咲いた青薔薇の飾りへ手を添える。
震えながらうつむき、おずおずとした仕草で花弁の下に隠されていた小さな硝子瓶を、取り出す。
「これは偽物が、アルフォンスと共に作り上げた致死性の毒だ! それも……封を切れば空気に触れるだけで周囲を汚染する。あまりにも凶悪で悪辣な代物だ!」
大広間に誰かの悲鳴が走った。
瞬間、示し合わせたかのように近衛騎士たちが会場に現れ、私たちを取り囲む。
「兄上……あなたという人はどこまで!」
「愚弟とはいえ、血を分けた弟だ。殺すのは心が痛い……が、偽物との密会を見て、決心がついたよ」
「……レクトール様? アルフォンス様を殺すのはかわいそうよ?」
「ああ……私のオフィーリア。本物の君は心まで純白で美しいのだね。……けど、ダメだ」
レクトールが冷たく言い放つ。
(……レクトール。あなたのことだからどうせ、私たちを殺した後に偽物をもう一人作って殺して、あの女と一緒になるつもりでしょう? もはや愚王を越えて、三文芝居の劇作家ね)
近衛騎士たちが抵抗するアルフォンスの腕をねじ上げ、床へ押さえつけた。
「この女はリューネベルクの名を騙り、本物のオフィーリアと私を毒殺しようとし、第二王子と共に王位簒奪を企てた」
私を殺すだけでは足りず、アルフォンスまで道連れにするのね。
まぁ……彼の場合は、ただのお節介のせいだけど、少しだけ……同情するわ。
「二人を捕らえよ。王家への反逆罪により、夜明けを待たず――この場で処刑する!」
近衛騎士たちの剣が、一斉に抜かれた。
悲鳴が止んだ会場で、誰も……異を唱えなかった。
「偽物とアルフォンスの首を落とせ!」
誰かが声を張り上げる。
それに続いて、一人、また一人と、声が重なり、狂気が会場を支配していく。
「近衛よ。己が忠義を私に示せ!」
冷たい刃が首筋に触れた瞬間、私の世界は暗転した。




