〜The Sparrow Who Lost Her Voice〜1
部屋は暗かった。
カーテンは閉め切られ、昼か夜かも分からない。
ただ、ひとつだけ。
スマートフォンの光だけが、老人の顔を照らしていた。
指が、機械的に画面をなぞる。
おすすめ…おすすめ…おすすめ…。
どれも似たような動画だ。
明るくて、速くて、分かりやすい。
そして、すぐに忘れるものばかり。
スクロールが止まった。
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再生回数:23
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「ん?……なんだ、これ」
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誰に聞かせるでもなく、ただ呟く。
タイトルも曖昧だった。
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『声について』
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タップする。
一瞬の無音のあと、声が流れた。
ノイズが混じっている。
マイクが悪いのか、わざとなのかも分からない。
それでも、その声は、妙に――
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「私は……誰にも、見られていなくても
言葉は、消えないものだと思っていました」
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そこで、指が止まった。
画面を閉じようとした。
いつもなら、そうしていた。
だが、何故かできなかった。
画面を見たまま、しばらく動けない。
動画は続く。
だが、頭にはもう入ってこない。
さっきの一文だけが、残っている。
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「……なんだよ、それ」
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気づけば、もう一度再生していた。
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動画が終わる。
コメントは、ほとんどない。
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「なんかいい」
「雰囲気が好き」
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それだけだった。
誰も、深くは触れていない。
誰の心にも、残っていない。
老人は、コメント欄を開いた。
入力欄が点滅している。
画面をしばらく見つめる。
コメントなんて、もう何年もしていない。
いや、正確には。
書いても意味がないと、知ってからやめてしまった。
それでも。
ゆっくりと、指が動いた。
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「好きだ」
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送信した。
たった三文字だが。
送ったあと、少しだけ後悔する。
軽すぎるか…雑すぎるか…。
だが、今さら消せない。
画面を閉じようとした、その時。
ピロン!
通知が鳴った。
一瞬、固まる。
こんなに早く返事が来ることなんて、ない。
恐る恐る、開く。
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返信
「好き…とは、どういう状態なんですか?」
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老人は、しばらくそれを見つめていた。
冗談かと思った。
だが、文面は真面目だった。
冷たくも、温かくもない。
ただ、まっすぐにそこにある。
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「……は?」
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思わず声が出る。
意味が分からない。
だが、なぜか――
嫌な気はしなかった。
むしろ、少しだけ。
昔の感覚に似ていた。
何かを、ちゃんと考えていた頃の。
もう一度、入力欄を見る。
指が止まる。
考える。
好きとは何なのかを…。
そんなこと、今さら説明できるわけがない。
だが、適当に返すのも違う気がした。
時間がかかる…。
数分、あるいは、それ以上。
ようやく、打ち込む。
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「説明できないは出来ないか…、でも頭に残る。そんな感じ。」
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送信。
すぐには返ってこない。
当然だ。
さっきのは、たまたまだ。
そう思い、スマホを置く。
天井を見る。
何もない。
ただ、古いシミだけが広がっている。
その時…
ピロン!と通知音が鳴った。
まただ。
今度は、少しだけ早く手に取る。
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「残る……保存されるってことですか?」
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思わず、息が漏れる。
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「違う」
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即座に打つ。
今度は、迷わなかった。
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「頭から離れないんだ。」
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送る。
すぐに既読がつく。
そして、少し、間を置いてから。
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「それは、なんかバグみたいですね(^^)」
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老人は、そこで初めて笑った。
ほんの少しだけ。
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「かもな」
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そう返したあと、しばらく画面を見つめる。
それ以上のやり取りは、なかった。
だが、不思議と物足りなさはなかった。
スマホを置く。
部屋は、相変わらず暗い。
何も変わっていない。
生活も、状況も、未来も。
何一つ。
それでも。
ほんの少しだけ。
“何か”が戻ってきていた気がする。
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翌日。
老人は、もう一度その動画を開いた。
再生回数は、まだ二桁のままだった。
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「……なんか、もったいねぇな」
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ぽつりと呟く。
そして、自分のアカウントを開く。
フォロワーは、ほとんどいない。
投稿も、止まっている。
だが。
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「……まあ、いいか」
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動画を共有する。
一言だけ添えて。
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「誰か見ろ」
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送信した。
その小さな行動が、何を引き起こすのかも知らずに。
その画面の向こうで。
スズメは、まだ静かに存在していた。




